第二章 其の一
本作品では過激な表現が含まれる場合があります。
苦手な方はご注意ください。
「晴れてなによりだな。」
宗馬はそうからりと笑いながら畦道を並んで歩く。
「もう少しすれば山に入るから、その前に休憩でもするかい?」
「いや、お前さえよければこのまま行こう。」
その言葉に頷きながら、道を間違えぬようにと気をつけながら歩き続ける。
この山は斜面がきついというわけではないが、目的の場所はそれなりの高さにあるため登るのになかなかに体力が必要となる。
山道へと差し掛かったとき、そういえば花の用途をきいていなかったなとふと思い出して、横にある顔を見ながら聞いてみる。
「そういえば、どうして花が欲しかったんだい?」
宗馬は前を向いて歩き続けながら、少し言いづらそうに口をひらいた。
「...もうすぐ、あいつの命日だろ。」
その言葉にあぁ、と懐かしい面影を思い出した。だれと言われずとも理解してしまい、心なしか足取りが重くなったように感じられた。
「君はあの方と幼き頃からの友人、だったかな。」
「友人といってもお前ほど距離は近くなかった。成人をしてからはとくにな。
どちらかというとお前のほうが近い仲だっただろう?」
そう俺をちらと横目に見る。
俺は視線を逸らして俯いた。
近い仲といわれればそうだったのだろう。なにせ以前はあの方......先代将軍のもとで俺は仕えていたのだから。
いくあてもなくただふらふらと、彷徨っていただけの俺を拾い上げて育ててくれた優しかった人。そして今ではもうどんな人だったかよくわからなくなってしまった人。
「近い仲だったかはわからない。俺はただ屋敷の管理を任されていたに過ぎなかったから。」
これは嘘ではない。俺を拾ってなにをさせるのかと思えば使用人としてこき使うのではなく、武と学を教え、ただ暖かい日々をあたえて、最終的に屋敷のすべてを任されたことを近い仲といえるのかどうか。
「屋敷を任せるほどに信用していたのだろう。あいつは人をあまりそばに置きたがらない。それでもお前をそばに置いたんだ。」
この意味がお前にもわかるだろう?と目で問われる。
「あいつが本当の意味でそばにいることを許した人間は俺の知るかぎりふたりだけだ。...お前はきちんと大事にされていた。」
思わず泣きそうになり、足を止めてぐっと目を閉じる。
落ち着かせるようにはあ、と長めに息を吐く。
「そうであったなら嬉しいかぎりだよ。」
自分でも歪な顔になっている自覚はあったが、上手く笑うことはできなかった。それを指摘されたくなくて、触れてほしくなくて止まっていた足を再び動かした。
宗馬は先ほどとは違って、俺の少し後ろを歩くように動いた。そのことをありがたく思いながら黙って前だけを見つめて歩き続けた。
「話していたのはここだよ。」
鬱蒼とした森の奥で、少し開けた場所へと出るとそこには薄紫色の桔梗が咲き誇っていた。
「これは、見事だな。」
「そうだろう。どうだい?君が求めていたものになりうるかい?」
「十分だ。ありがとな。」
そう言ってしばしの間、ぼんやりとふたりで並んで立つ。
桔梗は先代将軍も好んでいた花だから、それを友人に贈られるとあればきっと喜ばれるだろう。そばにある愛しき人へと花を贈る将軍の穏やかな横顔を思い出して目を細めたそのとき。
「あいつはたしか桔梗を好んでいたな。お前もそのことは知っていたのか?」
といわれ、どきりとした。声に出していただろうか。
「先代将軍がよく奥方に桔梗を贈られているのを見ていたからね。」
そう返すとふわりと宗馬は懐かしむように微笑んだ。それはきっとその光景を見たことがあるのだろうと思われるような表情だった。
「そうだったな。その感じだといつも贈り物は同じだったようだ。」
宗馬はくくっと喉の奥で笑う。
「さて、あまり長くいては帰れなくなるな。いくつか花を頂戴して帰るか。」
先ほどまでのしんみりとした空気を消すようにそう言って、宗馬は足元へとしゃがみ込んで花に触れる。
ここは美しく日常からかけ離れた場所であるがゆえに、気落ちしたときなどに来ることが多かった。そして目を閉じて静かにときが過ぎゆくの待つばかりだったため、ここに来るとどうにもしんみりとしてしまうのだ。
(いけない、今日は宗馬と来ているのだった。)
俺はゆるく頭を振り、同じようにしゃがみ込んでいくつか花を頂戴する。
そうしているうちにあっという間に日が暮れようとしていた。