第七話 安いおねだり
七話目から三人称の「社長」を「友樹」に変えました。
「お待たせ、友樹」
友樹は車の中で倖を待っていた。倖は、社長と会ったらすぐに名前を付け加えて呼ぶ訓練をさせられていた。
あれからも何度か外食を共にして、互いに打ち解けつつあった。
「倖、ちゃんとスカートを履いているんだな」
「そーですよ。後でレシート渡しますからねっ」
膝の上に鞄を乗せ、倖はスカートの裾を引っ張った。足元を見られたのだと思うとなんだか気になってしまった。
またしても高級な店に到着し、車庫入れしている車の中で倖は呟いた。
「今度からはもう少し安いお店にしませんか?」
「それでは意味がないって言ってるだろ」
「でも、やっぱりお金がもったいないです」
「気にするな。美味しいものが食べられて、あの女たちが近寄らなくなるのなら安いものだ」
倖は唇を尖らせたまま友樹の顔を見ていた。友樹は倖の頭を撫でた。
どうにか倖を納得させた友樹は、暖簾を持ち上げて先に倖を店内に入れさせた。
「あの、この手」
「なんだよ」
フリを実行しているせいなのか、友樹の手は倖の肩から離れなかった。
倖には不快でしかなかった。
「調子に乗りすぎですよっ。お触り厳禁!」
肩を捻り、その手から逃れた。友樹の舌打ちが聞こえたが、倖は聞かなかった事にした。
席につき、食事を始めると倖が真剣な表情で問いかけた。
「友樹って、お腹が空くとイライラするタイプ?」
「……は?」
「だって、誘うときはいつも不機嫌なのに、食事を始めるとそうでもない感じがして」
そんな風に見られていたのか。友樹は箸を置いた。不機嫌になる原因は自分自身が良くわかっていた。
「仕事で疲れているからだ」
「じゃあ、仕事の事は忘れましょうよ」
友樹は一瞬固まり、そして倖を見た。
「せっかく美味しい料理を食べてるんだから。今を楽しみましょ?」
高級なお店は気が引けると言っていたのはどこへやら。倖はもぐもぐと頬を動かしながら、満足げに平らげていく。
友樹は俯き、拳を口元に当てて必死に笑いを堪えた。聞かなくてもわかっているのについ声を掛けてしまった。
「美味しいか?」
「美味しいです!」
倖は気に入ったものに対してはすぐに表情に出る。
「それ肉か魚か、わかるか?」
「わ、わからないです。肉?」
「それは豆腐だな」
「ひっどい! その選択肢だとどっちかだと思うじゃないですか」
友樹は噴き出した。
倖はお腹がはちきれそうほど食べた。
「一週間分くらい食べた気分。ご馳走さまでした」
「またこういう店に来ることがあるが、金の事は気にしなくていいから。倖と一緒だとそんなにお金はかからないし」
「わかりました」
ほら、と友樹に手を差しのべられた。が。倖はその腕をおろさせた。
「そういう事はフリでも駄目です。だから相手が勘違いするんじゃないですか?」
お堅い倖に不満を抱きつつも、友樹はフリを全うしようとしている倖の姿に感心していた。
仕方なくフリの為のスキンシップを友樹は諦める事にした。
倖に対してスキンシップをはかっても本気にならないと安心しての行動でもあった。
友樹と倖は店を出た後、肩を並べて歩きはじめる。
「駐車場が少し遠かったな」
「食後の運動にはちょうどいいですよ」
倖たちは近くのコインパーキングまで歩いていた。
倖が一度タクシーを断ってから、友樹は食事中にアルコールを飲まなくなった。帰りに倖を送って帰るのが習慣になっていた。
「だけど、外食ばかりだと太りませんか?」
「そうかもな。だが帰ってもご飯がないから仕方がない」
「友樹って一人暮らしなの?」
「倖もだろ」
互いのプライベートも少しずつではあるが、分かってきていた。互いに会話も大分慣れてきて、友樹はこれなら『彼女』が通用するかもしれないと安心していた。
「友樹が料理する所が想像できない」
「失礼だな。時間があれば作るぞ。最近は疲れてそんな気になれないだけで」
「そうなんですかー」
倖が突然立ち止まり、一点を見つめていた。
「友樹!」
がしっと掴まれ、友樹はつんのめりそうになる。
「何だ」
倖はキラキラと目を輝かせ、友樹の顔を見ていた。
ま、眩しい。
目を細めずにはいられなかった。そして胸がどくんと反応した。
「お願いがあるんです!」
腕を掴み、もう片方の手は後方を指差していた。
その方向を見ると、UFOキャッチャーが所狭しと置かれていた。
「あれ、欲しいです!」
初めて友樹に向けて見せた笑顔。それはぬいぐるみ欲しさに出た表情だった。複雑な心中を悟られぬように倖の手を払い、スーツを正した。
「……どれだ」
ぐんっと腕を引かれ、一台のUFOキャッチャーの前に立たされる。倖はおでこをつけて、人差し指が、ぐにんとまがるほどに押し当てた。
「あれ、あのぬいぐるみです」
猫? なのか、これは。
友樹にはコレの良さが理解できなかった。けれど倖から「取って、取って、絶対取って。これ欲しい」とすがるような目で見られ、お願いを叶えてやりたくなった。
取れるかどうかは不安だった。だが、倖の為に取らなくてはいけない気がした。
財布を取り出し、小銭を出そうと思ったら万券しかなかった。
両替機を探すために店内を見渡そうとしたところで、倖に袖を掴まれた。
「これっ、これで取って?」
「……用意周到だな」
倖から五百円玉を数枚渡された。倖はゲーム関連のグッズにもお金を惜しまなかった。本来は五百円貯金の為に取っておいたものだった。
友樹は手のひらを見つめ、眉根を寄せた。
――この枚数、これは明らかに失敗を想定されている。
めらめらと闘志が湧き上がる。
――絶対に一回で取ってやる。
友樹はコインを投入した。
「なかなかストレスを感じる代物だな」
友樹は首を左右に動かし、肩を揉んでいた。
倖はぬいぐるみを持ち上げては、何度もそれを見つめていた。倖のこんなに綻んだ顔を見るのは初めてだった。
「ありがと」
友樹は初めて倖から心からお礼を言われ、心拍数が上がるのを感じた。
「お前のおねだりは、安上がりだな」
「何言ってるんですか、三千円も使っておいて」
今度は心臓がずきんと痛くなった。仕方あるまい、ゲーム全般は苦手なのだ。だが、やり始めてみると単純のようで頭を使う所が奥深い。倖はアームが弱いと嘆いていたが、その意味が今一つわからなかった。普通に狙っては取れない為、ぬいぐるみのずらし戦法やらを色々と試して、どうにか取ることができた。たった一つだけど。
倖は三千円と言いつつも、とても嬉しそうだった。
車の中でもそれを、子供のように抱きしめていた。人に喜ばれるのがこんなにも嬉しいものだったとは。
友樹は倖の顔を盗み見ては微笑んでいた。