彷徨う男
『ダンジョンの目の前で弁当屋やってます』の続編です。
先に前のお話を読んでいただくとわかりやすいかと思います。
「ごちそうさまでした。
今まで、こんなに美味しいものを食べたことはありません!
貴女は、世界最高の料理人ですね」
弁当のカラを十個も積み上げ、美麗な男が微笑んだ。
『あんだ? てめえ、人の女房に色目使ってんのか!?』
正確には人の女房ではなく、人型にもなれるブラックドラゴンの女房である。
今はドラゴン姿の夫は、尻尾でわたしを巻き込んで離さない。
ちょっとウザイ。
奴が興奮し過ぎて締め付けて来るようなら、素手で尻尾を千切る覚悟だ。
多分、いけると思う。
「とんでもない! ブラックドラゴン様の奥様に色目を使うなど有り得ません。
そもそも、私は聖職者の身。
女性に邪な心を抱くことはございません。
……あ、もちろん、男性にも、です」
いかにも清らかな笑顔は、ダンジョン最奥に不釣り合いなほど眩しい。
相当に聖なる力の強い男は、いるだけでその辺を浄化する。
ここはダンジョンの最下層。
今日は夫の顔を見に来たわけでは無いのだが、成り行きでここまで来てしまった。
実は、中層でいつものように弁当の材料を狩っていたら、妙な気配がしたのだ。
ダンジョンは下に行くにつれ、魔物が強くなり、瘴気が濃くなっていく。
ところが、いつもより瘴気が薄い。
なんなら、出て来る魔物がどことなく調子が悪そうである。
それでも、やらなければやられる。いつものように魔物を倒したのだが。
「は? 希少薬草!?」
なんと、とんでもない薬草をドロップした。
今まで、こんなことは無かった。
「ハーブなら使えるけど、完全に薬用となると、ギルドで売るしかないな」
とりあえず、バッグに収納する。
進むうちにだんだんと妙な気配が大きくなっていき、とうとう、それと出会った。
それ、と言ったら失礼か。
気配の元は一人の男。猫背姿でトボトボ歩いている。
中層を一人で歩く人間など魔物に会えばひとたまりもないはずだが、魔物の方が、彼を避けていた。
「そこの方、もしや、ダンジョンに入ってからパーティとはぐれたのでしょうか?」
猫背の男がゆっくりと振り返る。
なんとなく、アンデッドみたいだ。
だが、顔はなかなか美麗で、装束は神官のごとし。
何処かから流れ着いた聖職者と見受けられる。
「……ご親切にお声をかけていただき、ありがとうございます。
ですが、おかまいなく。修行のために歩いております。
この道はいつか神に届く道……え? ダンジョンと仰いましたか?」
「ええ、ここは最深部に凶悪なブラックドラゴンが待ち構えるダンジョンですが」
「なんと……道に迷ったようです」
道に迷ってダンジョンを彷徨うって、どんなだよ。
そのままにもしておけず、とりあえず、彼を引きずるようにして最深部まで潜った。
『な、おま、浮気かよ! 堂々と間男連れて来たのかよ?
……なかなか、いい男じゃねえか。
お前、男の趣味変わった?』
会うなり夫が浮気と口にしたので、ムカついた。
「海老天丼、食べたくないんだ? そうなんだ?」
『アッ、ごめんなさい!
冗談です、妻の愛情を疑ったことなんて、これっぽっちもございません!』
謝罪の言葉は安っぽいが、その後のブラックドラゴンの土下座が可愛かったので許すことにする。
まだまだ、芸を仕込む伸びしろがありそうで、先が楽しみだ。
彷徨う男の猫背の理由は、腹が空き過ぎて倒れかかっていたからだった。
それで、とりあえずマジックバッグ内にある弁当を食べさせることにした。
ダンジョンに入ったことを気付かず数日過ごしていたらしいので、出来ればお粥でも食べさせたいところだ。
そう言うと、男は自分の胃腸に軽く治癒魔法をかけた。器用。
男にだけ食べさせると夫が煩いので、おやつに弁当を出してやる。
『それにしても、旨ッ!
お前の海老天丼最高だな!
アッ! おい、間に野菜天丼紛れ込ませたな!』
『黙って食べなさい。
野菜天丼の深い味わいが分からないようでは、人間の男に負けるかもしれんぞ』
『えッ? そうなのか?
確かに、このカボチャの天ぷらの甘さはクセになりそうだけどよ。
シシトウの辛さもたまらんが……
シイタケの味だけは……俺には分からん』
そうか、シイタケ駄目か。次回はマイタケで作ってやろう。
それはさておき。
夫に意見しているのは、このダンジョンを造り、管理している神様である。
しれっと現れて、わたしに手を差し出すので、野菜天丼を渡す。
以前は声だけしか聞けなかった神様は、ある日、突然に姿を見せた。
夫に弁当を食べさせていたら、突如、現れたのだ。
『肉の弁当ばかりだな。野菜の多い弁当は無いのか?』
「どなた様でしょう?」
『神様だよ、神様。俺の創り主で雇い主』
夫が紹介してくれた。
夫は悪戯が過ぎて、このダンジョンのラスボスに封じられているのだが、本人は雇われラスボスのつもりであるらしい。
素晴らしく前向きだ。嫌いじゃない。
「主にダンジョンのドロップ品を材料にしてますから、肉系統に偏ります」
『なるほど。では、お前に加護を授けよう』
「加護?」
『使いたい材料を頭に浮かべて、ダンジョン内で狩りをするがよい。
必要な物がドロップするだろう』
「ありがとうございます?」
翌日のことである。
「マジか……」
とりあえず検証してみようと、初心者向けの層で試してみた。
普段、この辺の弱い魔物は、効果の小さい傷薬や栄養ドリンクなどを落とすのだ。
わたしは天丼用の野菜が欲しいな、と思いながら狩りをした。
すると……
「カボチャにナス、玉ねぎにしし唐、シイタケ、だと!?」
呆れたものである。
弁当屋の材料パラダイス! 狩り放題!
神様は、そんなに野菜料理が食べたいのか。
中層の爬虫類系魔物が出る場所では、海産物を念じてみる。
「エビにカキはともかく、アジの三枚おろしだと!?」
至れり尽くせりである。
ちなみに、後日、米が足りなくなったので米を念じてみた。
見事に、高級新米が出た。
神様、ありがとうございます!
当然、弁当屋のメニューが増えた。
から揚げ、焼肉、ハンバーグの三種に加え、海老天丼、野菜天丼、アジフライ、カキフライ。
付け合わせの種類も増え、彩りも栄養バランスも良くなった。
店主のわたしのドヤ顔をお見せしたいくらいだ。
さて、加護を授けてくれた時と同じように、神様はこの場にさりげなく現れた。
さすが、聖職者と言うべきか。彷徨う男は狼狽することもなく、目の前の事実を受け入れる。
食後のお茶を飲んで一息、神様が切り出した。
『ところで、お前は何故、故郷を離れて彷徨っているのだ?』
彷徨う男は、神聖帝国で高位の神官の地位に就いていたという。
「実は……ある日、妙に空腹を感じまして。
それでふと、供え物の菓子を盗み食いしてしまいました。
上司は気にするなと言ってくれたのですが……自分で自分が許せず、職を辞して修行の旅に」
『なるほどな。
お前の信ずる神は、戒律に厳しい神なのか?』
「いえ、どうなのでしょう?
神聖帝国が奉る神と直接会話することなど、ありませんでしたので」
『であろうな。
宗教とは神が創ったものではないからな。
信心の姿は、人が作り上げるものだ』
「……そう、かもしれません。
同じ神を信じても、人それぞれ、心持ちも違いますから」
『神とは、そんなに狭量なものではない。
そして、責任感があるものでもない』
神様、ぶっちゃけていいのでしょうか?
『人もそれぞれ、神もそれぞれ。
人と交流したい神もあれば、祟らず障らぬ神もいる。
人は人、神は神。
己が信ずる道を生きよ』
「己が信ずるもの……
流離いの果てに求めるべき答えが見えました。
ありがとうございます」
『うむ』
言いたいことを言い、食べたいものを食べた神様はすっと消えていく。
『お前、国へ帰るのか?』
間男説は忘れたらしい夫が、気安く話しかける。
「これも何かのご縁。ここで修行しようかと思うのですが」
ダンジョンで修行?
「何か困りごとは無いでしょうか?
掃除でも、浄化でも治癒でも。結界も作れますし」
『正直言って、ずっとダンジョン内をうろつかれると、自然浄化のせいでいろいろ不都合が起こるかもしれん』
おおう。脳筋夫がまともなことを言っている。
そうだ、それなら。
「じゃあ、弁当屋手伝わない?
わたしの出られない日に、売ってもらうだけでいいし。
儲かってるから、ちゃんと給料は出せるよ。
ついでに、ダンジョン帰りの怪我人を治癒してやれば喜ばれる」
死人は出ないが怪我人は出る。
治癒士が間に合わなければ、ダンジョン外では死亡する可能性があるのだ。
「それは、願ったりですね。……あの、大変申し上げにくいのですが」
「何でも言ってみて?」
「賄いの弁当は頂けるのでしょうか?」
「あはは、そんなに気に入ってくれた?
もちろん、出すよ。三食でも、それ以上でも大丈夫」
『おいおい、あんまり甘やかすなよ』
おやつに十人前平らげたヤツが何を言うのやら。
とりあえず、彷徨っていた男と、弁当屋で一つ屋根の下になってしまったが、夫はそれについては何も言わなかった。
わたしの愛を信じているのか、単純に人間が屋根の下で暮らすという常識が頭に入っていないのか……
だがすぐに、彷徨っていた男はその治癒力で、冒険者たちから信仰に近い人望を集めてしまった。
半年後には、稼いでる冒険者のカンパで、弁当屋の隣りに治癒院が建ったのである。
「居候状態が解消されたので、少々気が楽になりました」
弁当屋の店先のベンチでパパっと治せるような傷なら問題ないが、さすがに絶賛流血中の患者を前に弁当は買いにくい。
店主としても、嬉しい限り。
「ところで、本当に盗み食いしただけで、教会を飛び出したの?」
「……その日は丁度、師の誕生祝で控室におりました。
師は聖教会のトップで、そろそろ引退すると仰られていまして。
順当にいけば、次の地位にいた私が繰り上がることになったと思います」
「もしかして、それが嫌で逃げ出した?」
「自身の道の探求に心を割く私は、その地位に相応しくありません。
言い訳を、自分で作ってしまったのですね」
「逃げ出された教会は、困らない?」
「なに、出世欲でギラギラした者がたくさんおりましたから、何とでもなるでしょう」
彷徨っていた男は、ゆったりと微笑んだ。