第二十三話 珍比羅獣人猪突猛進
新学期が始まって初めての週末がやってきた。
前世なら間違いなく家でごろごろしているところだが、怠惰な俺と違ってヒエナは活動的だった。
「村に行きましょう!」
獣人たちに会えるということで、ヒエナは道中、馬車を降りてスキップしそうなほどウッキウキだった。
ヒエナ村につく。
お姫様の人気ぶりは健在で、すぐにハリウッドスターじみた人だかりができた。
「俺のところに来てくれるのは、あんただけか」
「んだよォ? 不満かァ?」
ケモ耳を生やした巨漢がおっかない顔で見下ろしてくる。
ヘンジである。
こう見ると、やはりケンジ先生と瓜二つだ。
「玉祈の奴がお前さんに会いたがってたぞ。テンセイ様が今日も来てくださらない、テンセイ様に会いたぁーい、っつって毎日泣いてやがる。この果報者がァ」
背中をド突かれた。
一瞬息が止まりそうになる。
「週1以上で来ているだろ?」
法術で土を耕したり、子供たちに勉強を教えたりと甲斐甲斐しく尽くしているつもりだ。
それも、無給で。
「タマネに会うために来たことは一度もねえだろォ。あいつァな、テンセイ様占いとか言って、一人でずっと花占いしてんだ。切ねェ恋路だろ? おかげで、村中の花がむしり取られちまったぜ」
「摘花作業をさせればいい」
「めちゃめちゃ名案じゃねえかァ! お前さんの頭、どうなってんだ?」
「で、タマネはどこにいるんだ?」
「畑のほうだろォ」
ということで、畑に向かうことにした。
「一緒に行きましょ!」
と子供たちに囲まれたヒエナがホクホク顔で言う。
「そういえば、今日じゃないかしら。使節団が帰ってくるの」
「使節団?」
「皇国各地に散らばっている獣人たちに使いを出しているのよ。助けを必要としている人たちもいるでしょうから」
「そうか……」
あらためて考えさせられた気分だ。
獣人は皇国だけで何十万といる。
ここにいるのは、ほんのひと握りにすぎない。
俺は畑仕事を少し手伝っただけで何かした気になっていたが、ヒエナは一人の漏れもなく救おうとしているらしい。
「ちゃんと考えているんだなぁ」
「どうして意外そうなの? テンセイったら、もう」
ヒエナはぷくーっと頬を膨らませた。
と、そのときである。
「おいおいおい! オイオイオイオイオイ!」
大きな声が聞こえてきた。
チンピラ顔の獣人が田畑を突っ切って一路、俺のところに駆け寄ってくる。
ありったけの助走をつけ、勢いよく飛び蹴りを食らわす……と見せかけて、そいつはスライディングした。
そして、砂を蹴り上げ、
「うらあああ!」
と、殴りかかってきた。
俺はあっけに取られつつ、横に飛んで避けた。
チンピラは肩透かしをくらって、田んぼで水しぶきを上げる。
「お、オレのスライディング砂かけ電光石火マルチョ決殺拳を躱しやがっただと!?」
「無駄に長いし、語呂も悪いし、センス最悪のネーミングだな」
誰だこいつ、と思っていると、ヒエナが嬉しそうな声を上げた。
「丸猪、戻ってきたのね!」
この反応を見るに、こいつが例の使節団なのか。
旅装の獣人数名がヒエナにうやうやしく頭を下げている。
「オイ、姫様よぉ! 人族がなんでここにいんだよ!」
マルチョに胸ぐらを掴まれた。
知性とは無縁の目が精一杯睨みつけてくる。
下顎の長い犬歯。
加えて、畑の荒れ具合から察するに、たぶん、イノシシの獣人だ。
「てめえ、マルチョォ。姫さんの連れに何しやがる」
俺の胸ぐらを掴むマルチョの胸ぐらをヘンジが掴んだ。
余計苦しい……。
「返せよ! オレの妹!」
人族嫌いの獣人に難癖をつけられた、くらいに思っていた俺は、その一言で言葉を失った。
マルチョの目には涙が滲んでいる。
「はいはーい! そこまで!」
ヒエナがピシャリと割って入った。
「マルチョ、馬鹿なことしてないで、子供たちとお勉強しましょ? 出発前に渡した算数の宿題、できたの?」
「うるせえ、ババア!」
「ばば……」
それは、お母さんと反抗期の中坊のやり取りそのものであった。
「宿題なんてカッたりぃーこと、やってられっか! それより、喧嘩だ喧嘩! お前も男ならタマくらいついてんだろ? オレと勝負しやがれ!」
タマのあるなしで言えば、ある。
だが、喧嘩をする気は当然ない。
「オレたち獣人を舐めてんじゃねえぞ! 人族野郎!」
マルチョは加速度的にヒートアップしている。
殴られるのは秒読みだろう。
どうせ痛い思いをするなら……。
俺は胸の前で二本指を立てた。
「御」
「ちょっと、テンセイ! 喧嘩はだめ! それも、御仏の力を使うなんて!」
「こちらからは手を出すつもりはない。仏様も仰せだ。――受苦倍返候。まず殴らせてから、倍で返せってな」
「それ曲解っ……! 受けた苦しみを倍の愛で返せって意味だから!」
ヒエナの訴えも虚しく、マルチョは畑のトマトよりも真っ赤になって拳を握った。
「俺に少しでも触れたら後悔するぞ?」
「うるせえ! 人族があ!」
左頬のあたりで、ごつんと音がした。
視界が大きく揺れて、俺は数歩後ずさった。
父から指導と称して毎日殴られていたから、痛みには慣れている。
でも、マルチョの一撃は強烈だった。
口の中に血の味が広がっていく。
獣人の身体能力は人族の3倍と聞くが、どうも本当らしい。
ただ、イノシシは電気柵に滅法弱い。
泡を吹いて倒れたのは、殴ったマルチョのほうだった。
「テンセイ、大丈夫?」
ヒエナが俺の頬に触れた。
ひんやりして気持ちいい。
「何をしたの?」
「『雷身の術』だ。触るとこうなる」
地面でぴくぴくするマルチョを見下ろして、そう言う。
「もう! ダメって言ったのに!」
「悪い。これでも武家の出だからな。売られた喧嘩はいくら払ってでも買えと言われているんだ。家訓家訓」
「その家訓、改めたほうがいいわ」
「まったくだ」
弱ぇーなオレ……、とマルチョが痺れる舌でつぶやいた。
青い空を情けない顔で見上げている。
「あなたは強いわ。本当に弱い人は自分の弱さに背を向けるもの」
「そうかー。なら、オレは強ぇ。でも、頭が悪ぃ。よくわかったぜ」
よろっと起き上がって、マルチョは言う。
「オレ、勉強すっかな……」
「本当っ!?」
「だが、さんすーじゃねえ。学ぶのは法術だ。姫様よー、頭悪くても仏様は手ぇ差し伸べてくれっかな」
「くれるわ! 絶対よ!」
息子の更生をヒエナママは喜んでいた。
「まあ、800万もいるしな。直情型イノイシ馬鹿を拾う神もいるだろう」
「ンだと、テメェ!」
冗談を言いつつも俺は感心していた。
獣人族には御仏に恨みを抱えている者も多い。
彼らが法術によって虐げられてきたからだ。
廃仏毀釈を唱える危険組織だってあるくらいだ。
自ら仏の道に入るのは見上げた志だ。
それが、強くなりたいという不純な動機なのは、やや気がかりだが。
「っ……!」
短い声が聞こえてきた。
声の主は、垂れ耳垂れ目の犬系獣人少女だった。
タマネである。
手にしていた野菜をぽろぽろと取り落とすと、タマネは駆け寄ってきて涙ながらに抱きついた。
マルチョに。
そして、言う。
「会いたかった……! お兄ちゃん!」