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恋人代行  作者: 植田
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第十四話 好きの自覚

「ん」


 友樹は目を覚まし、腕に力を入れると何かを抱きしめた。

 ――何だ?

 顎のあたりに女性の頭が見えた。腕の中にいる女性も目を覚まして、体を反転させた。


「社長、おはようございます」


 その声に驚き、腕を広げた。倖はようやく腕から解放され、体を起こした。


「まだ五時か、良かった。シャワーを借りてもいいですか?」

「あ、ああ」


 どうなってるんだ?

 互いに昨日の服を着たまま寝ていた。


 ふと昨日の事を思い出すと途端にむかむかしてきた。別の男にやすやすと体を触らせ、しかも下の名前を呼ばせるなんて。その後は――。


「そうか、昨日飲みを付き合わせて、そのまま送ってくれたのか」


 しかしなぜ抱きしめて寝ていたのかが思い出せなかった。

 思い出そうとすると邪魔をするものが現れた。


 フローリングの上を、チャッチャッと爪音を立ててそれはやってきた。足元で犬が、尻尾を振ってこちらを見ていた。放っておくと朝っぱらから吠えかねない。

 ずきりと痛む頭を押さえながら、餌を用意してやると無我夢中で食べ始めた。


 テーブルに腰かけ、肘を置いて項垂れた。


「あの女のどこがいいんだ?」


 自問自答してみる。

 同じ家にいて、今シャワーを浴びているのだと思うだけで体が熱くなり、頬が緩んだ。


「はあ、だめだ。自覚した」


 倖に対して独占欲が芽生えていた。



 ☆ ☆ ☆



 倖はシャワーを浴びながら、壁に手をついていた。


 昨日の友樹は別人のようだった。昨夜の事を思い出し、倖は指先を唇に運ぶ。

 一度ならず二度までも。

 ――キス、された。


 恋愛に疎い倖にはそれだけで刺激的だった。


 誰かと勘違いしてるのだと思った。けれど。


『倖、どこにいくんだ』


 ベッドに寝かせた友樹が倖の腕を掴んでベッドに引き込み、背後から抱き締めた。


『どこにもいくな。ここで寝ろ』


 腕に力が篭り、倖は友樹から逃げられなくなった。すぐに寝息を立てた友樹の腕から逃れようとするたびに、友樹は目を覚まして胸の中に引き戻す。

 そして耳元で、くすぐるように名前を呼ぶのだ。


『……倖』


 そのたびに愛おしそうに抱きしめられた、気がした。

 太い腕の中で、倖の心臓は破裂寸前だった。ドギマギと興奮状態だった倖は殆ど眠れずにいた。


「ああ、頭から離れない」


 社長の胸、意外と広かったな。

 腕の中にいた自分を思い出すだけで、シャワーで温まった体とは別に、頬が紅潮していく。


 ――勘違いしちゃダメ!


 頭を振り、こつんと壁に額を当てて溜め息を吐いた。


「あんなことされたら、誰だって本気になっちゃうよ」


 普段と違う優しい声。それを思い出すたびに眩暈を起こしかける。シャワーの音が耳に届き、それを顔で受け止めて左右に振った。


 フリを頼んだだけで、本気になられたら困るって言ってたじゃない。


 忘れなければ、と倖はやりかけのゲームの事を必死に思い出す。

 けれど今度は居酒屋の帰りの事が思い出される。途端に頬が熱くなり、自分の体をぎゅっと抱きしめた。

 ――何度も体を触られた。

 腰だけではなかった。脇腹から胸元に何度も手を滑らせてきたりもした。


「うおぉお、社長のえっち、えっちー!」


 今日は『友樹』と呼びたくなかった。距離を置いた言い方をしないと意識してしまいそうだった。

 シャンプーのポンプを数回押して、頭を洗い始めた。そしてそれを流すために思い切り目を瞑る。顔にシャワーのお湯が滴り落ちる。少しだけ涙も混ざっていた。


「大好きなゲームの事が思い出せないよおお」


 唸りながら、必死に体を洗った。



 ☆ ☆ ☆



 出社時、友樹が呼んだタクシーに同乗し、家の近くまで送ってもらった倖は部屋で着替えていた。


「やだ、これ」


 倖は体や髪の毛先を鼻先に運んでは嗅いでいた。


「なんだか体から社長の香りがする」


 ――社長のカ・オ・リ。

 途端に顔が熱くなる。


「うぉおおぅ。どうなってんの! 顔が熱いよお」


 隣の部屋から壁を叩かれた。


 条件反射で「ごめんなさい」と詫びた。ゲームに夢中になり、唸り声を上げては良く隣人に注意を受けていた。





 職場に行くと黒井が申し訳なさそうに倖のもとへとやってきた。


「峯島さん、ちょっといい?」


 黒井の顔を見て、はっとした。昨日の黒井との出来事がすっかり頭から抜け落ちていた。きっとその件だと倖は悟り、静かに黒井の後を追う。

 倖と黒井は人のいない通路の隅に移動した。


「昨日はごめんな」

「ううん、私の方こそ何か勘違いさせちゃってたみたいで」


 互いに俯き、言葉を選びながら口に出していた。


「その、彼氏さんの事は誰にも言わないから」

「ありがと。……あのさ」

「ん?」

「黒井は、私じゃなくて清野さんの方がお似合いだと思うな。昨日の事はお互いに忘れようね。先に仕事に戻るね」


 倖は言うだけ言って、さっさとフロアへと消えていった。


 黒井は呆然としていた。

 ――清野って、清野妙子の事だよな。

 どうして突然そんな話題に飛ぶのか、黒井は理解できなかった。


 清野妙子は同じ経理部の二十三歳の女性だった。肩までの長さで髪にふわふわしたウェーブを掛けて太陽のように明るく笑う印象しかなかった。


 清野の事を思い出していると、偶然ゲーム仲間の一人が横を通り過ぎた。


「おい、お前らのせいでとんでもない恥をかいたぞ」

「何のことだ?」


 黒井は腰に手を当て、イライラを吐き出した。


「峯島さんに告白したらフラれたじゃないか。どこが俺の事を気にしてるだよ。お前たちがそそのかすから俺、本気にしちゃって恥ずかしい思いをしたんだからな」

「えー! 本当かよ……。それは悪かったよ」


 毎日のように茶化したり、煽ってしまっていたその男は負い目を感じる。

 罰が悪そうに彼は黒井の肩を二度叩き、肩を並べて一緒にフロアに戻った。


 ふと黒井は、倖に清野の名を言われた事を思い出す。

 頭を捻りながら清野の席を見る。すると彼女と視線が合った。彼女は露骨に視線を逸らした。

 ――なんだ?


 それはかなりの確率で起き、数か月後二人は交際へと発展していく。

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