第十話 社長の自宅
「想像と違う」
「一体何を想像していたんだ」
倖は高級なタワーマンションを想像していたが、友樹の自宅は一般的な賃貸マンションだった。お金を惜しまず、暮らす家にも妥協しないのだと勝手に思い込んでいた。
「ものすごい所に住んでいると思っていました。キッズルームやジムがあったりするのかと」
「それは分譲だろ。まあ、急を要しての引っ越しだったからな。条件が合う所ならどこでも良かった。どうせ帰っても寝るだけだし」
オートロックを解除して、エレベータに乗り込む。十二階建ての七階に友樹の自宅があった。
友樹のドア越しにわずかながら犬の鳴き声が聞こえる。
ドアを開けると、主人を待ちわびた犬が尻尾をぶんぶん振ってお出迎えをしていた。
「犬を飼ってたんですか。これ、何ていう種類ですか?」
「まあな。たしか、ミニチュアシュナウザーだ」
――たしか?
倖は疑問を抱きつつも、犬の行動を観察した。
主人の顔を見ながら嬉しそうにその場を一周する。ふと見知らぬ顔が視界に入った犬は、倖と目がかちあった瞬間笑みが消え、瞳孔が開いた。途端に口元を吊り上げ、牙をむきだして唸りだす。
倖はこの犬を冷ややかな目で見つめた。
――友樹に似て、可愛くない。
犬に威嚇されながらも、倖は気にせず部屋に上がる。
「犬の名前は何て言うんですか?」
「付けてない」
「え? じゃあ、どうやって呼ぶんですか?」
「適当だ」
犬が少しだけ不憫に思えた。
同情の眼差しを向けたあと、倖は友樹の後に続いた。
賃貸といえども、家の中は広かった。倖もお返しとばかりに部屋を覗いていく。
玄関を入ってすぐ左に六畳、右には四畳ほどの部屋があった。足を進めると、右手奥に洗面所とお風呂とトイレ、少し先の左側にはカウンターキッチンが備え付けられていた。廊下を抜けると広いリビングが見えた。リビングは倖の部屋の二倍はあった。
「広い……、こんなところに一人で暮らしているなんて」
友樹はまとわりつく犬を無視し、テレビの前に倖のゲーム機を運んでいた。
「わあ、すっごくおっきいテレビ……」
倖の目は輝いていた。友樹は思わず吹き出しそうになるのを堪えた。
「好きなだけ、遊んでいいぞ」
ラグの敷かれた床にぺたりと座り込み、倖はテレビにケーブルを繋ぎ始めた。セッティングを終えた倖は、ほくほくした表情でゲームの電源を入れた。
「音が良いー」
コントローラーを握りしめ、テレビの真ん前を陣取ってゲームを始めようとしている倖に友樹は思わず声を掛けた。どう見ても画面に近すぎる。
「おい」
倖と犬が同時に振り向く。友樹は犬のほうに視線がいってしまった。尻尾の振り方が尋常ではなかった。友樹の視線の先に、倖も顔を向けた。
「もしかしてこの犬、自分の名前が『おい』だと思ってません?」
「まさか。そんな風に呼んでいる記憶はないが」
「おい」
倖が呼びかけるが無反応だった。
友樹が渋々その名前で呼ぶと、更に喜び、足元でジャンプした。
「ほら、やっぱりそうですよ」
――そう言われてみれば、俺の口癖かもしれない。
友樹はこめかみを押さえた。
「とにかく、倖。画面からもう少し離れろ。近すぎる」
「あ、そう言われてみれば。自分ちのテレビの感覚でした」
「それにしたって近すぎるだろ」
倖をソファーに座らせ、ゲーム機本体をガラステーブルの上に乗せてやると、コントローラを握った倖はすぐにテレビに釘付けになる。
ゲームを楽しそうにプレイする倖を見て、友樹は脇をつついてみる。すると変な声を上げる。
「なんですかっ、もう。ちょっとこっち見ないで! ゲームがやりにくいです!」
倖の細い指で肩を押されても友樹は微動だにしなかった。友樹は倖の方に体を向け、ソファーにもたれて覗き込んでいた。
倖は友樹の行動のせいでどうにも集中できず、結局ゲームを断念した。
犬が少し離れたところで腰を下ろして寛いでいた。
「そういえばこの犬、買ったんですか?」
「貰った。というより強制的に受け取らされた」
「誰からですか?」
倖の顔を一瞬見た後、友樹は目を逸らした。
「女だ」
「ははあ、さすが女に不便していないだけありますねー」
倖は手元にあったクッションを抱きよせ、ずるずるとソファーに沈んだ。
友樹は咳き込むように答えた。
「さ、最近はそんな事はないぞ?」
反応が無くなったので倖を見るとソファーに横たわり、寝息を立てていた。
「ありえん……」
毛布を倖の膝元に掛けてやる。床に座り、ソファーに肘を置いて熟睡する倖の寝顔を眺めた。
――長い睫毛だな。
睫毛にそっと触れるとぴくぴくと瞼が動いた。けれど目を覚ますことはなかった。
友樹は残していた仕事を進めるために立ち上がり、書斎にこもった。
倖はゲームのやり過ぎで二時間しか睡眠をとっていなかった。ふかふかのソファーに身を委ねた途端、倖は睡魔に襲われていた。
数時間後、倖は目を覚まし、友樹を捜し歩いていた。仕事に集中していた友樹はその声で手を休めた。
「そろそろ昼か。ご飯でも食べに行くか」
ジャケットを羽織り、財布の入ったカバンを取ろうと腕を伸ばす。倖にその腕を掴まれた。
「私が、作ります」
友樹はその言葉を耳にした途端、苦虫を噛み潰したような顔をした。
『私の手料理、どう? 美味しい?』
過去の女に押し付けがましく作っては感想を聞いてくるものが何人かいた。
――私は料理ができるの。だから結婚相手として私を見て。
女たちは俺ではなく『社長』という肩書と収入に魅力を感じているのが丸見えだった。
結婚願望が無い友樹にとっては、それだけで重荷に感じていた。
倖もあの女たちと同じなのかと、苛つきそうになる。
「外食はお金がもったいないです!」
倖の声で、現実に引き戻された。
そしてすぐにその意味を理解した。
――外食一回分で、ゲームソフトが一つ買えちゃいます。
倖ならきっとこう思うかもしれない。
友樹は笑い出した。
「えっ? 私が料理できないとか思ってました?」
「ああ、そうだな。ゲーム以外でも得意な分野があるのか?」
「ありますよー。ゲームの為なら、節約の努力は惜しみません」
拳を作り、肘を曲げて見せた。
「おかしなやつだな」
腹がよじれそうなほど友樹は声を出して笑う。その姿に倖は不機嫌そうに口を尖らせていた。
倖のご機嫌を取るために、頭を引き寄せた。
「よし、食材でも買いに行くか。是非とも、倖ご自慢の手料理を食べてみようじゃないか」
「あー、何ですか。その上から目線は!」
「口に合わなかったら、外食だぞ。もちろん報酬から差し引く」
「それはダメです! 契約違反ですよ!」
その日、何度笑ったかわからないほど、友樹の心は満たされていた。