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恋人代行  作者: 植田
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第一話 きっかけ

「よし、終わった」


 仕事を終えたさちは立ち上がり、鞄を手に持った。


「ゲームの続きが出来る」


 腕時計を見ると二十時を過ぎたあたりだった。帰宅まで歩いて十五分、シャワーを浴びて簡単な夕飯で済ませたとしても二十一時前にはゲームを始められる。くふふとにやけながら、エレベーターに乗り込む。

 倖は通勤時間が惜しくて、会社近くの安いアパートで暮らしていた。


 峯島みねしまさち三十二歳。ゲームに夢中になり過ぎて恋をする間もなく、気が付けばこの年に。結婚願望のない倖はゲームさえあれば満足だった。いつかは大音量、大画面のテレビでゲームをする事を夢見て、マイホーム資金をせっせと貯金していた。

 目標額まで貯金はまだまだ足りないが、ゲームの為に仕事を頑張っていた。



 エレベーターが一階へ到着し、扉が開く。早く開いてほしくてうずうずしていた。すり抜けられる程度の隙間ができると、倖は飛び出した。

 早歩きで帰れば、十五分はかからない。倖は少しずつ駆け足になっていく。


 照明が必要最低限にまで落とされたロビーで、男の後を女が追う姿が見えた。女が男の腕を掴むと、男はその腕を払いのけ、口論が始まる。

 ――痴話喧嘩か。

 関心のない倖は彼らを無視してロビーを駆け抜ける。が、突然顔面に衝撃を受けた。


「遅かったじゃないか」

「ほえ」


 顔に当たったのは、痴話喧嘩真っ最中の男の体だった。男は倖の肩に手をのせ、耳元で囁いた。


「すまないが、話を合わせてくれ」

「何よ、その女!」


 上品なスーツを身に纏い、妖艶なスタイルを持ち合わせた美女がヒステリックに騒ぎ出す。


「俺の恋人だ」

「嘘でしょ? あなた恋人はいないって言ったじゃない」


 ――えぇえ!?

 突如修羅場に放り込まれた倖は動揺した。


 これを切り抜ける方法が二択しか思い浮かばなかった。

  ①無視して立ち去る。

  ②男に協力する。

 頭の中がゲーム感覚に陥った。


 ゲームだったら絶対に②を選ぶ。その後のイベントが見たくなるから。

 けれど面倒なことに巻き込まれるのもちょっとな……。

 倖は目を瞑り、考えた。


 男は困った様子で倖を見ていた。


 その表情を見てしまうと、①を選ぶと後味が悪そうだった。

 選択肢が決まると、倖は男の頬に顔を寄せた。


「ごめんなさい。思ったより時間が掛かって掛かってしまって」


 男の肩に手を当てて、彼の頬にキスをするふりをした。女に顔を見られたくなかったので胸に顔を埋めた。

 こんな感じでいいのかな?

 倖は男の顔をちらりと覗き込む。男は安心した表情を見せ、倖の肩に手をまわす。


「失礼しちゃう!」


 その女は頭に血を上らせ、ロビーから消えていった。その姿が見えなくなると男は胸をなでおろし、倖から離れた。


「すまない、助かった。君、名前は?」


 ――よし、完了。

 倖は名乗らず鞄を肩に掛け直して、足早に立ち去った。


「あっ、君!」


「今日はRPGはやめて、恋愛ゲームにしよっと」


 とにかく倖は早く帰宅してゲームがしたかった。



 ☆ ☆ ☆



「峯島君、ちょっと」


 翌日、倖は加藤課長から呼び出された。けれどいつもと様子が違い、通路の方から手招きしている。そして誰も使用していない会議室に通された。

 中年太りの加藤課長はハンカチで額の汗を拭っていた。倖は課長の仕草を目で追っていた。


「君は社長と面識があるそうだね」

「……へ? ありませんけど」

「おかしいな。さっき社長からうちの部署に『メガネを掛けて、一つに髪を束ねた女性が働いているだろう』って電話が来たから君だと思ってしまったよ」

「……私しかいないじゃないですか、その格好」

「だろ? そんな君に、仕事を依頼したいそうだよ」

「仕事、ですか?」


 課長は頬に手を当て、倖の耳元で声が漏れないように囁いた。


「社長がもう一度恋人のフリを頼みたい、と」


 その言葉で、もやもやしたものがすっきりしてしまった。

 昨日の男は社長だったのか! 


「お断りします」


 踵を返して会議室から立ち去ろうとした瞬間、課長に肩をがっしと掴まれた。


「だめだっ。この話を聞いてしまった以上、君に断る権利は無いんだよ!」

「ど、どういう事ですか?」

「これは極秘なんだ。この件が実行できなかった場合、それに関わった人間はクビになる」


 倖は課長の顔をまじまじと見つめた。どうやら課長にふざけている様子はなかった。


「嘘ですよね? それにこういった内容でしたら、私ではなくても他に適した女性がいますよね」


 倖はファッションに無頓着だった。黒髪を一つに結わき、化粧っ気もなければ、安価な眼鏡を掛けていた。


「それが、口の堅さも条件らしくてな……。こんな内容だとは知らず、『彼女はどんな性格だ?』と聞かれたもので、うっかり君の事を先に話してしまったんだよ」


 倖の、口の堅さはお墨付きだった。そもそも人の噂話には興味がないからである。但しゲーム関連の情報に関しての口は軽い。


「事情は分からないが、峯島は一度手伝っているんだろう? 社長が、出来れば他の人には知られたくないと言っている。俺だって困ってるんだ。峯島~、どうか助けてくれ! クビになったらカミさんにどやされるだけでは済まされないんだよお」


 頼むう~、と肩を揺すられて課長は懇願した。

 課長は四十代後半。お子さんは確か、上から高校生・中学生、下はまだ幼稚園児だと聞いたことがある。課長は必死に倖を引きとめるが、倖には何のメリットもなかった。


「うさん臭すぎます。私は断固お断りします。それでは!」


 真顔で敬礼し、課長めがけて手をこめかみから離してその場を後にした。

 課長の「みねしまぁああ」と悲痛の叫びを背中にうけながら。


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