第三話 法力貧者及法力富豪
「ねえ、大丈夫? 突然ほっぺ叩いたりして。痛いからやめたほうがいいと思うな」
ヒエナ殿下は少し腰を折って、俺の顔を見上げた。
まっすぐな長い髪がさらりと流れ落ちる。
俺も落っこちた気分だった。
天地がひっくり返って空へと真っ逆さまだ。
まさかの第三皇女の登場に、俺は慌てて片膝をついた。
「皇女殿下とは露知らず、大変なご無礼を。わたくしはムバラ家が嫡男、天誓と申します」
名乗った後で、妹の顔が脳裏をよぎった。
二度と名乗るなと言われていたのだが、今は非常時につきご容赦願いたい。
「やだ、やめて」
ヒエナ殿下は周囲をしきりに見渡して、わたわたしている。
辺りに誰もいないのを確認してから、小声で言った。
「私、今、お忍びで城から抜け出してきているの」
そういえば、護衛の一人も見当たらない。
どんな経緯で夜の森をうろつきあそばされているのかは知らないが、皇族の意向は天の意向だ。
俺は素直に意を汲むことにした。
「承知しました。……じゃない、わかった」
硬い口調も砕くことにする。
「そう、そんな感じでお願いね」
ホッとした様子のヒエナに、俺は尋ねる。
「お忍びって、この凍てつく惨状のどの辺が忍んでいるんだ?」
「それは言わないで。私にも事情があるの」
子供のように頬を膨らませる殿下。
氷鳴という名前が妹の神鳴に似ているから勝手に苦手意識を持っていたが、こうして顔を合わせてみると可愛らしい方だと思った。
「ねえ、テンセイ。あなた、面白いことをしていたわね」
「面白いこと?」
「御前試合よ」
「ぐふ……」
「真言もなく、雷法術を使ったでしょう?」
御前試合の話はもうやめてほしい。
一番新しい黒歴史にして、一番深い傷だ。
でも、たしかに、あのとき俺は雷の法術を使った。
稲妻を矢のように飛ばす『雷矢の術』だ。
「マントラはなくてもいけるから唱えないんだ。雷法術を選んだのは、速攻性があるからだな」
法力貧者の俺が勝つためには、先制攻撃で一発KOするしかない。
結局、それは不発に終わり、俺は木の葉のように宙を舞うことになったわけだが。
ヒエナは怪訝な顔をした。
「雷法術を選ぶって、まるで、ほかの属性も使えるみたいな言い方ね」
「まあな」
「二属性の法力を持っているなんて、珍しいわね。ねえ、やって見せてくれない?」
皇女殿下がお望みとあらば、できなくてもハイ以外に返事はない。
「――御」
俺は手の中に、小さな火を灯した。
かじかんだ指がじんわりと温かくなる。
この程度の法術でさえ、10分と維持できない。
俺の法力は赤ん坊レベルだから。
「炎属性ね。本当に使えるんだ。それは、どの御仏のお力なの?」
「どのって、……どれだろうな。炎属性の仏なんて何万といるし、どれかだろ」
「そんな適当な。それに、またマントラを唱えなかったわ」
「言っただろ。俺は無詠唱で法術を使えるんだ。二属性どころか、六属性すべてな」
指の間に雷法術で紫電を走らせ、空法術で風を起こしつつ、水法術で火を消して見せる。
ヒエナは美少女という設定を忘れてしまったかのようにポカーンと口を開けて、それを見ていた。
あんまりにも呆然としているので顔の前で手を振ると、ようやく我に返ってくれた。
「そんな……。信じられないわ。あなた、『六神通』の持ち主ってこと!?」
『六神通』か。
自分でそう名乗ったことはないが、六属性すべてを扱える俺はそういうことになる。
「そんなの、お父様と同じじゃない……」
ヒエナの顔から血の気が失せるのがわかった。
皇女の父といえば、皇帝皇真王陛下だ。
半人半仏と言われ、仏に最も近いとされるお方である。
そんな偉大なお父君と俺を同列視しないでほしい。
天と地。
正反対。
月の裏側とすっぽんのケツくらいかけ離れている。
「テンセイ、わかってる? それって、すごいことよ?」
「すごくはない。俺は法力が貧弱だから、使いこなせないんだ。だから、このざま。追放さ」
「追放? おうち、追い出されちゃったの?」
小さい子に尋ねるような物言いが俺の心に細かい傷をつけた。
そうだ、と認めるしかない不甲斐なさで自然と顔は下を向いてしまう。
ぷふふ、とヒエナは笑った。
「あなたって不思議ね。法力が弱いってことは、信仰心が欠けているってことでしょう? なのに、八百万の神々はあなたが法力を使うことを許してくれている。あなたは諸仏に愛されているのね」
「そんな素敵なものか。いっそ才能がまったくないほうがよかった。半端に使えるから、努力したくなる」
「才能は関係ないわよ。法力は信仰心次第だもの。一心に信じれば御仏は想いを汲んでくださるわ」
俺には、その信じれば叶うという感覚がない。
仏とか言われてもピンとこない。
神より科学が信奉される世界から来たから、無意識に疑ってしまうのだ。
だから、法力貧者を抜け出せずにいる。
「俺の話はいい。ヒエナのことを聞かせてくれ」
「うーん。私のことかぁ……」
ヒエナは俺を見てバツが悪そうな顔をした。
「実はね、私にも悩みがあって。でも、それはね、テンセイとは真逆の悩みなの」
「というと、つまり……」
「そうなの。私は法力が多すぎるの。自分でも制御できないくらいに」
それを聞いてこの雪景色の謎がようやく理解できた。
「皇城暮らしで溜まったものを夜な夜なこっそり発散していたわけか」
「ちょ、ちょっと、変態さんみたいに言わないで!」
変態のほうがまだ環境に優しかろう。
「そういえば、たまに皇都に季節はずれの雪が降っていたな」
「うう、それも私です……」
ヒエナは首をすぼめた。
俺は少し笑って言う。
「法力馬鹿のヒエナが羨ましいよ」
「馬鹿だなんて言わないで。法力が溜まりすぎちゃって、お腹がはち切れそうな私の気持ち、わかる?」
年がら年中、便秘気味といったところか。
口が裂けても言わないが。
「俺とヒエナ、足して2で割れればいいんだけどな」
俺は何の気なくそんな軽口を叩いた。
ヒエナは笑わなかった。
何事か思案している様子で、俺をまじまじと見つめている。
「ねえ、テンセイ。足して2で割る方法、もしあると言ったら――」
何か言いかけたヒエナが突然肩を押さえて倒れた。
肩に木の棒のようなものが生えている。
それは、矢だった。
真っ白な雪の上に、赤いものが点々と染み込んでいった。
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