第十九話 最後の仕事
週末、倖は部屋で気持ちを落ち着かせるため、のんびり過ごしていた。
そんな時、未だに体調を心配している友樹から自宅へ招かれてしまった。というより、以前同様迎えに来て強引に連れ出されたと言っても過言ではない。
助手席に座りたくないとあれだけ思っていたのに、いざ座るとそんな気持ちはどこかへいってしまっていた。
体調は大丈夫だといくら言ってもやたらと友樹は心配していた。
それもそのはず。友樹がやたらと見つめてくるものだから、倖の顔は赤みを帯び続けていた。
強引に連れ出されるときに、友樹の家でゲームをしていいからと許可が下りていた。
気分を変える為にゲームを始めると、倖はいつの間にかゲームに没頭していた。
☆ ☆ ☆
倖といると友樹の胸は高鳴ってしまう。
「困ったな」
一緒にいたいと思うのに、いざ倖が傍にいると心が落ち着かない。
リングケースをポケットにしまいこみ、友樹はリビングに戻ると、テレビの前で黙々とゲームをしている倖の姿を見つける。
――そんなに楽しいものなのかね。
友樹は横から倖を覗き込む。そして友樹の目が見開いていく。
「……おい? 倖」
「何ですか」
倖は画面から目を離さずに答える。友樹は倖の肩を揺らした。
「お前、ほとんど瞬きしてないぞ?」
「してますよ? 瞬き」
ほら、と目をぱちぱちと瞬かせる。
「いや、絶対おかしい。今ずっと見ていたが、殆どしていなかった! お前、だから目が悪いんだろ」
「そんな事ありません。元からです」
テレビから目を離さずに会話を続け、挙句の果てに屁理屈を言い出す倖に、友樹は苛つきを覚える。
「止めなさい! ゲームは一時間遊んだら休憩する事!」
「あぁあー! 約束と違いますう」
友樹は倖からコントローラーをもぎ取った。
倖は傍にあったクッションを抱きかかえ、そのまま真横に倒れ込んだ。
「うーうー、ゲームがしたいよお」
「お前は子供か! 病み上がりなんだし、少しは我慢しろ。そんな目をしたって無駄だぞ」
倖はクッションから半分顔を出して、目を潤ませていた。友樹に真横から見つめられ、緊張のあまり瞬きが出来なくなっていた。
「ほら、これをやる」
「何ですか?」
正座をして倖はそれを受け取る。リングケースを渡された。その蓋を開けると眩しく輝く指輪がお目見えした。指輪を取り出し、光にかざした。
「どう、したんですか? これ」
「指輪だ」
「それは……、見ればわかりますよっ」
「倖に、やる」
口があんぐりと開かれたまま、倖は呆けていた。
素直に本当の事を言えば受け取ってくれるだろうか。いや、それは絶対にありえない。臆病風に吹かれた友樹は咄嗟に別なことを口走る。
「恋人のフリには欠かせないだろ」
「返します。こんな高価なものは持ち歩けません」
「……持ち歩け! というか指に付けておけ」
倖は頑なにそれを受け取ろうとしてくれなかった。一体どうしたらそれを受け取ってくれるのか、頭を悩ませる。
「恋人のフリとか言ってますけど、もう必要ないですよね? 結構落ち着いてきていると思うんですけど。そろそろ終わりにしてもいいんじゃないんですか?」
倖はそろそろこの仕事を終わらせたかった。これ以上一緒に居ると、好きという自覚が強くなるばかりだった。今日はそれもあり、友樹の誘いに乗っていた。
倖にそこを突っ込まれると思っていなかった。友樹にとって、倖と一緒にいるための理由が欲しかった。
「……て、しまったんだ」
「え?」
「お前と婚約したって、両親に言ってしまった。それは婚約指輪だ」
「えぇえー……」
土壇場の嘘とはいえ、ショックを受けている倖の顔を見て、友樹もショックを受けた。フリを続けるのがそんなに嫌だったとは。
「だからって、こんなお金の無駄遣いは駄目ですよ! もうっ」
金銭感覚がおかしすぎるわ、と婚約指輪についた指紋を綺麗に拭って、ケースにしまっていた。倖が少しだけずれている女性でよかった、と友樹はほっとした。
友樹は閃いてしまった。
「倖、早速で悪いが両親と会ってくれるか? 婚約者として一度会わせて安心させておきたい。これが最後の仕事だ。指輪は今からつけておけ」
「わかりました」
これが最後と言われ、倖は胸を撫で下ろしていた。これ以上偽って一緒にいると辛くなる。深みにはまる前にさっさと終わらせたかった。
会う日を決めてくると自室に戻る友樹を見届け、倖はソファーで安堵の息を漏らした。
☆ ☆ ☆
両親に会わせた後に告白しよう。友樹は決心していた。今すぐに良い返事はもらえなくてもいい。告白すれば倖の心が動くかもしれない。今回の『婚約』という雰囲気に吞まれることを願って。
友樹はそう思い立ったらいてもたってもいられなくなった。
子機を手に持ち、両親に連絡を入れる。両親は二つ返事で挨拶に行くことを了承してくれたが、電話の向こうで妙なハイテンションになっていたことには、気が付かなかったことにする。
「行こう。両親が今すぐ会いたいそうだ。近くの懐石料理屋で待ち合わせになった」
「今すぐですか!?」
倖が驚くのも無理はない。友樹が何度『改めて、後日』と両親に伝えても聞こうとしてくれなかった。けれど友樹も早く倖に告白したかったので、あえて日を改めるのをやめた。
「体調の事もあるだろうから、あまり長くはならないようにしてやるから。それなら大丈夫だろ?」
「……はい」
一度倖の自宅に寄り、倖に着替えをさせてから待ち合わせ場所に移動した。
☆ ☆ ☆
懐石料理屋に到着すると友樹の両親は既に席に着いていた。満面の笑みで倖を出迎えた。
「ようやく落ち着いてくれて、安心したぞ」
「可愛らしいお嬢さんだこと」
倖は口を開いては閉じるを繰り返し、静かに微笑んでいた。下手に口を開いて、嘘だとばれたくなかったのもあった。
友樹の両親から馴れ初めやらを尋ねられても、友樹が余裕しゃくしゃくたる態度で嘘を吐きまくっていた。
途中から、経営やら何やらと難しい話題に切り替わる。
――言っている意味がわかんない。
倖は一人取り残された気分を味わいつつ、終始作り笑いでごまかしていた。
長く感じられた食事会はほんの数時間しか経っていなかった。友樹がうまくその場をお開きにしてくれて、ようやく解放された。
「社長、疲れまぢた」
「お疲れさん。だけどな」
後頭部に手を添えて、ぐいっと引き寄せられた。耳元で唸る声がした。
「二人でいる時は名前で呼べって言っただろうが!」
「いっ、いたたた! うっかり口が滑っただけですってば」
頭に額をぐりぐりと押し付けられ、倖は悲鳴を上げた。
「お前、全然食べてないだろ」
「緊張してしまって……」
「お前でも緊張するのか」
「あうー」
頭をくしゃりと撫でた。友樹は心が弾んでいた。
「少しこのあたりを散策するか。インドアな倖をたまにはアウトドアにさせてやらないとな」
「そんな余力残ってませんよ」
疲労困憊した倖に対して、友樹は元気はつらつとしていた。
「いいだろ。ほら、ちゃんとついてこい」
手を握られ、引っ張られるようにして倖は歩き出した。友樹は倖の歩くスピードに合わせて、ゆっくりと歩いた。
倖が慣れない靴で足が疲れるだろうとたびたび休憩を挟む。
グラスを両手で持ち、倖は幸せそうにストローを口にくわえてジュースを飲んでいた。倖の薬指を友樹は時々眺めていた。
自分を振り回せる女性に出会ったのは倖が初めてだった。ゲーム以上に自分に夢中になったらどんな顔を見せてくれるのか、想像するだけでも楽しかった。
友樹は告白する言葉やタイミングを頭の中で構想を練っていた。こういったタイミングはとても大事だと理解していたからだ。
友樹はふと大事なことを思い出し、倖に問いかけた。その事を友樹はすぐに後悔することになる。
「倖、お前は好きな男とかいないよな?」
その言葉に倖は表情を変える。顔を上げ、黙って友樹の顔を見つめていた。
――どうして黙っているんだ? 倖……。