第十一話 勘違い
定時後、倖は食材を買う為に自宅とは逆方向の駅に向かう。
「峯島さん」
振り返ると、同僚の黒井が息を切らせて駆け寄ってきた。少しだけ笑みをこぼして。
「帰りに会うなんて珍しいね。いつも退社する時は、あっという間に帰っていくのに」
「うん、今日は駅の方に用事があって」
「じゃあ、一緒に駅まで行こうか」
黒井は二十九歳。倖よりも三つ年下だった。ショートヘアに少しだけワックスを付けて、躍動感のある髪はふわふわと揺れていた。中肉中背ながらもスーツをぴったりと着こなし、清潔感がある。そんな彼はフロア内では爽やか好青年として、男女問わず好かれていた。話しやすいのもあるが、笑い声がとても心地よく、彼と話す相手は誰もがつられて笑ってしまうほどだ。
陰で彼のファンは多い。倖の耳にも届いていたが、やはり倖のタイプではなかった。
「あれ? 今日はゲームの発売日じゃないよね」
「うん、違うよ。今日は必需品の買い出しなの。黒井、そういえば××買う?」
「それ、別機種で発売されるやつだろ? しばらくは様子見かな。面白そうではあるんだけどね」
「だよねえ。私は気にはなってるんだけど予算の都合上、見送ろうと思ってるの」
倖は購入するゲームソフトの数を制限していた。
今回の仕事が終れば、極秘の一時金が手に入る。
あの額からして一度や二度で終わる仕事だとは思っていなかった。いつ終わるかも分からない仕事だが、ここまでくるとお金が手に入るのは楽しみでならなかった。
どうせあぶく銭だし、元々無いお金だと思って、貯金せずに全部使ってしまおう。友樹もそう言ってくれているし。
まず一番はじめに購入するもの。それは今まで逃していた諦められなかったゲームソフト。全部手に入れても余裕でお金は残る。
残りのお金の使い道、か……。
倖は呟き、すっかり日の沈んだ星空を仰いだ。
「引っ越そうかな」
黒井は目を瞬かせ、倖を見た。
「どうしたの? 急に」
「んー。前から思ってたんだけどね。ほら私アパート暮らしでしょ。壁が薄いのが気になってたの。それにもう少し広い部屋に引っ越したいなと思って。ゲームだらけで人も呼べない広さだし」
友樹が来た時、座る場所がベッドか倖の定位置しかなかった。勝手に遊びに来たとはいえ、結局社長である友樹を立ちっぱなしで居させてしまった事を少々後悔していた。
そして友樹の自宅に行ってから、自分の部屋が窮屈に感じて仕方無かった。
狭くてもいいからゲーム専用の部屋が欲しくなる。少しくらい家賃が上がっても、報酬でどうにか補えそうだし。
倖はいずれ手に入るであろう一時金の使い道を考えて、にまにましていた。
一方、黒井は目を見開いていた。
――壁が、薄い!? 壁が薄くて困る事って……。
しかも人が呼べないって、誰を呼ぼうとしてるんだ!?
駄目だ、頭がおかしな妄想をし始めた、と黒井は頭を振る。
倖はふと気が付いた。一時金を確実に手に入れる為には、この仕事を成功させねばならない事に。
友樹は会うたびに倖のファッションにいちいち辛口コメントを付けていた。
まずは見た目をどうにかしなければ。社長クラスの人が見ても、友樹に迷惑の掛からない格好が一番いいのだけど。
「ねえ黒井。男性の好きな格好って何?」
「……え? ……へ?」
「やっぱりスカート?」
「え、と。スカートも良いけど、本人が似あう格好なら何でもいいと思うけど」
顔を覗き込むようにして、倖に聞かれ、黒井はどぎまぎした。自分のタイプを聞いているのだろうか。的外れな解答だけは避けなければと、無難な返事をした。
倖は以前、友樹に服装の事を尋ねた事があったが、ブランド名や聞きなれない服のデザインをつらつらと言われ、頭に全然入ってこなかった。要はどんな格好ならいいのか分からずじまいだった。そして黒井のざっくりとした返事で、やはりすっきりしなかった。
「そっか」
残念そうに答える倖を見て、黒井はうっかり自分の希望を口にする。
「峯島さんはジーンズが多かったけど、時々着てくるスカートも似合ってたよ。膝上スカートにブーツとかもいいかも」
「……スカートか」
「黒井、ありがとね。私こっちだから。またね、お疲れ様!」
「お疲れ様」
黒井は、駅ビル内へと消えていく倖をぼーっと眺めていた。
「やべ、どきどきいってら」
胸を押さえて黒井は赤面する顔を他人に見られないように俯いていた。
倖はとある店の前で立ち止まっていた。
やはりスカートがいいのか。これからの時期は寒いからパンツ系と思っていたけど、黒井の言うようにブーツという手もある。
店内をうろつく。適当にディスプレイのスカートを一つ手に取り、腰に合わせて鏡の前に立つ。
「うっ、短すぎ……」
どのスカートも膝上のものばかりだった。ふいに友樹がスカートを好んでいたのを思い出す。文句を言われるよりはマシだ。仕方がない。
傍のマネキンに付けられていた札の文字に目がいった。その文字に目を通す。
「思い出した! フェミニンがどうとか言ってた。それってこのファッションの事なのか」
顎に手を当て、マネキンを睨み付ける。値札を探し出して覗き込むと自然と目が丸くなる。
――け、結構高い。しかもこれ、私に似合うの?
わからない。だが、手持ちの服よりは全然マシだと実感する。
出費がかさんでしまうが友樹はお金持ちだし、いいよね。買っちゃえ、買っちゃえ。
倖は店員を呼びとめた。
そうして駅ビルを後にした倖の手には大きな袋がいくつも握られていた。小心者な倖はマネキンが着ていた上下以外は結局全てセール品を購入した。目的の食材も無事に手に入れる。
「こんなにいろいろ買うのって久しぶり。ウキウキしてる」
ゲーム以外で胸が高鳴るなんて。
この服を着て仕事に行くのが楽しみ。こんな楽しさを教えてくれた友樹に感謝しつつ、重たい荷物を何度も持ち替えながら帰宅した。