第二十話 好きな人
「倖、お前は好きなやつとかいないよな?」
倖は答えなかった。友樹が好きだと自覚しても、それを言葉に出すつもりはなかった。
「なぜ、黙ってるんだ。お前、もしかして」
「います。好きな人」
友樹はその言葉にがつんと衝撃を受けた。
「い、いつからだ?」
「……最近です」
顔を真っ赤にして倖は俯いた。友樹は言葉を失った。
「友樹は? 友樹もいるんでしょ。好きな人」
逆に聞かれて友樹はその言葉に対して返事をした。
「……ああ、いる」
それは倖、お前の事だ。そう喉まで出かかったが、倖に好きな人がいるというショックが大きすぎて、最後まで言う勇気が出なかった。
体から血の気が引いていくのが分かった。告白以前に大問題が待ち受けていようとは。
倖が仕事を終わらせたがっていた理由はこれだったのだと友樹は理解した。
「そう、だったのか。最後に食事でもするか。それでこの仕事も終わりにしよう」
「……はい」
倖は苦笑していた。
友樹の浮かれていた心が、今度は未練で一杯になる。最後の食事は何とも味気なかった。
「帰ろう。送る」
やたらと倖の体に触れていた友樹は、最後にすると伝えてから一切触れなくなった。その事は倖自身に寂しさを覚えた。
☆ ☆ ☆
友樹の車に乗り込むが、互いに無言だった。
――これで終わる。
倖はスカートを選んだことを後悔した。よりにもよって、膝上スカートを。
座ると思いのほかめくれあがって足が露出する。エアコンの風のせいなのか、シートが倒れ気味のせいなのか。
さりげなくスカートの裾を引っ張るが、どうも気になって仕方ないのでコートを脱いで膝に掛ける。
それに気が付いた友樹は倖が寒がっているのだろうと、体を冷やさないために暖房の温度を上げた。
しばらくすると倖は顔が火照りだした。息苦しさを感じるほどの温度の上がり様だった。仕方なく、もう一枚カーディガンを脱いだ。
最後の最後で倖が取りだした行動を見て、友樹は驚かずにはいられなかった。
「まさかとは思うが……。倖お前、それ誘ってるのか?」
「何言っちゃってるんですか! 違います。暑くて脱いだんです!」
倖はカーディガンを羽織りなおした。
そうだよな、と心で呟き、友樹は溜め息を漏らして運転に集中した。
倖は熱さから逃れるためにガラスに寄りかかる。ひんやりして気持ち良かった。
そして何よりも眠かった。月末締めで残業の日々、そして最後の夜。精神的にも体力的にも疲労が増していた。
高級車は外の音が殆ど聞こえず静か過ぎた。さらに車内にジャズが流れていて疲れていた倖は舟をこぎ出した。
「寝てろ」
「寝ませんよ」
その声で意識が戻り、倖は必死に目を覚まそうとした。送ってもらう手前、寝てはいけない。それだけは何としても避けなければ。けれども、ちょっとだけ……。瞼を閉じるとそのまま意識が飛んでしまった。
はっと気が付いた時には、会社の近くの港のあたりに車が停められていた。ネオンが水面に映り、夜景が綺麗だった。
友樹はハンドルにもたれかけて倖の顔を見ていた。
「寝てしまってすみません。今何時ですか?」
車内の時計を見ようとシートベルトを外して上体を起こした所で、頭を引き寄せられて唇がぶつかる。
「ちょっと……、友樹?」
押し離そうとしても友樹に肩を掴まれていたので、振りほどくことができなかった。荒い吐息を漏らしながら友樹は執拗に唇を何度も押し当てる。時々舌が入りこもうとするので体を後ろに逃がして退避した。
本能的にこれはまずいと思った。
――女なら誰でもいい。
初めの頃、友樹は女に困っていないと言った。そのうちの一人にはなりたくなかった。
その女性の中で友樹は好きな女性と巡り合えているくせに。
倖は全力で押し離した。
友樹はあと僅かという所の距離を保ちながら、倖の顔を見つめていた。距離が近すぎて倖は戸惑った。このままではまたいつすぐにキスされるか分からない。
「こ、こういう事はやめて下さい」
「こういう事って?」
「だからキスとかですよ」
良く見ると友樹の唇に倖の口紅が様々な向きで付いていた。
――ちょっとこれ、すごい事になってる。
倖は親指でそれを拭い取った。倖にとって、これは無意識だった。その動きで友樹の男スイッチが入った。まるで磁石で引き寄せ合うように、倖の唇に吸い付いた。
「んんっ!?」
静寂な車内で、二人の吐息がいやらしさを増した。雰囲気に呑まれそうになった倖は抵抗した。
「……やめてっ」
野獣のような熱いキスをされ、倖の体が熱くなる。体は何かを欲している。流されそうだった。
倖は慌ててドアノブを探し、引っ張るが感触が無かった。
――ドアロックされてる。
倖はパニックに陥った。