表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

長く這うもの 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 人間はどうして二足歩行するようになったか、みんなは知っているかい?


 ――物を運ぶのに、二本の手を使えるようにしたほうが都合がいいから?


 うん、有力視されている「運搬説」だね。

 これが可能になったのは、樹上生活を送っていく中で、股関節がやわらかくなったからだといわれている。

 他の四足歩行の動物だと、足の可動域などの問題があり、直立での二足歩行を続けるのは難しいのだとか。いわば人間の進化の証といえるかもしれない。


 それができないうちは、まだ人間と呼べず。行えなくなった者は、もう人間といえない。

 もしみんなの周りに、四つん這いになる者がいたら気をつけるべきかもね。

 先生の聞いた昔話なんだけど、ひとつ話をしようか。


 むかしむかし。

 とある家に生まれた男の子は、ゆりかごで眠るうちからかなり大きい身体をしていたらしい。

 出てきた当初は、他の赤子と大差ない体型だった。それが時を重ねるごとに、腹を中心に横幅が広がっていき、半年の間に3回ほどゆりかごの大きさを変えなくてはいけなかったそうだ。

 やがて赤子もハイハイをする時分を迎えるが、それは生まれ出てから1年がゆうに経つ頃だったという。同じ時期に生まれた子たちは、そのほとんどがすでに、這い回ることに慣れていた。


 立てないうちは、人間にあらず。赤子という生き物だ。

 彼の生まれた界隈では、そのような話がささやかれていた。両親もまた、彼が早く二の足で立てるようになることを、強く望んでいたんだ。

 ところが、子供はなかなか立ち上がろうとしない。みなに数カ月遅れて這い出したのが、今度はさらに一年以上も水をあけられている。

 3歳を迎えても子供は立たずにおり、それまでは「このようなこともある」と寛容に構えていた親たちも、少しあせりを感じ出していた。


 足の機能に問題があるわけではないらしい。

 実際、脇下に手を差し入れ、抱き上げながら足をつけると、立つことは立つ。そのまま歩くこともしてくれる。

 しかし、目を離すとすぐにハイハイへ逆戻りしてしまったらしい。自力では立とうとしてくれなかった。

 よほど、四本の足を使った動きが心地よいのだろうか。身体はなお育っていくというのに。

 最終的に、子供はそれからも6年あまり、家の中を這うことになっていたそうだ。その移動方法以外に、問題とするところは見当たらない。

 やがて10の年を数えてからは、やっと立ち上がって二足歩行をするようになる。でっぷりと膨れたお腹は、同年代の誰もおよびもつかないもの。

 かといって、彼は人前で多く食べるわけでもない。立ってからの動きも、むしろ機敏な点が目立ち、デブとするよりは関取に近いものを感じたのだとか。


 彼が人並みな歩きをするようになって5年余り。

 ひとまず胸をなでおろした両親だが、昔のことはどこまでも彼を追ってきているようだった。

 彼の友人の何人かが、なお四つん這いする彼の姿を見たことがあるというのだ。

 場所は町なかばにかかる大橋のあたり。日暮れ時になると往来が少なくなるそこに、ときおり彼の姿がある。

 遠目に見ると、彼は橋とそのたもとを這って行き来しているのだとか。

 声をかけようと近づくと、気配を察してかすぐに立ち上がり、何食わぬ顔をする。あらためて尋ねても、おとぼけの頬かむりで狙いが何も読めないのだという。


 あの子が異様に這うことを好むのは、親たちの間ではすでに知れ渡っていることだ。

 すでに両親も影でいろいろな悪口を耳に入れており、相当まいっていたらしい。

 あらためて子供を呼びつけ、往来および人前で這うことを禁じる。それが破れない場合は、座敷牢にて謹慎をさせるとも申し渡したんだ。

 彼はあっさり承諾し、そしてあっさり破った。

 約束をして数日後、たまたま外に出ていた親がくだんの橋近くへ差し掛かったとき、彼はひと気のない橋のたもとで、やはり這っていたのだ。

 親はそのまま不動のかまえで、子供の成すがままにさせていた。ゆえに、向こうも気づかなかったのかもしれない。

 長い大橋を、這ったまま幾度か往復。わずかに軌道をずらして動くさまは、雑巾がけを思わせる動きだったそうだ。

 しばらく顔を伏せ、夢中で動いていたと思われる彼は、ようやく顔をあげたとき、こちらを見据えている親の姿に気づき、固まってしまったそうだ。


 約束した通り、彼は座敷牢へ閉じ込められてしまう。

 親としてはそう長く入れるつもりはなく、少し懲りたのならすぐ出す心づもりだったらしい。

 しかし、閉じ込められてから一刻と経たないうちに、彼はどうにも落ち着かない様子を見せる。


「もうじき、もうじき……届けなきゃ、届けなきゃ」


 牢の一角で膝をかかえ――とはいえ、膨らんだ腹の皮が邪魔をして、抱え込み切れてはいなかったのだが――ぶつぶつとつぶやき出す彼。

 その様子に、両親は何度か声をかけるものの、反応は見られず。いぶかしく思いながら、背中を向けかけたところで。


 背後の牢の格子が、大きく音を立てる。同時に、骨を強く砕くような響きも混じってきた。

 振り返った両親だが、見ていた目線の高さに彼の姿はない。一瞬とまどい、視線を下ろしてみて気づく。

 格子と格子の間。ネズミがようやく通れるかという狭いすき間に、彼は挟まっていた。

 身体は牢の内にありながら、顔と首は外に出ている。もちろん、その大きさは格子をくぐれるはずもなく、肩のあたりで突っかかっている。

 その肩が瞬時につぶれた。見えない万力で左右から圧され、格子をくぐれるほど縮まり、そして越えるや元の大きさに戻る。

 腹から下にかけても同じ。次々と身体を縮め、広げる我が子のあまりな姿にあっけにとられた数瞬の間で、子供自身は四つん這いのまま両親の足元をすり抜け、外へ出て行ってしまった。


 全速力で追うも、見失わないようにするので精一杯だった。

 子供の向かう先は、昼間にいたくだんの橋。両親の目の前で、彼はまた這ったまま橋を渡り出していた。

 しかし、昼間と違うのが橋桁も欄干も、たもとに至るまで薄い銀色を放っているということ。いままた奥へ進んでいく息子の跡もまた、同じ輝きで道が満ちていく。

 そうして橋全てが光に覆われたとき、ずずっと音を立てて橋がたもとより外れた。

 なのに落ちない。宙にしばし浮かんだ大橋は、両親の目の前でひときわ強く光ったかと思うと、天のかなたへ飛んでいってしまったのだとか。


 一夜にして消えた大橋のことは、翌朝の話題になった。

 両親は橋のあった向こう側で気を失っていた我が子の腹が、すっかりしぼんでしまい、意識を取り戻したときもまた、自分の這っていた記憶のみごっそり抜け落ちていたのだとか。

 四つん這いであったことは、あの銀の光を出すための予行演習。

 あの橋を包み、奪い去ることも含めて、お腹の中にい続けた何者かの仕業かもしれないと、両親は思ったのだとか。

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ