番外編 よすがとなりしもの
こちらは本編にて登場したとある鍛冶師のお話となっております。
夏の暑さも和らぎ、そろそろ秋が訪れようという頃。
だれも寄りつかないだろうというような辺鄙な森の奥で、若い男の楽しげな声が響いていた。
「それじゃあ、また来ます。」
「もう来るなと何度言えばわかる。」
立ち上がり、帰り支度をする男へと忌々しそうに告げる。
いくら邪険にしようとも、こうして時折訪ねてくる男については大層困っていた。
だが、ほんの少しの嬉しさを見抜かれているからこそ、このように甘えてくるのだろうとも思う。結局は己の甘さが招いていることなのだ。
「そんなことを言わずに。今度はなにか持ってきますね。」
鼻歌を歌いだしそうなほど上機嫌にそう言った男は、これまたいい笑顔で戸の向こうへと消えていく。
じっと男の出ていった戸を見つめながら、近くにあった椅子へと腰を下ろし、ため息をつく。
「あの子には本当になにも言わないのか。」
ぽつりとつぶやいた独り言に、ひとりしかいないはずの空間でどこからともなく返事が返される。
「あの子はすでに新しい道を歩き始めました。今のあの子に私は必要ありません。」
その言葉に己を落ち着かせるようにふぅ、と深く息をついて立ち上がり後ろの戸をあけて中へと入る。
こじんまりとしたその部屋には、いつからそこにいたのか、頭からすっぽりと薄汚れた布で全身を覆った人物がいた。
暢気なもので、茶を優雅に飲みながらなんとも寂しいことを言うこれと、このような会話をしたのは一度や二度ではない。何度しても無駄であることはもうすでにわかっているので、どかりとその場に腰を下ろして別の話題に切り替える。
「今回も二日後で構わないのか?」
ちらりと正面に座る娘の傍らに置かれた刀を見る。
「はい。お願いできますか?」
今にも折れそうな細い腕で刀をつかみ、こちらへと寄越す。
「また随分と無茶をしたみたいだな。」
以前来た時よりさらに瘦せたのではないかと思いつつ、目の前に出された刀を受け取って状態を確認する。ついでのように発された話題に、娘は狼狽えることもなくただ静かに微笑んだ。
この娘がようやく以前のように、とまではいかなくとも、このように接してくれるようになったのは最近の話でまだまだ話してくれないことは多い。
今でも昨日のことのように思い出せる。
この娘がひとりでここを訪れたあの日を。
それは、土砂降りの雨音が妙に気に障る日の朝のことだった。
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外の雨音に不機嫌さも隠しきれずにため息をつく。
(よりによって町へ出ようと思った日に、このような雨になるとは。)
憂鬱さに引き返したくなるのをこらえて、がらがらと目の前の戸をあける。そうして傘を手に薄暗い外へと歩き出そうとした刹那、少し向こう側にぼんやりと人影が見えた。
すかさず構えたわしがなにかを発するより先に、向こうから声がかけられる。
「.........取引を、させてください。」
雨音にかき消されそうなほど、とても小さな声だった。
その人は全身を覆ったその布で、身分を隠しているつもりだったのだが、わしはすぐにだれであるか気づいた。瘦せこけた頬、青白い肌。もとより細いその身体はさらに細く、そして薄汚れたぼろ布に身を包んだその様を見て、なによりまず怒りがこみ上げた。
なぜこの子たちがこのような仕打ちを受けなければならないのか、と。
怒りに震え、なにも言えずに立っていたわしを見たその子は、諦めようとしたのか踵を返そうとした。それを見て瞬時に我に返り、引き留める。
「外で話すことではない。中へ入れ。」
そっけなくなってしまった物言いを後悔しながらも、中へと招き入れる。
早くその身を休ませなければ、という焦りをひた隠して。
奥の部屋へとその子を案内し、すぐに熱いお茶と軽い飯を用意する。
そんなわしを見ながら、困惑したように部屋の入口で突っ立っていた子にそちらを見ることもなく声をかける。
「立っていないで座りなさい。まずは飯を食って、話はそれからだ。」
ことりと茶碗をおいて座り、正面を指さして座るように促す。しばらくはためらっていたが、少ししてから意を決したようにそこに腰を下ろした。
寒かったのだろう。その身体は小さく震えていた。
「...いただきます。」
ぽつりとそうこぼし、ゆっくりと嚥下する様をちらりと見てほっと一息つく。こうして料理を口にしてくれるということは、多少なりともまだ信用されているということだ。
相手の茶碗が空になる頃を見計らい、ここを訪れた理由を聞く。
「それで?奥方がしたい取引というのは、旦那に関することか?」
目の前の子がはっと息をのむ。
おそらくは、不安や苦しさで濁ってしまったのだろう暗い瞳をじっと見つめる。
ずっと、ずっと心配していた。
旦那が亡くなったという知らせを聞いたときは心臓が凍り、呼吸などまともにできなほどだった。落ち着いてからすぐに奥方がどうなったかが気になり、多くの人をつかって情報を集めていた。しかし、その行方がどこへと消えたのかは掴めずにいたのだ。
それが今こうしてここを訪れてくれた。
味方なのだと、安心してほしいと願わずにはいられない。
だが、奥方は責められたと思ったのか、顔を青ざめさせて床に頭をつけた。
「旦那様はお亡くなりになりました。お守りできず、私だけが生き残るようなこととなってしまい、誠に申し訳ございません。」
わしは思わずその身体を引き寄せて、抱きしめた。
「なにを、馬鹿なことを。.........生きていて、よかった。」
情けなくも声は震え、目頭が熱くなる。腕の中のその子もその身を震わせ、そして声を押し殺して泣いた。
何度も、何度も、
ごめんなさいと繰り返しながら。
旦那のことはたしかに実の息子のように可愛がっていた。
もちろん大切だった。
家族を持たずにひとりで生きていたわしに、家族のような温もりをくれた愛しい子だった。だが、それはこの子も同じなのだ。旦那のそばに静かに寄り添い、修羅の道を歩くことになったとしても決して離れることをしなかったこの子をどうして責められようか。
「いくらでも泣くといい。愛するあの子を失った悲しみは、わしらでしか慰めあうことはできんだろうよ。」
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そうして、その日は泣き疲れて眠るまでこの子を抱きしめ続けた。
つくづく歳をとってから、時が過ぎゆく早さを感じる。
あのとき、虚ろな目をして今にも消えてしまいそうだったこの子は今、復讐という名の炎に身を焦がし、その瞳には強い意志が宿る。
そんなこの子を止めることなどできず、かといってなにかをせずにはいられず、難癖をつけて頻繁にここを訪れるように約束させたのも、もうずいぶん前だ。
ぼんやりと昔を思い起こしながら、あのときと同じように飯の準備をするわしに、もはや気遣うこともなく奥方はあの子が出ていった方を見つめていた。
「もう、大丈夫。」
そして、ぽつりと独り言のように小さく呟かれた言葉は見過ごすことができず、思わず声を荒げそうになる。
「なにが大丈夫か。無茶ばかりしよって。なにかあればわしが手伝うと言っておるだろう。」
奥方は予期せぬ出来事に遭遇したように目を瞬かせたかと思うと、なにが可笑しいのかくすくすと笑った。
「笑うんじゃない。こっちは鬼の噂が聞こえるたびに肝を冷やしているというのに。」
「申し訳ありません。ですが、今の私は大罪人ですよ?そんな私のことを心配するのなんて甚平様くらいです。」
なおも笑い続けながら言われた言葉に、こちらは胸が抉られる思いだった。
「奥方が、大罪人だというのであれば、わしも同じだ。」
否定したくて、認めたくなくて、唸るように吐き出した言葉に、奥方は首を振る。
「いいえ、甚平様は違います。どうか私との約束は最後まで果たしてくださいませ。」
そう。
ここに訪れる代わりにと出された約束。
それは奥方があくまでわしのしている商いのお客として来ているに過ぎない、ということ。これが、もしものときのためにわしが奥方を切り捨てられるようにという気遣い......いや、巻き込みたくないという思いとの葛藤の末のものであることはわかっていた。
だが、本当はわしもこの子とともに刀を手にとり、戦いたかった。孤独に生きるこの子をひとりにしたくなかった。年老いたこの身ではそれが叶わぬ故に、せめてできることをと思い、今このようにしているのだ。これを同罪と言わずしてなんと言うのか。
しかし、奥方がこの思いを受け取ってくれることはないのだろう。
その容易く折れそうな細い身体で、すべてをひとりで背負おうとするその姿が、見ていることしかできないわしには、とても苦しい。
「もう十二分に良くしていただいております。」
わしの考えていることを悟ったのか、ちらりとこの手に渡された刀を見ながら柔らかい声で言う。
「...すべてが終われば、その刀はできればあの子に渡したいのです。」
窓から差し込む柔らかな光が、布に隠されたその顔を照らす。
僅かばかりに伏せられたその瞳に灯るのは、愛情以外のなにものでもない。
「このように血濡れた刀などを渡すべきではないのかもしれませんが、あの子に旦那様のものを渡してあげられる唯一のものですから。」
その脳裏に描かれているのは、いったい誰なのだろうか。
「だから、どうか丁寧にお手入れをお願いしますね。」
なんて顔をあげた奥方は、どこか意地の悪い顔で笑う。
そのゆるりとさがった眦は、どこか旦那に似ていた。
ーーーー時は現在へと戻り。
わしは目の前のふたりを見ることもできずに、そっけなく告げる。
「帰ってくれ。」
しばらくは食い下がるようにじっとそこに居たが、やがて諦めたのか
「また来ます。」
そういってふたりの男は立ち上がり、去っていった。
そしてその気配が遠ざかった途端、こらえていたものが一気にあふれ出す。
「なぜ......。なぜ、なにも言わずにいなくなったのだ!」
大粒の涙が次から次へと溢れては袖を濡らしてゆく。歯ぎしりをしようとも、とどまることはない。
「ばかものが。」
いっそのこと憎らしいと、そんな言葉を口にすれども、胸にぽっかりと空いたこの穴はきっと生涯埋まることはないのだろう。
そうして泣いて、
泣いて、
泣きつかれて。
涙も枯れ果てたころ。
ぼんやりとした虚ろな目で、のっそりと立ち上がり外へと向かう。もうすでに外はずいぶんと暗くなっていた。月が美しく輝く空を仰いだその男は、そのままゆっくりと森の奥へと続く暗闇へ姿を消した。




