終章 後
あれから少しして目が覚めたときには、もうその人はいなかった。
俺は置かれていったその刀をきつく握りしめて、ただ泣いた。同じように目が覚めていた将軍と宗馬は、そんな俺のそばになにも言うことなくそこにいてくれた。
そんな出来事からは日々は目まぐるしく過ぎた。
なにせ帝がお亡くなりになったのだ。民たちを混乱させぬようにしばらくは病で床に伏せている、ということにして指揮系統を将軍と宗馬、それから補佐として俺の三人が中心として執り行われることとなった。
なぜ、と思わないこともなかったがあのときにただそばにいてくれたふたりのためならば、と思いひたすら目の前のことに専念した。
それから季節がひとつほど過ぎようという頃。
城内の慌ただしさもようやく落ち着いたときに俺は宗馬とともに休暇をもらい、とある刀鍛冶を訪れていた。
「お久しぶりです。」
戸をくぐり中へと声をかけると、刀を打っていた年老いた男は手を止めてこちらを見る。
「また来たのか。」
少しぶっきらぼうにも思えるこの男は、旦那様が生前贔屓にしていた鍛冶師で、なんどもここに連れてきてもらっていた。
「またといっても、前に来たのはもう一年ほど前ではありませんか。それに今日はお願いもあって。中に入っても?」
ちらりと宗馬を見ながら言えば、仕方ないというように肩をすくめて奥へと案内してくれた。
「それで?」
鍛冶師が宗馬を見ながら話を促す。
「どうも。遠夜の昔馴染みの宗馬です。」
「あぁ、あんたが。わざわざこんなところまで何用ですか?」
名前に心当たりがあるようで、おそらく旦那様から宗馬の話を聞いていたのだろうことが窺える。
鍛冶師は俺に視線を戻しながら、早く要件を言えと無言のまま訴えられた気がしたので、早々に本題にとりかかる。
「こちらを研いでほしいんです。」
持っていた布の塊を目の前へと差し出す。
それを受け取り、布を剥いだ鍛冶師は目を見開き、瞬時にばっと壁にかけてあった刀を抜いたかと思うと、俺の首元へと突きつけた。
ひやりと汗が伝う。
宗馬が動こうするのが見て取れて、手を挙げて制する。
鍛冶師は眉を吊り上げて、怒鳴った。
「これをどこで手に入れた!」
言われたことがあまりわからず、困惑したまま正直にありのままを話した。
「鬼...。いいえ、旦那様の奥方より渡されました。」
鍛冶師は目を見開いたかと思うと、刀を取り落としてがくりと頽れた。
慌ててその身体を支える。
「大丈夫ですか!?」
鍛冶師は無言のまま座り直し、俺たちにも座るように促すと片手で顔を覆い、震える声でただぽつりとこぼした。
「そうか。」
宗馬も危険はないと判断したのか、警戒を解いて座り直し、沈黙が訪れる。
この鍛冶師がここまで動揺したということは、この刀は本当に旦那様のもので間違いないのだろう。こちらから何かを言うこともしないままじっと待っていると、少ししてから鍛冶師は顔を上げた。
「いつのことだ。」
おそらくこの刀をもらったときのことだろうと気づいて答える。
「半年ほど前のことです。」
「ならば、もう...。」
その先の言葉が続くことはなかった。
俺と宗馬は顔を見合わせる。
ここを訪れてこのようなお願いをしたのには訳があった。奥方が去り際に、宗馬に対して『旦那様が贔屓にしていた刀鍛冶を訪れるように。』と言葉を残したのだ。だからこうして時間を作り宗馬とともに訪れたのだが、いきなり激高したかと思うと今のように消沈され、混乱せずにはいられない。
「帝が病に伏せたというのは嘘で、もうお亡くなりになったんだな。」
ぼんやりしていたかと思うと、急にそんなことを言われ俺は飲んでいた茶を咽た。
「なぜわかった?」
宗馬も硬い声で問うが、鍛冶師は気にした様子もなく人の名前だと思われるそれらをいくつか羅列した。俺にはなんのことかわからなかったが、宗馬はわかっているようで口をあけて鍛冶師を凝視していた。
「今の人たちがだれか知っているのかい?」
思わず俺は宗馬に問いかける。
「鬼が斬ってきた人たちの名前だ。その名前をいったいどこで...。」
俺も驚きに目を見開く。なぜこの人がそんなことまで知っているのだろうか。鬼に斬られた人の名前は、近しいものでなければわからないほどに噂にのぼることも、公開されることもなかったというのに。
「まずはお前たちに聞こう。ここに来たのも奥方に言われてか?」
いまだ動揺から抜け出せず、ただこくりと頷いた。
「そうか、ならばもういいだろう。
わしは鬼と呼ばれていた人が奥方であったのも、旦那様を殺したのが帝であったことも知っていた。」
衝撃でもはや眩暈がするほどだ。そんな俺たちの様子を気にすることもなく、鍛冶師は刀を撫でながら話し続けた。
「これがお前さんに渡されたということは、すべて終わったのだろう。」
先ほど告げられた名前は、帝の手足として動いていたひとたちであること。
そのひとたちが、帝の命で旦那様を謀反人として仕立て上げるために動いていたこと。
奥方は復讐として、帝のそばにあるそういったものたちをひとり残らず始末しようとしたこと。
そうしてひとりになった帝を自身の手で討とうとしていたこと。
鬼が、奥方が、俺たちを斬らなかった理由はそこにあったのだと、ここでようやく知ることになる。
奥方が対象としていたのは、あくまで帝であり、ただそこにあるひとたちを無差別に狙ったものではなかった。
「鬼は...。鈴音殿は、俺と対峙するときに刀を交えず、避けてばかりでした。」
「奥方は刀に毒を仕込んでいたからな。旦那様の友人であったお主に、かすり傷ひとつつけるわけにはいかなかったんだろうよ。」
淡々と鍛冶師は話す。まさかそのようなことまで把握しているとは。俺は気になっていたことを聞いてみる。
「その、奥方は刀を握る人ではなかったと記憶しているのですが、そのように毒まで扱うだなんて。だれかの助けなしにできないと思うのですが、まさか貴方だったんですか?」
そうだと肯定されるかという予想に反して、呆れたようにため息をつかれた。
「お前さんはあれほどまでにそばにいたのに、気づかないとはなんと愚かな。
いいか、奥方はとても賢いお方だった。旦那様を支えるために動いていた人が、旦那様を亡くした憎しみで人殺しのために動くようになった。ただそれだけだろう。
どのようなことにまで手を出していたかはわしも知らんが、その薄れゆく命でただ帝を確実に仕留めるためだけに必死で動いていた。」
ひゅっとのどが鳴る。
鈍器で頭を殴られたように、思考は鈍い。
「薄れゆく、命...。」
ただ茫然と俺はその言葉を繰り返す。
「それも知らないのか。いや、あのお方であれば言わないだろう。奥方はおそらく、もう自分の命が長くないことをわかっていたから勝負にでたのだろうな。前からすべてが終わればこの刀はお前さんに渡したいと言っておった。」
すべてが終わるとは自分の命が尽きることだろうか。それとも帝に復讐を果たすことだろうか。いや、帝を討つときが自分の命尽きるときだと考えていたのだろう。
あのとき、復讐のためだけに生きてきたと仰っていた。
そうだと言うならば、奥方はきっともう......。
じわりと視界が滲む。
そんな俺に容赦もなく、鍛冶師は言う。
「この刀はもうわしには研げん。わしの弟子がやっている鍛冶屋があるからそちらへ行け。」
刀をとても愛おしげに、そしてとても寂しそうに撫でてから、それをこちらへと返した。
「...なぜですか?」
「わしも、そしてその刀も。もう役目は終えた。それにとっくの昔に仕事は辞めて隠居しておる。」
涙にぬれた顔で、情けない声で縋るように聞いた俺を、なだめるように柔らかく微笑んだ。
納得できずに食い下がる。
「どうにか、お願いできませんか。前回訪れたときも、先ほどまでも、刀を研いでいらしたではありませんか。」
「ばかやろう。お前さんがその刀を手にした時点ですべて無意味となった。」
そういった鍛冶師は立ち上がり、すばやく何かをしたためたかと思うと俺に押しつけて短く突き放す。
「帰ってくれ。」
ここまで頑なに言うのであれば、これ以上は無駄だろうと少なくはない付き合いの中でこの人となりを知っている俺は諦めるしかなかった。この人は旦那様相手でも頑として譲らないところがあったのだ。
「また、来ます。」
項垂れながら、宗馬とともに帰路へとついた。
そうして、俺はこの鍛冶師がいなくなったことをふた月ほどが過ぎた頃に知ることとなる。
これにて月鬼桜は完結となります。
拙い文章で、読みづらい箇所も多くあったかと思いますが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
近いうちに鬼側のお話も書けたらいいなと考えておりますので、またその際はお付き合いいただけますと幸いです。改めまして、月鬼桜をお読みいただきありがとうございました。




