第三十九話 氷鳴村、一難去・・・
ガゼンは倒れたまま白目を剥いている。
俺はタマネのところに急いだ。
鎌を払い落とし、腕をひねり上げて拘束する。
さすがに、舌を噛んで死んだりしないだろうが、いちおう口に手ぬぐいを突っ込んでおいた。
「ヒエナ、無事か!」
と主の様子をうかがったところで、
「ウオオオオオオオ! アアアアアア!」
野獣のごとき咆哮がこだました。
ヘンジが自分の顔を殴っていた。
グーパン、グーパン、平手平手。
ボコボコに叩きのめし、何度も地面に頭を叩きつけている。
そして、ようやく静かになったかと思えば、ヘンジは俺に親指を立てて、
「フー、も、戻ってきたぜェ……」
と血まみれで笑った。
「堕落したとはいえ、御仏の洗脳を気合でねじ伏せるとはな。さすが村長だ」
「おうよ。獣人舐めんじゃねェ」
それだけ言い残すと、ヘンジは前のめりに倒れた。
「大丈夫か、ヒエナ?」
ヘンジの下からヒエナを引っ張り出す。
衣服はあられもないことになっているが、どうやら純潔を散らす事態にはならなかったらしい。
「ええ……。大丈夫よ、テンセイ……」
ヒエナの顔を見て、俺は半目になった。
「なんで、ちょっと赤くなってんだよ……」
「な、なってないもん!」
「これだからケモナーは」
「なってないったらないもん!」
コントを挟んだ後で、ヒエナは青ざめた。
「テンセイこそ大丈夫だった!? 赤い腕みたいなのにお腹を刺されたように見えたけど」
「ああ、これを懐に入れていたからな」
俺はビーズ細工を施した雑巾を取り出した。
仮にも法術で作っただけあって、防御力はそこそこだった。
これがなければ、こぼれ落ちた臓物をかき集めるハメになっただろう。
「よかったぁ……」
ヒエナの目尻に涙の玉が浮かんでいる。
俺のために泣いてくれたのだと思うと、今死んでもいいくらいだ。
「テンセイって法術なしでも強いのね」
「父に血反吐を吐くまで剣術を仕込まれたのが役に立った。思うところはあるが、いちおう感謝だ」
「お父様も素晴らしいと思うけど、テンセイが頑張ったおかげだと思うな」
「そうか? そうかもな」
勉強にせよ武術にせよ、法力がなくてもできることは妥協せず真摯に向き合ってきたつもりだ。
努力の賜物。
たまには、自分を褒めてやるか。
よしよし。
「さてと」
俺は水法術で冷水の玉を作った。
獣人たちは未だに朦朧とした目でゾンビムーブを続けている。
術者は失神ている。
あとは、目を覚ますだけの刺激があれば、術から解放されるはずだ。
「そぉーれ!」
冷水の玉を空中で弾けさせる。
獣人たちはヒエッヒエの水を頭から浴びることになった。
寝耳に水(物理)だ。
「あれ……。オレたち、何してたんだっけ……」
「なんで斧なんて持ってんだ?」
「あら、ヒエナ様よ。みんなでお出迎えしないと」
獣人たちが一斉に覚醒した。
どうやら操られていたときの記憶はないらしい。
「テンセイ、さま……?」
タマネも正気を取り戻した。
俺をきょとんとした顔で見上げ、腕を掴まれていることに気づくと、ポッと頬が音を立てる。
目が細くなり、唇を突き出して、
「わ、私、テンセイ様になら……」
なら、なんだろう?
あえて聞くまい。
マルチョも何回か蹴ったら意識を取り戻した。
「あ、あの人族野ラう……。ぜ、ぜってぇぶ、っホろフ……」
「そうか。頑張れよ。長いほうの尻尾、抜いとくな?」
「……おほ!?」
竹箒をズポッと抜くと、マルチョはまた気絶した。
ヘンジのほうも息はある。
とりあえず、ヒエナ村は窮地を脱したというところか。
「ごフ。んぉ、い、いだいぉ……」
ガゼンが目を覚ました。
特に、意味はないが2、3発殴ってから言う。
「おとなしく縛につけ」
獣人たちに危害を加えたことについては残念ながら、動物虐待程度の罪にしか問われないだろう。
だが、皇女殿下を襲わせたことに関しては、確実に死罪以上が求刑されることになる。
どのみち地獄行きだが、おとなしくしていれば今は殺さずにおいてやる。
「だ、黙れ。僕に指図するな。お前ごときの分際で」
だろうとは思っていたが、ガゼンは赤い鼻を垂らしながらも反抗的な目で見上げてくる。
こいつは、釈迦が手とり足とり教えても、反省を身につけることはないだろう。
「全部、運だ。運よく僕に勝ったくらいで調子に乗るなよ」
「そうだな。俺なんかこのビーズ細工と同じだ。ヒエナのおかげで一見キラキラして見えるが、ひと皮剥けば、ただの雑巾」
俺自体は無才の凡人。
借り物の力でのぼせ上がるべきではない。
ガゼンのように堕ちぶれないためにも、それは大事なことだ。
「堕カルシン! 早くこいつらを殺せ!」
俺は身構えた。
だが、ガゼンの背中から生えた血濁色の腕は、死んだタコの脚のように垂れ下がって動かない。
「なんだよぉ! ビゅあゥあ! んもおおおお! お前も役立たずカス仏なのかよ! 僕を馬鹿に馬鹿に馬鹿にしやがってえええ! マアアア!」
ガゼンが髪を横に引っ張ると、毛髪がごっそり抜けてモヒカンになった。
「僕にもっと力があれば……。いや、僕は悪くない。全部お前のせいだ。お前がもっと力を寄越していれば、僕は恥をかかずにすんだんだ。くそおおお、くそおおお。カス仏がああ!」
救いようのないクズだ。
どんな御仏もこいつに道を示すのは不可能だろう。
神の全能性をも否定して見せるとは、さすがだガゼン。
「……そうか。血だな。足らないんだなぁ、血が。がっはは。ガヒッヒ!」
ガゼンが喉を掻きむしり始めた。
血があふれ出し、胸が真っ赤に染まっていく。
「そうだ、僕の血をもっとやる。ほら、ほらホラほらぁ……。血なんていくらでも出てくるぞ」
俺は言う。
「お前、それ以上やると戻れなくなるぞ?」
「嫉妬かぁ? くふふ、相変わらず見苦しいな、ムバラ・テンセイ。弱い奴はすぐ嫉妬する。努力せずに文句ばかりだ。雑魚。だから、雑魚。お前はだからそんななんだよ」
風船が裂けたような音がした。
赤い液体が噴水のようにまき散らされる。
ガゼンは血のたてがみをまとって満足そうに笑っていた。
「僕にもっと法力をよこせ! 足りない足りない足りない、全然足りない! あいつをなぶり殺しにする力を、さあ!」
四ツ腕が脈打った。
俺は稲妻のムチを叩きつけたが、それは不可視の球面に弾かれた。
4つの手がガゼンの頭部をむんずと掴んだ。
「え」
ガゼンが困惑の声を漏らした。
それが、奴の最期の言葉だった。
頭が割れた。
桃みたいにパッカリと。
血のような、しかし、似て非なる赤黒い液体が頭蓋からあふれ出す。
ガゼンだったものがグズグズに溶けて、それと混ざり合った。
泥状の肉が赤いあぶくをいくつも作りながら膨れ上がり、ぼん、と弾ける。
「ッ……、ァァ…………」
血だまりの中で何かが這いずっている。
4本の腕を持つ何か。
頭蓋骨の白が剥き出しになった頭から、角のようなものが伸びている。
そいつは、ぼろぼろの歯を打ち鳴らして耳障りな声を吐いた。
「我、ツイニゾ帰還リケン……。二度ビ、天ニゾ経上リケン……」
それが何かは誰何するまでもなかった。
地獄道から這い上がってきたのだ。
堕カルシンが、人間道に……。




