終章 前
本作品では過激な表現が含まれる場合があります。
苦手な方はご注意ください。
鬼は俺の手をとることなく、ただじっと見つめた。
「今更知ってどうする。」
鬼の言うとおりだ。
仮に、旦那様の件が嘘偽りにまみれていたとして、今更亡くなった人が帰ってくることはないのだ。だが、それでも。
「それでも、真実を知りたいです。旦那様の嘘偽りなきお姿を。」
鬼は目を伏せる。
「...もう手遅れだ。」
その瞬間、その場にいた残りのものたちが一斉に地面へと崩れ落ちる。
身体が動かない。なにが起きたのだと、目だけで訴えかける。
「安心しろ。暁月以外はただの痺れ薬だ。」
油断した。まさか、今この時もすべて計画の上だったということか。
全員どこかしらに鬼の刀による切り傷があったため、前の毒のように刀に薬が仕込まれていたのだろう。そして帝へとむけられたあの短刀。あれが本当の狙いであり、目的だったのだ。
鬼はさっと膝についた汚れを払いながら立ち上がると、帝のもとへとゆっくりと歩いていく。今までなぜ大人しかったのかと思うほどに、まっすぐな足取りで迷いなく進んでいく。
「鈴音殿、なりません!」
将軍が声を絞り出す。
鬼は地面に落ちていた刀を拾い上げて、将軍をちらと見る。
「貴方の弟子であったものをふたりも失わせることになり、申し訳ありません。」
そういって、俺もよく知る奥方の柔らかな笑みをその顔にうかべた。
「ですが、私はこのためだけに旦那様のいないこの世を生きてきたのです。」
そして静かに手に持った刀を振り上げる。
「なにもかも、すべてを享受していたあいつが悪い!」
ざり、と地面をかく音がする。
「私はすべてを手放して、帝としてそこにあるしかなかったというのに!遠夜は私が望むそのすべてを手に収めていた!!」
それは帝という仮面が剥がれた、ただひとりの青年の声だった。醜く、だれもがもつその感情を、この人ははじめて表に見せたのだ。驚きよりも、哀れに思ってしまう。
「...ふざけるな。」
低く、唸るように鬼がその手を震わせる。
「旦那様がどんな思いでお前のそばにあったと思っている!望むものはすぐそこにあったというのに、お前が自らすべてを手放したのだ!!」
「お前になにがわかる!?ひとりで生きることを強いられ、まわりのものと同じ、ひとりのひととして生きることすら願うことのできないこの俺を!!」
その瞬間、鬼は間違いなくその瞳に憐れみを宿した。だがそれは帝へと向けられたものではないことにすぐに気づくことになる。
「宗馬殿。これがこの男の本音です。旦那様や貴方様の思いなど、このものに届くことはもはや未来永劫ないでしょう。」
その言葉に宗馬を見ると、苦しそうに、泣きそうに顔を歪ませていた。
「すまない、きっと俺が至らなかったせいだ。遠夜のことも俺が死なせたようなものだな。」
薄らと笑みさえ見せたその顔は、とても見ていられるものではなかった。
「旦那様を殺したのは間違いなくこの男です。この男の業を貴方様が背負う必要はありません。」
鬼は呆れたように言いながら刀を逆手に持ち替える。
「ここで、すべてを終わらせましょう。」
そうしてその刀は、一息に振り下ろされた。
それからは帝が声を発することはなかった。
ただ茫然と、俺たちは鬼を見る。
鬼は刀を抜くこともせずに、こちらへと歩いてくる。道中で落ちていた自身の刀を拾い上げた。
俺も殺されるのだろうか。
恨まれていて当然だろう。もし本当に旦那様の謀反が帝により仕組まれて殺されたのであれば、俺は旦那様を殺したひとを優しい人だと勘違いし、あまつさえ旦那様亡き後に帝のもとで仕えていたのだから。
(裏切り者...か。)
多くのものたちが当時、旦那様をそう呼んだ。俺も裏切られたと思っていたのだ。今となっては自分の愚かさが憎くてしようがない。
俺の目の前に立ったその人を目だけで見つめる。鬼はそのまま膝をついて、こちらへと手を伸ばした。
死を覚悟して思わず目を閉じる。
遠くで宗馬が叫んでいるのが聞こえたが、依然としてこちらの気持ちは静かなものだった。
だが、沙汰を下されるその時をただ待っていたのに、いつまで経っても痛みなどに襲われることはなかった。不思議に思ったそのとき、頭に柔らかな熱が触れた。
そして、今でもはっきりと思い出せるあの頃と同じ柔らかな声が聞こえた。
「旦那様は、柳殿のことをずっと心配していました。」
目を開いて見上げれば、そのひとは少し困ったような顔で微笑んでいた。
じわりと涙が浮かび、視界がぼやける。
旦那様が生きていたころは、よくこうしてふたりに頭を撫でられたのだ。
鬼はことり、と刀を目の前に置いた。
「旦那様が生前使用していた刀です。残っているものはこれだけで。ごめんなさい。」
そうとだけ言いおいて、するりと熱が離れていくのを目で追う。
いやだ。
行かないでほしい、と願うのに身体は動いてくれない。
鬼が背を向けて遠ざかっていく。
いやだ、行かないでと。望んでもいいのならば傍にいさせてほしい、と叫びたいのに声にならない。子どものわがままに困る親のように、頭を撫でてそばにいてほしい。ずっとひとりだった俺に温もりをくれたひとたちがまた遠ざかってゆく。もうひとりはいやだ...。
俺の意思に反して瞼がどんどん重くなる。
鬼は途中、宗馬の横を通るときに少しだけ足を止めたが、そのまま振り返ることなく闇へと消えていくのを見た俺は、ついに意識を手放した。




