第一章 其の七
本作品では過激な表現が含まれる場合があります。
苦手な方はご注意ください。
「それが、俺が鬼を初めて見たときだった。」
長い回顧を終えた宗馬が思い出したように、酒に口をつけた。
それに倣い、同じように俺も酒に口をつける。
今まで鬼と対峙したという話はだれからも聞いたことがなかった。遠目に見たことがあるというものは幾人かいたが、まさか鬼と出会い刃を交え...いや、斬りかかっていたとは。それもごく最近、ひと月前ほどに。
「それにしても君の刀を躱すとは。
なるほど、君が手練れだと言っていたのも頷ける。」
「ああそうだ。あのときは殺すな、という命がなかったため俺は斬るつもりで刀を抜いていた。」
「殺さず捕らえる、という命は前からあったものではないのかい?」
「俺がこの目で鬼を見たことを報告してからだ。そのときの様子を詳しく話した後、その鬼を殺さずに連れてくるように、と突然言われたんだ。」
それは確かに不思議だ。
最初からそのように話があったのであれば別だが、宗馬がその目で鬼を見、あまつさえ人の命を奪っている様をしかと見た後で生かして連れて来いとは...。
いったい鬼のなにをそんなに聞きたいのだろうか。
「今まで多くの人の命を奪ってきた鬼なのに、君が刀をむけてもなにもしてこなかったのはなぜだろう?やっぱりなにか斬る相手の条件があるのだろうか。」
「わからない。俺がわかったことといえば相手は間違いなく人であるということ。そしてあれは女であるということだ。」
「そこは噂が真実だったということか。」
「噂とはなんだ?」
おや?もしかしてあまり知られていない話だったのだろうか、と首を傾げながら聞いたことのある噂話を宗馬にも話した。その噂とは、鬼を見たことがあるというものたちのだれかが「月を背に立つその鬼はたおやかな花のように美しかった」と話していた、というような内容だ。
「美しいだと...?身体中にべったりと返り血をつけ、顔に鬼の面をして殺戮を繰り返す女をそんな風にいう馬鹿はどいつだ。」
その話を聞いた宗馬は、顔をしかめながら不愉快そうにそう言った。
まあ、たしかに。
俺は鬼を見たことがないから何とも言えないが、血にまみれた姿をしたものを美しいとは言えないだろう。
「その話はよく聞くのか?」
「いやそこまでじゃないか?実際に話を聞いたことがあるのは片手で数えるほどかな。」
そう、そこまで大々的に噂されているほどではない。なにかの折に聞いた話が記憶に残っていただけなのだ。だがなぜか鬼の残虐な出来事の裏で、鬼に対して少なからずよい感情を持つものがいるのも事実ではある。
「君たちのもとに届く鬼への声は、否定的なものが多いのだろう。実際に大半の民たちが求めているのは殺戮を繰り返す鬼をはやく成敗することだろうから。だけど、裏では鬼へとよい感情を持つ声も多少なりともあるようだよ。」
「...」
なにかを考えているのか宗馬は黙り込み、場には静寂がおとずれる。
鬼。
その当人が鬼の面を被っているということ、そして数多の殺戮を繰り返すものに対しての畏怖から呼ばれた名。
当初、鬼へと興味を持っていた俺は鬼を見たというものたちから話を聞いたり、情報を集めたりしていた。いつだったか、もう鬼が起こした殺人が珍しくなくなった頃、どこぞの屋敷の当主によって虐げられていた女中が鬼によってその当主が亡くなり、救われたのだとかそういった話を聞いた気がする。
宗馬からの話や、他のものたちからの話を聞くうちにやはり鬼にはなにかしらの思惑があるのではないかとも思えるがそういった悪人に限らず、とても人がよいと言われていた人たちも斬られているのだから、善人を気取っているわけではなさそうだ。考えれば考えるほどわけがわからない。
「...長く話し込んでしまったな。」
そう、宗馬が酒をひと息に飲み干して言った。
その言葉に我に返り、窓の外を見る。たしかにもうかなり夜も遅い。
「明日はこの前言っていた花の場所を案内してくれるんだろう?もう今日は寝るとしよう。」
「そうだな。」
宗馬の言葉にうなづいて、ふたりはそれぞれ寝床に横になり、眠りへとついた。