第二章 其の十二
本作品では過激な表現が含まれる場合があります。
苦手な方はご注意ください。
あれから「大変な思いをしただろうから休みを取るといい。」と言われ、本日から数日間のお休みを頂けることになった俺は、お昼を過ぎたころからまたあの山を目指して歩いていた。
昨日、例の衛士から桔梗の話が上がっていたのもあり、無性に先代将軍に会いに行きたくなったのだ。
前回は宗馬と歩いたその道を、今回は俺ただひとりで歩く。
通い慣れたはずのこの道が、なぜか今はひどく静かに永く感じてしまう。思い返せばひとりで歩いた記憶は数少ないのだと気づく。なんとなく空しくなって、頭を切り替えようと先日の話について考える。
先日の話の中で不思議に思っていたことではあるが、帝は俺のことを全く疑っていないように感じられた。素性も知らないような者たちと食事を共にし、俺と衛士以外の者たちが鬼に殺された状況だというのになぜそれほどまでに信頼してくださるのか理解できない。
逆の立場であれば、間違いなく俺のことが怪しく見えるだろう。
そして一番気になったのが、城内に勤める者の中に鬼がいるのではないかという話になったとき、それはないと断言していたあの確固たる自信。なにとはなしに、俺の中で帝は鬼を知っているのではないかという疑念が頭をもたげた。
そこまで考えてはっと我にかえる。
いけない。帝を疑うような思考に傾きかけて、慌てて思考を中断させる。気づけばかなり山の奥まできていたようで、微かに桔梗の香りがして顔をあげる。そうしてあと少し、と自分に言いきかせてそのまま歩き続けた。
目的の場所にたどり着いた俺は、少し開けたいつもの定位置へと腰を下ろす。
いつもそこに変わらずある景色。だが今まで遅い時間に来ることがなかったため、月明かりに照らされた桔梗の美しさと、その甘すぎない香りにここが現世とはかけ離れた別世界のように感じられて目を閉じて酔いしれる。
さらさらとした葉擦れの音、遠くで轟く波の音。なにもかもが自身を落ち着かせてそのまま眠ってしまいそうなほどだ。今日はこのままここで夜を明かすのもいいのかもしれない、と帰る気もないままにそんなことを考えていた時だった。
さり、とこれまでと違う音が混じり、次いで首元に触れた冷たさに思わず目を開ける。
いつのまにか背後にあった気配と、首元にあてられた刃が薄く肉に食い込み、息を吞む。首元を血が伝う感触に不愉快さを覚えようと身じろぐことはできなかった。
「これ以上関わるな。」
低い、けれど透き通るような綺麗な声だ。
もしかしたら会えないか、という一縷の望みがあったのも否定はしないが、まさか向こう側からこうして来てくれるとは思っていなかった。そして今この瞬間、鬼はやはり斬る人を選んでいることも明確になった。
「君はどうして人の命を奪う。」
初めて会ったときとは違い、慌てることも緊張することもなく落ち着いていられた。この場所が俺をそうさせたのか、それとも後ろにいるおそらく鬼であろうその人からあのときのような殺意を感じなかったからだろうか。
じっと辛抱強く次の言葉を待っていると、すっと首元にあった冷たさが消えた。
慌てて振り返ろうとした瞬間、ぎぃんと耳障りな音が鼓膜を突き刺した。
見ると、鬼は突如後ろから刀を振りかざした男の刃を受け止めている。いったいだれだろうか。このような夜中の山を訪れるような者が他にいるとは思えない。
「帝の犬か。」
嘲るように鬼が笑ったかと思うとぶわりと殺気を放ち、刀を弾いて後方へと飛ぶ。
(帝の...?)
鬼が犬と呼んだということはおそらく帝に仕える者なのだろうと思うが、なぜこのような場所にという疑問が強く、立ち尽くしていれば木々の向こう側から帝と幾人もの衛士たちがでてくるのが見えた。さらには将軍や苦々しげな表情をした宗馬もそこにいた。
途端に、ずっと自分が監視されていたのだと気づいて、心が冷えていくのを感じる。
おそらく最初からずっと疑われていたのだろう。数日休むようにと言われたのも、鬼が俺のまわりに出現するであろうと見越して泳がされていたのだ。
信用されていなかった事実に、あの優しさが嘘であったことにただ呆然とする。
いや、仕方のないことだ。それほどまでに怪しかったのだ。
ふいと視線を外して鬼を見る。
意外なことに鬼はすぐに斬りかかったりはしなかった。さすがにこの人数相手に立ち回るのは無理だと判断したのだろうか。
「鬼を捕らえろ。だが殺しはするな。」
帝が決して大きくはない、けれどもこの場にいる者たちへしかと届くように強く命じた。
まわりにいた者たちが一斉に刀を抜いて構える。
だが鬼は構えることなく冷たい声で笑った。
「ははっ。そうだろうとも。
お前は私を殺せはしない。私が欲しくてしょうがないお前には。」




