秘密とか恋とか責任とか
「うううっグスン・・・ヒック・・しく
しく」
防波堤の向こう、テトラポッドの影の人目につかないあたりで、おれ、曲月 歪はめそめそと大泣きしていた。
普段はそんなに泣いたりする方じゃないんだ。むしろ気丈で強い子なんだ。なんだけど・・・。
ボウンッ! と、さっきまでの実体験の記憶が再び頭の中にフラッシュバックしてきて、おれは真っ赤になって絶叫した。
「うわああああああ!!! やめろおおおおっ!!!」
おれは頭を猛烈にブンブン振って、トラウマを追い払おうとするが、ねっとりと粘りつくように思考に絡みついて、何かを考える前に意識を持っていかれる。
おれはガクンと膝をつき、うう、と口元を押さえた。
あ、いや別に気分が悪いから吐きたかった訳じゃない。
トラウマの元凶を思い出したくなかっただけなんだ。
詳しくは・・・後で言うかも。言わないかも。でももう察しちゃってたら、ごめん、そっとしておいてくれ・・・。
「大丈夫か? 主殿?」
「ふふ、存外に歪も情けないな。たかが女子に押さえつけられ縛り付けられ、その上“仮初めの契り”を・・・・ふふふ」
「うわああああああああああああん!!」
追い討ちをかけるようにおれの両隣から声をかけてくるのは、一応信頼できるおれの契約魔族、ルルゴンドルンとルヴィアノーラだ。
かたや褐色絶世の美男子、かたや純白の肌の超絶美女に化けている。おれがトラウマを植え付けられ、宿から命からがら空間移動魔法で逃げ出してきてから、急遽大急ぎで実体召喚したんだ。
どこで何をどう間違えたのか、おれにはさっっっっっっっぱり分からないのだが、あの三人、は、発情した・・・ッッッ!!
ガタガタブルブル震えながら、もうこのまま帰って夏休みが終わるまで家に引きこもって暮らそうかなあ、と半ば本気で考える。
やじりはまだいい。なんかもうあいつに関してはおれは諦めの境地に達している。だが、牙や常識人の御影までもがああなってしまったら、おれの逃げ場がないではないか。
それに、なんか昨日から体調がおかしいのも良くない。さっきまでやじりと目が合うと顔が熱くなって、鼓動が早くなるっていう変な状態だったんだけど、なんかもうさっきの・・・あれの後くらいから、牙や御影のこともまっすぐ見られなくなってる。
なんだよこれ・・・・。
苦しい・・・気持ち悪い・・・・。
「グスン」
おれはまたこみ上げてくる切ない気持ちに押し流されそうになって、誤魔化すように鼻をすする。
「なあ、主殿」
おれの隣にどっかりと座り込んで、海の方を見ながらルルゴンドルンは優しげな口調で話しかけてきた。
「主殿は、恋をしたことはまだないのか?」
にこやかな口調は嫌味がなく、心配をしているでもなく面白がるでもなく、近所のお兄さんが相談にのってくれている時のような、落ち着かせてくれる声だった。
「・・・ねえよ。そんなもん」
「はっはっは。そうか。それでは分からぬかもなあ」
「へえ・・・意外ね。そんな教育上よろしくない魔力垂れ流してるくせに恋もしたことないの? 初恋もまだだったりする?」
「うるせえな・・・まだですよ。どうせ。だって、好きっていうのがどんな感じなのか、分かんないしさあ」
「そうだなあ。胸が苦しくなって、鼓動が早くなって、それはそれは苦しくて気持ちが悪い感覚だよ。特定の誰かしか見えなくなって、気がつけば視線が吸い込まれていく。ドキドキして、うまくしゃべれもしなくなって、だのにその感覚が矛盾しているが気持ちよくて、自分がよく分からなくなる。まあ、そんな感覚だろうな」
「・・・・・・・・・・・・・ッ」
ぎくっとしておれは表情を変えないよう努力しながら、それでも冷や汗がダラッダラ滝のように流れていく。
え? おれ今ちょうどそんな感じでモヤモヤしてるんだけど・・・ でもルルゴンドルンが嘘を言う訳もなく・・・こ・・・恋・・・?
まさか。まさかな。
まさかまさかまさかまさかまさか。
「・・・・・・歪・・・そなた本当に重症なのだな」
ルヴィアノーラが哀れみを込めた目で悲しそうに言った。
「人間のおなごが嫌なら魔界に来るか、主殿? 人外に異形に人型まで、主殿ならよりどりみど」
「ふんっっっっ!!」
ルルゴンドルンが何かを言いかけたと思ったら、言い切る前にルヴィアノーラの輝く膝が絶世美男子の顔面を一撃で陥没させて遥か海の彼方まで吹き飛ばした。
「ごぶふるああああ!! 何をするか神族ーッ!」
・・・・・と、思ったら黒い翼をバサアッと生やして、ルルゴンドルンは空中でなんとか踏みとどまった。
「チイッ死ねば良かったのに。わらわの大切な歪がこうも人間関係で悩んでおるというのに、貴様というやつはなんでそんなにも空気が読めんのだ!この腐れ魔族め! 何故おなごのことで悩んでおる歪を前にして、そうもピンクいことが平気で言えるんじゃ貴様はあっ!?」
「ふふん、恋による傷心は新たな刺激で癒すものと相場が決まっている! 魔界はいいぞ、主殿! 人間の常識なんぞには捕らわれぬからな。今の悩みなんぞ一瞬で消えてしまうほどだぞ。それにおなごが嫌だというなら、この私がよろこん」
「女神ッッッッパーーンチ!!!」
「ぐぼはあああああッッッッッッ!!!」
純白の光をまとった拳を握り、神域転移してルルゴンドルンの懐に潜り込んだルヴィアノーラは、魔族も真っ青な鬼の形相で天罰クラスの一撃をまたもや絶世美男子の鼻面にぶち込んだ。なんかベキベキベキっと骨が砕けてますな音が盛大に聞こえてきたけど、いろんな意味でショック状態のおれにはそれがなんだかよく分かってなかった。
「許さぬ・・・許さぬぞ! わらわの歪をそんな歪んだ世界に引きずりこむことは許さぬぞ! 歪の正妻になるのはわらわじゃ! 今日こそ傷ついた歪を優しく励ましてハートをゲットして、天界のわらわの家でプランAからプランZまで心ゆくまで拉致監禁の上洗脳教育を施しわらわなしでは生きていけない身体にして、不老不死を与えたうえで永遠に可愛がってやろうじゅるり!!!」
「鬼すぎるっ!?」
魔族のルルゴンドルンも神族の予想外の黒さにびっくりのようだ。だが・・・。
「なるほど・・・だがその発想はなかった・・・」
と、小さな声で共感している。うおい。
「そうか・・・ところで神族、ものは相談なんだが」
「ほほう?なんじゃ急に。 魔族が神族のわらわに相談とな? 面白い。申してみよ」
「ふふん、一時休戦しようじゃないか。これは千載一遇の好期かもしれぬ。歪が人間に嫌気がさしている今こそ、次元の壁を超えた愛の奥深さを植え付けるまたとないチャンス!!!」
おおおお! と、ルヴィアノーラが盛大な歓声をあげた辺りで、おれは右手を持ち上げ、厳かに口をつけた。瞬時に光の指輪がそこに顕現する。アホ丸出しの会話で大盛り上がりな神と悪魔は、んまっったく気づきもしやがらない。
「じゅるり! ま、魔族よ、お主中々どうして頭が回るのう!魔族と神族、他の11体の契約魔族の力で歪を魅了してしまえば、もう人間なんぞに興味が湧かないくらいに堕落させてしまえば、歪はわらわたちのもの・・・・じゅるりじゅるり!!」
「ふふふ・・・どうだ神族? 悪い話ではなかろう?」
おれは頭からプチっと音がしたのを確認して、ついさっきまで信頼していたはずの仲間に向かって、だまってにっこり拳を振り上げた。
「よーし。今から存在消し飛ぶくらいぶん殴るからちょろっと歯あ食い縛ってみよっか!! 大丈夫。お前らなら三日で再生する!!wwwwww」
「ひずむっっ!? いや、すまぬ、嘘だ嘘!! 半分くらいは冗談だ!! ほら、私の半分ってユーモアでできるだろ!?」
「そそそそうだぞ!? わらわだって本当に歪を人形にしたくはないのだ!! ただ、歪があんまりかまってくれないから、さみしいを通り越して焦らされるのも快感になってきちゃったこの頃のわらわには刺激の強い歪の泣き顔にキュンキュンしちゃって理性が・・」
「えええええええい!!いっぺん死んで来おおおい!!」
ボガアアアアアン!!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ううう・・・歪・・・あんまりだぞ・・・」
「そうだぞ・・主殿・・・ほんのささやかなユーモアではないか?」
「そうか? その割には目が本気だったよな? ったく思ったよりしぶといのなお前ら。完全に消し飛ばしたのに二秒で復活しやがって」
「復活できないように魔法陣組み上げようとしてたのは主殿だぞ!?」
「チッ。間に合わなかったのが悔やまれる」
「酷いぞ主殿・・・なにもそんなに・・・」
「およよよ・・・歪の中で信頼値が限りなくゼロになったのが露骨に分かる・・・わらわ悲しい」
力ずくで黙らされたことにも、完全に嫌われたことにもショックを受けている二体の契約魔族を前に、おれは契約の破棄をとどめにぶち込んでやろうかと真面目に考えていた。
が、そんな時だった。
「ふふふ・・・じゃ、まあおふざけはこれくらいでいいかのう」
「はあ・・・まあ・・そうであるな」
へたりこんだ二体は、突然示し合わせたように目配せすると、どっこらしょとあぐらをかいておれの方に向き直った。
「ああ? なんだ、まだおれは怒ってるんだぞ」
おれはその反省の色のない様子に再び怒りを燃やそうと睨みつけた。のだが、しかし二体は思いのほか真剣そのものな表情だった。
「歪、すまない。わらわはすこし真面目な話をするぞ」
「これは主殿は知らない、しかし周りは分かっていることなのだ」
ルヴィアノーラ、ルルゴンドルンしっかりとおれを見据え、それは出会ったときと同じだけの真摯な忠誠をおれに捧げる瞳だった。
おれは怒りをぶちまけようと思って口を開いたところだったのだが、仕方なく口をぱくんと閉じた。
「・・・なんだ」
「主殿が私たち魔法族に無差別に愛される体質を持っているのはご存知であろう?神族も悪魔の垣根もなく、あの気難しい精霊族にとてそれの例外ではない」
「ああ・・・もちろん知ってる。昔から悩まされてきたからな。・・・それがどうしたんだ」
「歪よ、問題はそこなのだ。もしも、そこが若干のイントネーションの違いだが、しかし決定的に違うものだと歪が思い込んでいたのだとしたら?」
「それですべてが分かるだろう。だが、それを認めるには今の主殿の心の容量は足りなかった。それゆえに我らは、しばし道化を演じたのだよ」
「イントネーション・・・? 心の容量・・・? ちょっとまて、それはどういう話なんだ?」
「うむ、まあ結論から言ってしまおうか。主殿が魔法族に愛されるのは、魔法族だから、なんて大雑把なきまりがあるからではない。もっと明確な、かつ単純明快な決まりごとがあるのだ」
「・・・・・決まりごと?」
「そうだ。簡単だが、それゆえに今の苦悩を引き起こしている。そなた・・・魔法族に好かれるのではなく、魔力を体内に有する生き物にのみ、無差別に愛されるのだ。だからつまり、やじりや牙や御影のような魔法使いにも、それは適用されてしまうということなのだ」
「そう、だからあの者たちは主殿を愛し、主殿に迫ろうと思う。そして、主殿の不調の原因は、昨日や先ほどしてしまった、“仮初めの契り”のせいでもあるのだ」
「あの者たちに歪の特性の一部が移ったということは、わずかかも知れぬが歪のその、魔力を体内に有している生き物に無差別に愛されるという体質も移ったことになる。そしてあの者たちの性質も歪のなかに引き込まれ、その中にあの者たちの愛情のようなものも紛れていて、それが流れ混んでしまったのかも知れぬ。」
「そして、主殿は幼いころからの鍛錬で、お父上に恋愛感情そのものを消されてしまっている。だのにここにきてそれが急遽解けることはない。つまり、あの者たちの恋心が流れ込み、歪の魔力を持つ生き物に愛される能力が逆に歪に作動して、二つの意味であの者たちに恋愛感情を抱き始めてしまっているのだ」
「ん・・・・・な」
おれは口を半開きに開いたまま、あんぐりとそれを聞いている他なかった。おれの体質は魔法族に愛される、っていう若干変わったくらいのものだと教えられていたはずなのに。
魔法使いにも・・・有効?
あいつらの・・・恋心? おれに?
おれの恋愛感情は消されていて・・・でも、今また流れ込んできてしまって・・・?
「・・・だからな主殿。主殿は今、あの者たち三人に、“初恋”をしてしまったということなのだ」
「そうじゃ。・・・歪。初恋というものは恋の中でも至極厄介なもののひとつ。気持ちの置き所が分からず、整理もつかぬ。ある意味で最もつらい恋なのかも知れぬ。だからな、歪、年長者の我らからの、これは助言なのじゃが・・・」
「あの者たちと、しっかり向き合って恋をするのだ。あの者たちはすでにそのつもりなのだし、主殿の気持ちはもはや抑えきれまい。主殿の魔力の威力は、我らが身を以て知っている。抗えるものなどではない。なれば、甘んじてしまえ。そろそろいっちょまえに、恋をしてもいい年頃なのだ。あの者たちでは嫌か、主殿?」
ルルゴンドルンとルヴィアノーラは至って真面目そのもので、内容こそおれに恋をしろと進める世話焼きおばさんみたいだが、表情はむしろ真面目そのもの。おれの魔力に長年虜にされてきたからこその、確信と諦めに満ちた表情だ。
「歪、こうなってしまった以上、あの者たちからはもう逃れられん。歪の契約魔族を見ろ。誰一人として逃げ出したりはせぬ。極限まで我らを追い詰める依存性の強い魔力。それゆえにいつまでも浴びていたいほど甘美な魔力ではあるが、ふつりと途絶えてしまうとのたうちまわるくらいの禁断症状が出る。わらわでもだ。」
「主殿、これは恋であり、同時に中毒なのだ。ここで逃げ出して魔力の摂取をやめたら、先に壊れるのは主殿の精神の方だぞ」
「・・・・・・・・え。て、てことは・・・?」
「あの者たちの中から、一人を選び、結ばれるしかあるまい」
「あの者たちと歪はもはや切っても切れない関係。歪がこれからの生涯で恋をすることは、今回のようなことがない限り二度とないだろうし、あの者たちを歪が選ばなかったら、あの者たちの心はそれだけで脆く壊れてしまうだろう。分かるか、歪よ。歪がこれから生きていくためには、あの者たちの存在が必要なのだ。しかし、歪が選ばなかった残りの二人は、恐らく悲しみで耐えられないだろう。」
「主殿はここで選ばねばならぬのだ。誰を生かし、誰を捨て、誰を殺すのかを。それがすべての魔力を持つものをかしずかせる王たる主殿の宿命、主殿の血に流れる、甘き魔の誘惑の代償」
「誰かを・・・選び・・誰かを・・・殺す・・・?」
「歪・・・辛いかも知れぬが、これが真実なのだ」
「今は解決する手立てが分からぬが、そのうちに分かることがあるやもしれぬ。主殿、長い目で見るのだ、長い目で」
必死に励まそうとするルヴィアノーラとルルゴンドルン。だが、おれの耳にその言葉は入ってもいなかった。
「あいつらと・・・恋を・・・誰かと結ばれなければおれは死ぬ・・・でも・・・その一人以外は二人とも壊れる・・・」
「・・・・・歪?」
「大丈夫か?・・・主殿?」
「・・・・う」
「「・・・う?」」
「うわああああああああああああああ!!!」
続




