第四話 結局手伝う羽目になる
「頼み事をしたいなら、そちらから来て頼むのが筋じゃないでしょうか」
社長は諦めが悪かった。
あれからもしつこく内線で依頼され、倖は困った挙句に吐いた言葉だった。平社員が社長にそこまで言ったら、怒ってもう頼みに来ないだろうとたかをくくっていた。
――けど、来ちゃったよこの人……。
仕事を終わらせて下に降りると、社長はロビーで倖を待ち伏せしていた。その姿を見て倖は目を覆う。課長が倖の退社時間を報告したのだろう。
社長は人気のない方へと倖を引っ張り、腰に手を当て、胸を張った。
「来てやったぞ」
「ごめんなさい。許して下さい」
倖は静かに頭を下げた。ちろりと社長の顔を見る。
「俺が直接来て頼んでいるんだ。約束だ。一度やってくれてるんだからいいじゃないか。一度や二度も同じだろう。頼む」
「勘弁してえ!」
手首をがっしりと掴まれ、振りほどくことができなかった。倖は腰を下げて必死に抵抗した。
「その後はもう近づかない。約束する。な?」
社長は倖の顔を覗き込んだ。諦めの悪さに倖はとうとう観念した。
「……じゃあ、一度だけですよ?」
「へえ」
その声の方向を見ると以前ここで出くわした女性が腕を組んで立っていた。呆れ顔で倖の体を眺めていた。
イライラが絶好調なのだろう。顎と指先がリズムを取っていた。
「彼の方が彼女にぞっこんなのね。そんなにいいわけ? その女の体が」
「「えっ?」」
倖と社長は硬直した。
「あんた、見た目はダサいクセに体で横取りしたのね。見てなさいよ」
ふんと女性は力任せに地を蹴って消えていった。
「な、何か勘違いしてませんでしたか?」
「だな」
――だな、じゃないわよ。
倖は社長を睨みつけた。
「この際、フリなんかじゃなくて、きちんと相手の方に断ったらどうですか?」
「何べんもその気はないと言っている。見ていてわからなかったか? あいつらは俺の話を聞こうとしない。だからこの作戦を思いついたんだ。あいつらと違うタイプの女性と付き合えば諦めてくれるだろうと思ってな」
「まあ、たしかにタイプは違いますよね」
倖は私服を見渡した。ラフなシャツにジーンズ姿だった。
「なるべく迷惑は掛けないように守ってやるから安心しろ。それとできれば髪の毛と眼鏡、何とかしておいてくれ。それと服装はオフィス系で頼む」
――あなたは●ーコですか。ピー●のファッションチェックですか?
心がぐっさりと傷つき、倖は貧血を起こしかけた。
☆ ☆ ☆
嫌々ながらも髪の毛は束ねず、家にあった使い捨てコンタクトを付ける。
倖は自覚はしていたが、同性からはっきりと『ダサい』と言われ、少なからずショックではあった。更に社長からの駄目出しで傷口に塩を塗られた気分だった。
ラフな格好はやめて、スーツを着崩した感じで出社した。こっち系はてんで弱かった。
社内ではイメチェンですか?と聞かれまくったので気分転換だとごまかした。
倖は内線が鳴る度にワンコールで出る勇気が無くなっていた。電話から視線を外しつつも三回目で渋々取る。
「倖か? 今すぐ来い」
案の定、社長からだった。
――いきなり呼び捨てで呼び出しですか……。
机に手を掛けて、重たい腰を上げた。
昨日の今日だから契約でもさせられるのだろうかと、とぼとぼと社長室に向かった。秘書に通してもらって部屋の扉を開けてもらうと、高齢の男女が立っていた。二人は倖をまじまじと見ていた。恐る恐る部屋に入る。男性は明らかに会長だった。社内報やパンフレットでよく見かける顔だった。
「失礼しま……す」
「倖、おいで」
社長が弾ける笑顔を見せ、手を伸ばしてきた。ぞくりとした。この男も笑うのかと驚きつつも状況が全くつかめない。
どうしていいのか分からず、とりあえず社長の傍に寄ると腕を引っ張られた。
「紹介するよ、こちらが交際相手の峯島倖さん。こっちは俺の両親だ」
――ええ!? いきなりフリ開始ですか!?
うっかり条件反射で対応する。
「初めまして、峯島倖と申します。よろしくお願いします」
腕を振りほどいて会釈した。が、すぐに手を取られ、握られる。その手は社長の背中に引き寄せられたので、肩がこつんと社長に触れた。握られ慣れてないから手がむずむずした。
「本当に付き合ってるのか?」
突然社長の指が手のひらをくすぐり、倖の指を優しく絡め取る。ぞくっとして、倖は思わず顔が熱くなり俯いてしまった。
「その反応からして、本当のようね。疑って悪かったわ」
「だからそう言ってるだろ」
両親は渋々納得した様子だった。
「わかった。あちらの令嬢にはこちらから断りの連絡を入れておくから」
「そうしてくれると助かる」
社長の両親が部屋を出る間際に、社長が倖の耳元に息を吹きかけた。倖はぞわっとして軽く悲鳴を上げた。
倖は小声で「止めてってば」と社長を肩で小突いた。
その声を聞いた両親は、見ていられないといった様子で肩をすくめ、立ち去った。
扉が閉じられたと同時に、社長は手を離した。ふっと笑って机に体重を掛ける。倖は耳を手で覆った。
「上々だな」
「いきなりフリで呼び出すなんて……」
社長はストーカー女だけでなく、両親から持ち込まれる見合い話も一掃させるために倖を利用しようとしていた。
「もちろんそれなりの報酬は渡すと言っただろ。周りが落ち着いたら、別れたと伝えるから安心しろ」
社長が倖に近づき、真顔で鼻先に指を当てた。
「だがなフリといっても、全力で演じろ? これはビジネスだ。絶対に嘘だと悟られるな。分かったな」
「はぁい」
背中を仰け反らせて倖は返事をした。社長は頬を掴んだ。
「なんだその嫌そうな顔は」
「いへ。べちゅに」
「報酬で好きなだけゲームでも買え」
その言葉を聞いた倖が、間を置いた後、徐々ににやけだす。
「お前、本当にゲームが好きなんだな。報告書通りだな。頑張りようによっては、グッズとか手に入れて来てやろうか?」
「えっ」
倖は目を輝かせた。
「分かり易いなお前。知り合いがいるからツテでもらってきてやる。早速だが契約書にサインしろ」
書面で逃げられない様にする手段はさすがだなと倖は感心した。倖はソファーに腰掛けて、契約書にサインをした。
「そういえば課長は私の事、どういう風に報告を上げてるのでしょうか」
社長は机に向き直り、書類を見直す。
「峯島倖三十二歳。一人暮らし。彼氏無し。彼氏がいたかどうか不明。それくらい付き合い無し。趣味はゲーム。ゲームに関しての会話は熱い。ゲームソフト発売日に残業を頼むのは難しい。恋愛に興味が無い。着飾る金があるならゲームを買う。干物女。
欲しいものはお金。そのお金の使い道はゲームを大音量で楽しむ為のマイホーム資金。ローンは組まずに一括購入希望。現在マンションか一戸建てのどちらにするか迷っている様子」
「はっ……」
課長の洞察力に驚愕した。言葉が何も出なかった。
「まずは少し自分磨きをしろ。職場でもその格好でいろよ。今日みたいにいつ呼び出すか分からないからな」
倖の不得意分野だった。というより、マイホームの為の貯金に手を出したくなかったというのが本音でもあった。同じ使うならゲームを買った方がまだましだった。
「何黙ってるんだよ」
社長は空気を読み、財布から何かを取り出して倖の胸元にそれを押し付けた。
「金か? だったらこれを使え。俺はもう行かないといけないから、じゃあな」
それを手で受け取るとそれはゴールドのクレジットカードだった。倖ははっとした。
「ま、待ってください社長!」
倖が腕を伸ばして引きとめるのを無視し、社長は鞄を掴んで颯爽と立ち去った。倖はその場に崩れ落ち、両手に納めたゴールドカードを見つめ、呟いた。
「待ってって言ったのに。クレジットカード、名義人しか使えないんですけど……」