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精霊舟

作者: 星賀勇一郎
掲載日:2025/10/18





夏の噎せ返る様な海の香りは嫌いじゃない。

冬の澄んだ海ではなく、緑に近い海を見ながら私はそう思った。


昔はこんな海でも大勢の子供が泳ぎ、その声が絶えなかったこの町も、今ではひっそりと波の音を奏でているだけだった。


波が立つ度に、繋がれた舟がカコンカコンと船体を擦る。

そして遅れて波音が立つ。

そんな様子を日がな一日眺めていた。

防波堤に座り、そんな事をしていても誰も気にかけない。

そんな時間の流れが違った町だった。


「ヒサオじゃなかとね……」


不意に後ろから声を掛けられた。

懐かしい顔だった。

死んだばあさんの妹で、近くに嫁いだ和子小母さんだった。


「和子小母さん」


和子小母さんは顔をくしゃくしゃにして微笑みながら私の傍に来た。


「いつ帰って来たとね……」


私の袖を掴む様にして言う。


「今日の朝、帰って来た」


和子小母さんは何度か頷き、


「お盆じゃけんね」


と言う。


「墓参りだけしたら帰るつもりたい……」


「明日は精霊流しばい。それまでおったら良かったい」


私は頷き、


「考えとくたい」


そう答えるとまた海に視線を移した。


「墓参りにでも行かんと会えんもんね……」


和子小母さんはそう言うと手を挙げて家の方へと路地を入って行った。

私はそれを目で追うと、また海を見た。

この町の海の香りは昔と少しも変わらなかった。






岸壁沿いの道を歩く。

何人かの人に出会ったが、知った顔はなかった。

何にもない漁師の町。

夏のこの時期は朝早くに漁に出かけ、昼過ぎには船を岸壁に着けて家に帰る。

既に飲んだくれて寝ている者もいるだろう。


高校を出ると、若い奴は皆、この町から出て行く。

早い奴は寮に入り高校に通うので、親元を離れるのは早い。

そのため、この町に残る若い奴は皆無に等しい。

私もその類で、高校卒業と同時にこの町を出た。


海の近くまで迫る山では油蝉がけたたましい声を上げ、最後の数日を拒む様だった。


目の前が海で後ろが山。

自然しかない町で、娯楽など一つもなく、暇があれば魚を釣り、山に入りカブトムシやクワガタを採っていた。

あの頃は一日中、海に釣り糸を垂らしていても平気だった。

今では一時間もやると飽きてしまうかもしれない。

それ以前にこの暑さにやられてしまいそうだ。


岸壁にある色の剥げた係船柱に座る少年が目に入った。

私はゆっくりとその少年に近づく。

見た感じ小学校に入るか入らないかの年頃に見えた。

少年も私に気付いたのか、見上げる様にして私に微笑んだ。


「泳がんとか」


私はそう言いながら少年の横にしゃがみ込んだ。


「もう、イラの出とるけん、泳げんとよ」


少年は海を見てそう言った。


イラとは毒を持つクラゲの事で、これに刺されるとひどく腫れる。

この町ではお盆近くになると毒を持つクラゲ、いわゆるイラが大量発生し、皆、海に入るのをやめる。


「そうか……。そうやったな」


私は岸壁に打ち付ける波を見た。

小さな赤いクラゲがゴミと一緒に漂っているのが見えた。


「イラに刺されたら痛かけんね」


少年はゆっくりと顔を上げる。


「おっちゃん、刺された事あるとね」


少年の澄んだ目がやけに印象的に映る。


「ある。潜った瞬間に顔ば刺された」


少年は無表情なまま、じっと私を見つめていた。


「とうちゃんの言うとった。昔、一緒に泳いどった友達がイラに顔ば刺されたって」


私は、少年を見て微笑んだ。


「とうちゃんは誰ね……」


「ヤスチカ。野村ヤスチカ」


私の幼馴染の名前だった。

その名前に懐かしさを感じ、その少年を抱きしめた。


「とうちゃんは元気にしとらすとか」


「うん」


「今も船に乗っとらすとか」


「うん」


少年は「うん」とだけ答えて、立ち上がった。


「俺、もう行くけん」


私は少年に頷いた。

すると少年は覚束ない足取りで焼けたコンクリートの道を走って行った。


ヤスチカの子供か……。


私はその少年の背中に、幼い頃のヤスチカの姿を見たような気がした。






私は湾を半周程して、住んでいた家のあった場所へとやってきた。

既に家もなく、夏野菜が植えられた畑になっていた。

真っ赤なトマトや黒く光る茄子がたわわに実っていた。

玉蜀黍の髭が風に揺れ、大きな西瓜も転がっていた。


私は海岸に下りて、焼けた石の上に腰を下ろす。

湾に入ってくる漁船がスピードを落とし、白い煙を上げていた。


お盆の三が日は「地獄の窯の蓋が開く」と言い、地元の人間は漁をしない。

しかし、他所から来た釣り人にはそんな事は関係なく、休みに合わせて釣りを楽しみにやってくるようだ。

釣り客を大勢乗せた釣り船が岸壁に着くのが見えた。


「何や、ヒサオやなかとや……」


ふと背後から声がして私は振り返る。


「ほら、やっぱりヒサオやろ」


そう言って海岸に下りて来たのはムネヒロ小父さんだった。


私は小さく頭を下げて、立ち上がった。


「久しぶりたいね」


ムネヒロ小父さんは懐かしそうに私の肩を叩いた。


「ご無沙汰してます」


私がそう答えると、ムネヒロ小父さんは何度も頷く。


「こがんとこにおらんと寄っていかんね」


ムネヒロ小父さんは私の腕を引っ張った。

言われるがままにムネヒロ小父さんお家へと歩いた。


私が住んでいた頃はムネヒロ小父さんの家に行くのに上っていた小さな坂、ここに私の祖母が海で取ってきた天草を洗って干していた。

しかしその坂も今はなく、立派な階段になっていた。


「うちも婆さんの亡くならしてから、車椅子のいらんようになったけん、ここは階段にしたとよ」


ムネヒロ小父さんは私を振り返り、そう説明しながら階段を上った。


「おーい。ヒサオの帰って来たぞ」


開け放した玄関からムネヒロ小父さんは大声でそう言った。


「よかですよ。忙しかろうけん、庭で……」


私はそう言い、庭に置いてあった長椅子に座った。

目の前には鉄の竈が出され、蒸し器が湯気を立てていた。


「盆やけん、ダゴば蒸かしとらすとよ」


ムネヒロ小父さんは真っ赤な甘そうな西瓜を持ってやってきた。


ダゴとは小麦粉を練り、その中にあんこを入れたいわゆる田舎饅頭で、盆や正月、祭りの時などに家々で作っていた。

黒糖を入れたりサツマイモや黒豆を入れたりと、家々でそれぞれのダゴが存在した。

多分「団子」から来た「ダゴ」だと思うのだが。


軒に下げられた南部鉄の風鈴が音を立てていた。

海からの風と山からの風が交互に抜ける場所だった。

昔は、風呂上りに縁側にいるとエアコンなど必要のない場所だった。

今はそうもいかないのだろうが。


縁側から奥の部屋を見ると立派な祭壇が組んであり、その前に綺麗に飾られた木製の船の模型のようなモノが置いてある。

これが「精霊舟」と言われ、八月十五日の夜に行われる精霊流しに使われるモノだった。

一般的に候流しは蝋燭を灯した灯篭を流すのだが、この町では精霊舟という木製の船を海に浮かべて流す。

船盛の舟の様にも見えるが、精霊舟は実際にちゃんと海に浮かぶ船で、供物を積んだ船は海に浮かべられ、沖へと流されていく。

昔はそのまま沈むまで見送っていたようだが、今はそうもいかないようで、暫く海に浮かべると拾い上げて、持ち帰る様になっているらしい。


私がその豪華に飾り付けのされた精霊舟を見ていると、ムネヒロ小父さんが西瓜の種を庭に吐きながら、


「豪勢やろ……。こげん豪勢なモンはいらんって言うたっちゃけど、十三回忌で最後やけんって頑張ったらしかたい」


そう言った。


初盆、三回忌、七回忌、十三回忌と節目節目に精霊舟を流す風習がある。

十三回忌を過ぎると舟を流す事はないので、ムネヒロ小父さんのところは今年が最後だという事のようだ。


私は頷きながら、冷えた西瓜を口にした。


「お前のところは……」


「あ、うちは三回忌やけん……。ばってん、今年で終わりですかね……。遠くからここに来るとも大変ですけんね……」


ムネヒロ小父さんは私の言葉に小さく頷いた。


「ばってん、お前もよう来たね……」


記憶にあるムネヒロ小父さんの笑顔だった。


私は、一度顔を伏せて、笑顔を作ると顔を上げた。


「ここに来んと、家族に会えんような気がして……」


そう言うと空を見上げた。






陽が西に落ちると暗くなるのは早い。

私はムネヒロ小父さんの家を出て、また湾沿いの道を歩く。

誰に遭う事もない、静かな町だった。

小さなな川があり、それに架かる橋の傍で花火をしている光が見えた。

私はその橋の欄干に寄りかかり、花火を楽しむ母と子を見ていた。

二人の子供は嬉しそうに花火に火をつけて、海に向かってその花火を振り回している。

その残像が綺麗で、海面にも映っていた。


その親子はキャッキャと声を上げて、私に気付く様子もなかった。


「ヒサオやろ……」


私は不意に後ろから声を掛けられ、振り返った。

その顔を思い出すのに少々時間はかかった。


「マサミチか……」


マサミチは小さく頷く。


「いや、久しぶりだな……」


私はマサミチの腕を叩いた。

そしてマサミチの視線の先を見ると、花火をしている親子がいた。


「うちの子たちたい。可愛いかろうが」


マサミチはそう言って見せた事のない笑顔で微笑んだ。


「どうだ、向こうに座らんか」


マサミチは傍にある公民館のベンチを指差した。

私は黙ってマサミチに着いて行き、そのベンチに並んで座った。


「どげんしたとや……。墓か……」


マサミチは墓のある山の方を指差した。


「ああ、ここにしか墓は無かけんね……」


マサミチは微笑みながら頷いた。


「俺もそうたい……。ここにしか墓は無か。遠くて不便ばってん、あいつらも毎年、ここで遊ぶとば楽しみにしとるとが救いたいね」


今度は花火をするマサミチの妻と子供に目をやった。


「お前んところは……」


私は口元を緩めて、膝に肘を突いた。


「うちは明日来る筈……。ほら、もううちはここに家も無かけんね……」


「そうやったね……」


私はじっとマサミチの妻と二人の子供を見た。


「何で……」


私が発した言葉にマサミチは私の方を見る。

私はそれに気付き、首を横に振った。


「いや、何でん無か……」


「とうちゃん」


マサミチの子供が大声で呼んでいるのが聞こえた。


「呼んでるぞ」


私はマサミチに微笑み背中を叩いた。


「おう。行ってくるわ」


マサミチはそう言うと立ち上がり、子供たちの方へと走り出した。


私はマサミチの背中を見て微笑んだ。






朝早くに漁船が係留されている海岸に出た。

八月十五日の朝、流石に漁に出る船も無い。


パープーとラッパの音を鳴らしながら豆腐屋の爺さんがカブに乗って走っていた。

その音を聞いてステンレスのボールを持った主婦が家から飛び出してくる。


あの豆腐屋の豆腐、出来立てが美味かったんだよな……。


私もその豆腐の味を覚えていた。

出来立ての木綿豆腐に醤油を垂らしよく食べた。

厚揚げも美味かった記憶がしっかりと残っている。

あの豆腐の味を都会でも探した事があるが、何処にもなかった。

その豆腐屋ももう代替わりしたのだろうか。

記憶の中にあった豆腐屋の爺さんの姿ではなかった。


さあ、そろそろ墓へ行くか……。


私は係船柱から腰を上げて、山へと向かった。

民家の間を抜けて、私は山へと歩く。

細く入り組んだ道を上り、この町唯一のスーパー……と言っても万事屋みたいなモノで、食料品や日用品、お供え用の花や線香なども店先に並んでいる。

その店の前を通り、消防車が置いてある消防団の詰め所の前を抜けて、墓への細い道を上って行く。

車が一台、ようやく通れる道で、そこを歩いて行く。

道沿いに積んである石垣には草が生い茂り、その石垣の隙間には蛇や蜥蜴などが住んでいる。

この辺りでは蝮の事をヒラクチと言い、夏場は涼しい場所でその火照った体を冷やしている事もある。

墓場にもヒラクチは多くいるという。


振り返ると海が見える。

朝の海は輝き、夏特融の海を描いている。

私はその海をじっと見つめた。

生まれた町の風景。

それは死んでも忘れないモノなのかもしれない。


まだ幼かった子供たちを連れて、この海に遊びに来た事があった。

息子も娘も嬉しそうに透き通った海ではしゃいでいたのが今でも脳裏に焼き付いている。


墓石の並ぶ山の側面を見上げた。

この町の墓石に掘られた文字は金色に塗られる。

そしてすべての墓石が北を向いて立てられる。

その中で私の家の墓だけは西を向いていた。

海を見下ろす場所に建てられていた。


「ヒサオ……。来たか……」


墓の前に、祖父と祖母の姿があった。


「おう、爺ちゃん……」


私は手を挙げて、墓の前まで階段を上って行った。

所狭しと立ち並ぶ墓。

墓石が崩されて墓じまいをしたモノもあった。

それだけこの町から人もいなくなっているのだろう。


「きつかったね……。よう来たね……」


祖母はニコニコと微笑みながら私に肩に手をかけた。


「あの子たちは……」


祖母は周囲を首を長くして見渡した。


「もう来るやろう……」


私は祖母にそう言って墓に手を合わせた。

階段の下から私を見つめる姿が見えた。

マサミチだった。

マサミチは手を挙げて私に挨拶すると自分の家の墓の方へと歩いて行った。

すると墓へ向かう人々が歩いてくるのが見えた。

ヤスチカの子供や和子小母さん、ムネヒロ小父さんの姿もあった。

私はその様子をじっと見つめていた。


「みんな早かねぇ……」


祖父はそう言いながら墓に生えた雑草を抜いた。


「何年か前にそこの柘植の木にスズメバチが巣ば作ってな、大変やったとぞ」


私は根本から切られた柘植の木を見た。


「墓の大きかとよ。都会じゃ、この四分の一くらいしか無かけんね」


私は墓石の裏に回り墓石に生えた苔の様子を見た。


「それはそうと……」


私は祖父の顔を見た。


「何ね……」


「うちの墓はなんで海の方ば向けて立っとると……。他の家の墓はみんな北ば向いとるとに……」


祖父と祖母は顔を見合わせてクスクスと笑った。


「何ね……。何かおかしか事ば言うたね……」


私は首を傾げながら二人にそう訊いた。


「ヒサオ……。うちの家は代々精霊流しの精霊舟ば作っとった家やったったい」


幼い頃に、祖父が精霊舟を沢山作って、親父が塗装してた記憶があった。


「なんとなく覚えてるな……」


祖父と祖母は頷く。


「そん舟が沈まん様に見守るともうちの代々の仕事たいね……」


私は、海を振り返ってじっと見つめた。

何処までも青い海。

そこに無数に浮く精霊舟。

あの船に灯された明かりも綺麗だったのを思い出した。


「そうやったとね……」


私は長年謎に思ってきた事が解り、晴れ晴れとした気分だった。


「だけんね……。うちの墓だけは海の方ば向いちょるとよ」


祖父も祖母も私と同じように海を見ていた。

キラキラと輝く海に真夏の太陽が映っているのが見える。


「この町の海だけは綺麗かままたいね……」


祖父の一言に私と祖母は頷いた。


「いつまでもこのままで残して欲しかばってんね……」


祖母が呟くように言う。


私もそうあって欲しいと思った。


「こっちやろ」


階段の下で声がした。

花を抱えた娘の姿が見えた。


「ほら、来たぞ……」


祖父は娘たちを見つけて手を挙げた。






夜の港は精霊流しに向かう人でいっぱいだった。


「昔はね、この町の精霊舟の殆どを曾お爺ちゃんとお爺ちゃんが二人で作ってたんよ」


妻は誇らしそうに息子に言った。


「こんなん見た事ないモンな……。広島も長崎もこんな小さい灯篭やん」


私はそんなやり取りを船の上で聞いていた。


「お兄ちゃん、精霊舟持ってよ……」


娘が岸壁から息子に精霊舟を手渡した。

妻がその精霊舟に乗せる供物を抱えて船に乗り込んだ。


三人が乗り込むと、ロープが外されてゆっくりと船は岸壁を離れていく。

凪いだ海は静かに波の音だけが聞こえてくる。

暮れた海はその静寂をより強いモノにしているようだった。


インクのような色の海は時折、紫のうねりを見せ、海があの世に繋がっていると考えた昔の人の思いが解るようで、興味深かった。


船は湾を出たところで減速し、エンジンを止めた。


「さあ、奥さん。この辺りで……」


船長は操舵席から顔を出して、妻にそう言った。


「ほら、海斗君も岬ちゃんも……」


息子と娘にも船長は微笑みかけ、甲板にでて来た。


その言葉を合図に妻は供物を甲板に置いた精霊舟に乗せた。


「バランスよく乗せないと、傾いて沈んでしまうで……」


息子の海斗は妻の背中に言う。


「解ってるわ。アンタよりバランス感覚はええ筈やし」


「えーママのバランスはおかしいで、炒飯とか皿の端に寄ってるし」


娘の岬はそう言いながら笑っている。


これが家族の姿。

私はそんな会話をしている三人を見て微笑んだ。


楽しく暮らしているようだな……。


私は心から嬉しく思った。


私が死んで二年。

家族を残し、死んで行く事に悔いが残った。

死んだ者はいつまでも残した者の事を考える。

しかし、生きている人間は死んだ者よりも生きている人間がどんどん意識の中に入ってくる。

いつまでも死んだ者の事を考えながら生きていく事など出来ないのだ。


「精霊流しというモンはな、亡くなった人のためのモンじゃ無かとよ。残された人が亡くなった人を忘れるためにあるとよ……」


船長は精霊舟に蝋燭を立てて、火をつけながら語る。


そうなのだ。

この舟がゆっくりと暗い海に流される様に、忘れられる。

それが亡くなった者からしても本望なのかもしれない。


妻はまだ若い。

再婚でもして幸せに暮らして欲しい。

息子や娘もそうだ。

父親のいない暮らしよりも新しい父親でも一緒に暮らせればそれが良いのかもしれない。


私は自分の精霊舟の傍にしゃがみ込んだ。


「そこに桃を乗せると舟が傾くぞ」


私が触れると、桃が転がる。


「ヒサオ……」


そう声がして振り返ると祖父と祖母が微笑みながら立っていた。


私は立ち上がって祖父と祖母の傍に立った。


「二人とも良い子に育ったたいね……」


祖父は海斗と岬を見て嬉しそうに微笑んでいた。


「当たり前たいね……。俺の子供ぞ……」


私がそう言うと祖父と祖母は歯を見せて笑っていた。


「親父より先に死んだけん、親孝行は出来んかったばってんね……」


祖父は私の肩を叩いた。


「ああ、お前は親不孝たい」


私もその言葉に笑った。


「さあ、そろそろ流しましょか」


船長はそう言って船の照明を消した。


供物を積んだ精霊舟を息子の海斗がゆっくりと持ち上げた。

そして船べりまで運ぶと、ゆっくりと水面に下ろした。


「そろそろ行かなね……」


私が顔を上げると、祖父と祖母は目を閉じて頷く。


精霊舟はバランスよく海に浮いていた。

死者はこの舟に乗ってあの世へと向かうらしい。

その旅は数十日掛かり、その間の食べ物として供物を精霊舟に積み込むらしい。


果物の間に小さな缶ビールが見えた。


「馬鹿が……。俺が缶ビール飲んでるの見た事あるのか……」


私は下戸である。

缶ビールなんて家族の前で飲んだ事もなかった。


妻と子供たちは浮いた精霊舟に手を合わせていた。

誰も声に出して何を言う訳でもない。

しかし、その声は死者には聞こえる様になっている。


「そうか……遥……。ありがとう」


「うん。頑張って夢を叶えろよ、海斗」


「しっかりママを支えてくれよ、岬」


私は目を閉じて三人にそう言った。


背中にひんやりとした風を感じた。

そろそろ別れの時なのだろう。


私は目を閉じた。


「死んですまなかった……」


私は目を閉じて手を合わせたままの三人にそう言った。

もちろんその声は三人に伝わる筈もない。


体が軽くなる。

祖父と祖母の姿はもうなかった。


「元気でな……。俺の分まで生きろよ……」


私は満面の笑みを浮かべた。


体が宙に浮いて行くようだった。

上空から見る三人の姿を私は目に焼き付ける様にしっかりと見た。


「ありがとう……。遥……、海斗、岬……」


私の意識は小さな粒になって消えて行くようだった。







「今さ、パパの匂いしなかった」


岬がそう言っていた。


「あなた、パパの匂い好きだったモンね」


遥は岬の肩を引き寄せて、頬に流れる涙を拭いた。


「パパの分まで生きろって言ってたよ……」


海斗は口を閉じたまま、私の意識の漂う空を見上げていた。


「少し涼しくなってきたわね……。夏ももう終わりね……」


遥は見えない筈の私をじっと見つめていた。








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