一話 疑問
『政府は、若者……いわゆるZ世代のSNS依存問題を深刻に受け止めていると話しており……』
『次のニュースです。最近、渋谷周辺で事件が多発しており……』
……朝。
俺の目の前には、苛立たしげにチャンネルを次々と変えていく少女が一人。
「おい、早く朝メシ食べないと遅刻するぞ」
俺……北条キリヤの妹、北条カナミは、こちらの心配など意にも介さず、ただただ食パンを咥え、テレビへと視線を向けるのみである。
黙っていれば美人と名高い俺の妹は、セミロングの黒髪に少々茶色がかった目、という日本人にはよくある容姿をしているが、それでも目を惹くのは……胸。
実の妹だというのに、思わず目がいってしまうような胸の豊満、そしてスタイルの良さ。高校生らしからぬそのルックスは、老若男女問わず多くの人々を虜にしてきたのであろう。
「……お兄ちゃん、またカナミの胸ばっか見てる。講義遅れても知らないよーっだ」
そんな不埒な事を考えているのがバレたのであろうか、べっ、と舌を出して彼女は足早に朝食が並べられたテーブルを後にする。遅刻しそうなのはお前の方だがな、と言ってやりたい所だったが、さらに機嫌を損ねるのは目に見えているので、ひとまず大人しく朝食を頂くことにした。
毎朝のごとく、今日もまた母さん特製のハニートーストが食卓に並んでいる。このハニートーストは、一般家庭で出されるような、ジャムやバターをただ塗りたくってトーストしました、なんてものとは訳が違う。
バターがしっかり中まで染み込むように入れられた、食パンの切れ目。そして、アクセントに乗せられたスライスアーモンド。
極め付けは、なんと言ってもこの綺麗なきつね色だ。
見た目だけでも充分にこちらの食欲をそそるような一品であるが、はちみつの甘い香りが鼻腔を擽れば、もう体は無意識のうちに動いている。
欲望のままに齧り付いたそれ。我が家の朝の定番メニューとなるだけあって、口当たりの良い食感がなんとも言いがたい。
トーストされているから、外はサクサク、中はフワフワ、食パンの良い所が充分に発揮されていると言えよう。
そしてご丁寧に、甘ったるい味を整えるかのように乗せられたスライスアーモンドが、いい塩梅を保っている。甘ったる過ぎず、そして飽きにくい。それに加え、食感も楽しい。
「母さん、ごちそうさま」
「良い食べっぷりだねぇ。大学、何限からなの?」
「今日は四限から。帰りは遅くなる」
俺はそうとだけ伝えて階段を駆け上がり、自室への扉を開けた。……相変わらずコード類でぐちゃぐちゃである。
充電器に繋いであったスマホを手に取り、ボーッと画面を見つめていれば、ふと。
気になるものを見つけて、好奇心に誘われるがままにそのタブをクリックする。
【今話題の異世界カフェに遊びに行ってきたよ!】なんて書かれている事から推察するに、今若い女性の間ででも流行っているカフェなのだろう。
流行には全く触れる事のない生活を極めている俺だが、そんな俺が目を引いたのは、【異世界】なんていう、いかにも厨二くさいワードであった。
コンセプトカフェ、というやつなのか、はたまた店の雰囲気なのか、真相は定かではなかったが、多少の興味を惹くには充分過ぎるそのワード。いわゆる、男のロマンというやつである。
流行に敏感なカナミなら、何か知っているかもしれない。……いや、逆にもう知っている可能性すら大いにある。
どちらにしろ、アイツが帰ってきたら伝えてやるか。それか、メールでも送っておくか。
幸い講義は四限からだし、店は渋谷に拠点を構えているらしいので、大学に行くついでに立ち寄るのも良いのか。いやしかし、そんな流行最先端な場所に男一人はいかがなものか。少なくとも俺は嫌である。後ろ指さされたくないし。
まぁ送っておくだけ送っとけ、なんて気持ちでメールを送った訳なのだが、どうやらまだ学校への移動の最中であったらしいカナミは、爆速でそれに既読をつけて、ご丁寧に店のリンクまで貼って長文を寄越してきた。
『異世界カフェ、わりと有名だよ。カナミは行った事ないけど。前行った事あるって子居たけど、すっかり常連になってたから、味も良いんだと思う。基本ワンコインだから、お財布にも優しいし』
ワンコインか。それはありがたい。
少なくともまだ学生の俺達にとって、アニメなどのコラボカフェでよくあるような、600円もするドリンクなんて到底手が届かない。
学生の3000円は、大人の10000円に値する。お小遣い事情とは、そういうものだ。
俺がそんな風に考えを巡らせていれば、続けてカナミからのメッセージが届く。
『今日帰りに試しに行ってみる。お兄ちゃんみたいな人でも入れるか確かめてくる。感謝しろ』
何だろう、俺の妹は女神なのだろうか。
ありがとうのスタンプを送り、俺は近場の椅子に腰かける。
……今度アイツに、ケーキか何か買ってきてやろう。
そんな風に思案しながら、俺は束の間の平穏の時間を楽しんだ。
そんな時間はあっという間に過ぎ去っていき、気付けばもう大学の講義の終了を知らせるチャイムが鳴り響いていた。
……大学に足を運んでからも、頭の中は【異世界カフェ】の事で頭がいっぱいいっぱいで、講義の内容は全くもって頭に入ってこなかった。……近日、誰かからノートでも借りよう、そう心に決めた俺は、ずっとしまいっぱなしにしていたスマホを取り出して、帰り道を辿っていく。
自宅からそう遠くない、そんな理由で決めたこの大学。駅まで歩いてしまえば、電車に乗って数駅跨ぐだけで最寄駅に到着する。実に便利である。
外はもうすっかり日が暮れていて、この時分ならもうカナミも家に帰っている頃だろう、と俺は冴えない頭でぼんやり考えた。
そんな風にして駅へと歩いていれば、突如として物凄い速さでこちらに向かう足音が近付いてくる。……俺は得体の知れない恐怖感を感じ、そのまま一歩横に移動した。
「キリヤ〜!!」
俺の名前を呼ぶ声の主は、俺が横に逸れたことに気が付かず、暫くそのまま前方へとダッシュを決め込んだ後、俺の姿が見えない事に気付いたのか知らないが、大慌てで引き返して俺の前で立ち止まる。
……この騒がしい残念毛染め系イケメン、それが俺の幼馴染であり親友の華崎ハルトである。
「……どうしたんだ、もう講義は終わったんだぞ」
「いやいや、下校中友達が居たら一緒に帰ろうとするぐらい普通だろ」
「そうなのか」
「そうだよ!」
もう俺達も大学生だというのに、ハルトは小学生の頃と何も変わらない純粋無垢な瞳を爛々と輝かせながら、自信たっぷりにそう言ってみせた。
相変わらず元気なやつだ、と苦笑を浮かべつつ、俺達は肩を並べて駅へと向かう。
その途中、ふとカナミから連絡でも来てないかと取り出していたスマホを立ち上げ、メッセージアプリを開く。案の定通知が一つだけ付いていた。
俺がメールでまでやり取りする友達はさほど多くない。きっとカナミからだろう、そんな俺の読みは当たっていた。
メッセージを開けば、たった一行、されど一行、そこには記されていて。
『異世界カフェには行くな』
その真意は分からない。ただそのたった一行が、カナミの手によって記されているのは確かである。
途端に湧き出てくるのは恐怖感。カナミに何かあったのではないかという焦燥感。
それらが全てごちゃ混ぜになって、思考が停止する。何かによって、確実に蝕まれていくような、そんな感覚。
「……どうした、キリヤ?」
静寂で満ちた辺りに、親友のそんな問いかけだけが響き渡った。
ここまでお付き合い頂きありがとうございます。
三日に一回程の更新を予定しております。
次回もお付き合い下されば幸いです。