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恋人代行  作者: 植田
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第十六話 恋なんかじゃなかった

 手元の書類を見ながら倖はひたすらテンキーを打ち続ける。


 ぴたり、と指の動きが止まる。視界に入った受話器を見つめ、倖は放心する。

 仕事に集中する自信はあった。けれど友樹に関連するものを見たり聞いたりするだけで、頭の中は友樹の事で一杯になる。


 三度目のキスをされて、倖は気が付いてしまった。友樹に恋してしまっている事に。


 憎たらしい顔を思い出すだけで顔が火照る。友樹が酔っぱらっていた時の眼差しも、ベッドの上で囁かれた声もどうしても頭から離れない。


 その事を忘れたくて家でゲームをするも、集中力が切れるたびにどうしてもそちらに引き戻されるほど重症だった。

 頭を抱えて倖は唸りだした。


「ぐおお、あんな事さえなければ、こんな事にはならなかったはずなのにぃいっ!」


 ――気付きたくなかったよ、こんな気持ち。 


 友樹は、ノリでキスが出来る人。そういう男だから女に困っていないのだ。

 色々と考えるだけで気分が悪くなる。好きでもない人と簡単にキスが出来る友樹が許せなかった。



「仕事、しなくちゃ」


 これ以上余計なことを考えたくなくて、仕事を再開するために手元の書類に視線を落とす。


 ――仕事?

 

 頭からすっかり抜け落ちていた事を思い出す。これはそもそもビジネスであって、好きとか嫌いとか関係のない話だった。友樹は単にこの仕事を成功させる為に、やむなく取った手段だったのかもしれない。一度目は彼氏のフリをしてくれるため。二度目は、酔っぱらった勢いで……。二度目はちょっと許せることでは無かったけれど、三度目は確実にビジネスのため。全力でやれと言われた事を思い出す。そう考えると友樹の前回の行動は何も悪くなかった。


 慣れていない恋人のフリなんてしていたから、『恋』と勘違いしただけかもしれない。

 途端に倖の顔は明るくなる。


「どうしてそれに気が付かなかったかなー」


 倖は携帯電話を掴み、フロアを出た。歩きながら友樹の電話番号を表示させる。エレベータが見えた所で発信ボタンを押した。

 今週、友樹は会社で仕事だと言っていた。十九時を過ぎていたが、まだ会社にいるはず。


 エレベータ脇の全面ガラス窓に手を掛け、街の明かりを眺めながら発信音を聞いていた。


『倖、か? どうかしたか』


 友樹の柔らかい声を聞き、倖は俯き、笑みを零す。


「あ、あのね。今日って予定ある? たまには仕事抜きで食事なんてどうかなって思って」

『……』


 堅苦しく誘うつもりがつられてうっかりタメ口になってしまった。

 無言が続く。


「?」


 倖は携帯電話の画面を覗き込むと、通話時間は継続していた。もう一度耳に戻す。


「もしもし、繋がってます?」

『……あ、ああ。どうして仕事抜きで食事がしたいんだ?』


 珍しい。友樹が電話で倖の意見を聞いてくるなんて。倖は不思議な感覚に襲われた。ガラスに背中を預けて、天井を仰いだ。


「えっと、実は前回の事を会って謝りたくて」

『分かった。今会議中なんだ。三十分くらいで終わると思うから、終わり次第すぐに連絡する』

「わかりました」


 連絡は携帯電話にしてもらった。倖は仕事を片付けてリフレッシュルームでパックのジュースを少しずつ飲みながら待っていた。たくさん飲むとそれだけでお腹が満たされてしまいそうだった。

 時間よりも早く着信があり、倖はロビーの脇で友樹を待つ。


 コートと鞄を無造作に脇に抱えて友樹は息を切らせてやってきた。その足を止めることなく倖の手を取り歩き続ける。


「悪い、待たせたな」

「いいえ。会議、結構早く終わったんですね」

「いや、無理やり終わらせてきた」


 友樹は綻ぶ顔を隠さなくなった。その表情で倖を見つめると、すぐに視線を逸らされた。倖の体が冷えてしまっていないかが心配で、足早に駐車場へと連れて行く。


「会議中とは知らずに電話してすみません」

「いや、いいよ。幹部会議だし。会議と言っても数名での打ち合わせ程度のものだからな」


 車に乗り込むと、友樹はすぐに暖房をつける。倖はシートベルトを付けながら口を開いた。


「今日は私がご馳走します。といっても高いところは無理ですけど」

「いいよ、無理するな。どこに行く?」

「お店はあんまり知らないんですけど、友樹の行きたい場所があったらそこで。あんまり高くないところでお願いします」

「わかった」



 店に到着して駐車場に車を止め、倖と友樹は店へと歩き出す。


「ごめんなさいっ」


 店に入る前に倖は頭を下げた。友樹はその姿を見て呆気にとられる。


「どうして、謝るんだ?」

「だって、前回帰り際に雰囲気を悪くさせてしまって」

「それは……。俺がフリで調子に乗ったせいだろ。嫌な思いをさせて悪かったな」


 フリで調子に乗った……。

 ――ほらやっぱり仕事上の付き合いだった。気が付いてよかった。

 ほっとしたような、悲しいような。ちくんと胸の痛みを覚えつつも、倖は頬の筋肉に力を入れて必死に笑った。


「友樹は悪くないです、これは仕事なのに。私……、感情を表に出すなんて最低でした。ただ、キスはできれば無しにして下さいね。寒いのにこんなところで立ち話してすみません。さあ、入りましょ」


 友樹の背中を押して、倖は店内に入った。


 仕事……。

 友樹はその言葉で一線を引かれたと認識する。当たり前だ、これは仕事上の付き合いなのだ。心臓をえぐられるようなショックを受けつつ、背中を押している倖の手がとても温かく感じた。



 店内に入るとそこは個室だった。コース料理だったけれど、一名三千円程度からだったので、倖はほっとしていた。


「寒い夜には鍋もいいだろ。鍋だとそんなに太らないって聞いたことがあるからな」


 友樹は倖の為にこの店を選んだ。高い店だと落ち着かないだろうから、と。個室がある所を選んだのは友樹の個人的な感情からだった。




「結局ごちそうになってしまってすみません。美味しかったです」


 倖がいつもどおり笑顔を見せる。倖に嫌われてしまったと思っていた友樹はそれだけで気持ちが軽くなる。


「仕事、よろしく頼むな」

「はい」


 倖は軽い足取りでアパートへと帰っていった。



「……仕事、か」


 倖と契約した仕事の方はあらかた片付いていた。だけど終わらせる引き際のタイミングを濁しているのは友樹自身でもあった。


「あの調子だと、仕事が終ってお金が入ったらゲームに夢中になるだろうな」


 これからどうすべきか、今後の事を考えながら友樹は帰路に就く。

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