♪ Nostalgia 1 ♪
高校の門を出てちょっと歩き、通り道にある古びたショッピングモールに入ると、クレープや、青果や惣菜の残り香がする。あいかわらず生ゴミのようなニオイのクレープ屋だなー。一つ百円なら血迷ったら買うかもー。
テナントを巡るたびに理想郷や天国のように見えたのは、果てしなく遠い子供の時が最後だなー。おままごとの概念を知ったら、おままごとはできなくなる。
今の私は窮屈なベールが、頭の中の八方に下りている。
天国のふわふわは、ただの物体、人工物のパーティションだ。内装工事した方々のご苦労が感じられる。ここには、もう、お金と、労働と、生活を、表現する空気しか無くなった。世間の空気という、ふわふわしたコンクリートしかない。ふわふわコンクリート。雲や綿菓子だと勘違いしていた子供が居ただけかもね。
十七歳の今は、中学よりも高校の方が遠い所にあるから、歩く半径は広がった。夢は狭まった。というかもう円の中心。点です。ズレたら見えなくなる。夢という語は懐かしいんだけど、夢を考えると何も無い。子供時代には、自分が円の外側だと錯覚していたんだ。
子供時代は、何でもできるとは思わないけど、ある程度は凄い事ができる能力はあると思っていたし、自分には可能性も潜在能力もある気がしていた。
容姿もそうで、子供時代は何となく輝いている感じがしていた。自分は一番可愛いと思っていたくらいだ。人と比較する事を知らない子供だった。
中学に上がると、美人な人もスタイルがいい人もたくさん居て、その中でも突出して優れた人達も居て、衝撃で自信が停止した。絶望的な差があった。自分の肉体や顔への信頼も消えた。地味な量産型の中肉のメガネ女子になった。「外見で勝負しよう」とさえ今は思わない。全体に暗さのベールを着ている感じなのが、更によくない。でもなあ……。心も身体も、暗いものは暗いのだから、しかたないんだよね。
とにかく私は憂鬱だ。凡庸だし、無能だし、無力だし、劣等だ。心も身体も重い。
それは憂鬱をまたループさせる。
ファウスト博士を最後まで悩ませた敵は、憂鬱だったと言うけれど、「憂鬱」とゲーテが言うのと、私が言うのとでは、コトバのパワーが違う。私のほうは、私にだけ聴かれて、消えていっちゃう。名言にあるけど、『偉人が言うから名言になる。私が言っても名言にはならないよ』というわけだね。この名言好きだね。
子供の頃は、百歩譲って中学に入った頃までは、れっきとした晴れ晴れとした感じがあった。高校一年の時、お試しで親がつけてくれた大学生の家庭教師は、「十四歳で左脳が完成した時より、選ばれし者は憂鬱になるのだ」と言っていた。その家庭教師は格安のお試し期間が終わる前に行方不明になった。精神を病んでいて自殺したという噂もある。驚いたけれど、二時間くらいしか会っていないし、感慨はない。そもそも、憂鬱だしさー、人に興味を持つ気力も湧かないよね。寝てたい。
昔の私は幸せだった。今は幸せがうざったい。どうして幸せは世間では良いと言われているのか? わからない。興味も持ちたくない。
とにかく、今の私はダメだ。頭の中に、冷えびえしたシャッターが下りている。重くて冷たくて、身動きがとれない。
凡庸さを伝えるにも才能が必要だって思う。今、私は、つまらなさに振り切った特徴すら持ってない。掬いようのない汚い水に似ている。濁ってよどんだ物だ。
今の私を伝えたい。私の心と体、考え、それを感じてもらえたら、反論する気力は無くなって、私と一緒に憂鬱風呂に浸かってもらえること請け合いなのになあ。凡庸さを感じてもらう労力。それはもう労働だ。労働は大変なものだ。そんな非凡な事はできない。
通り道だから通り抜けている、ショッピングモールを通り抜けると、暗がりの森になった。
森に沿って遊歩道がきちんと整備されているし、私は容姿も平凡だから、身の危険は無い。平凡な容姿に、憂鬱な心根が食い込んで、見るに堪えない全体を作り上げている。私が変質者なら、暗くて固~い空気がうつりそうだから、私に触りたくない。変質者のバイタリティが剥ぎ取られる。
森の向こうの、昔のニュータウンに、私の住んでいる家がある。将来、あの狭い侘しい町で私は死んでいくのだろうか。違うにしても、凡庸に死んでいくだろう。どう死ぬかという光景も、凡庸な物しか私の脳は描けないから、想像も割愛します。
だけど一つ、なぜか、これは確かに分かる。
私が考えること、私が生きる軌跡、将来の私、人生全体、それは、生ゴミなんだと。
いつもゴミ捨て場に捨てられ、見られず、覚えられず、大半の人々を嫌がらせる物。
私は無能でダメな人間だ。
カラダと心は重く、寝ている以外、何もしたくない。
考え付く事は、凡庸な事ばかり。
お菓子が食べたい、くらいの事だ。それで、お菓子作りをした時期もあったけど、まずい物しか作れなくて飽きた。気力が涸れた。最近は買って済ませる。
高校を出たら、どうなるんでしょうか。
働きたくはないよなー。
将来へのビジョンも凡庸。
結婚して家庭に入って雑事をするのもめんどうだなー。
子を産んで育てるのは輪をかけてめんどうだなー。
あー。町も、人も、自分も、世間も汚い。何もかも、やる気にならない。やる気を出せ、こうあるべきと言われるのも苛立つなー。でも怒る気力もないなー。こんな世界に心とカラダのエネルギーを使うのも馬鹿らしいって、この世界は思わせる。何もしないが勝ち。ぐうたらするが勝ちである。世間はいつでも、負け組・勝ち組・正義の策定に余念がないけれど。無趣味でぐうたらしている私は、常に勝ち続けている。
だけど、三界麻美という凡庸な、無能な、一個の生ゴミが、回収されるまで捨てられていて、生ゴミを晒している。たぶん将来はお菓子やスーパーのお惣菜を食べ過ぎてデブになると思うし。
勝ち続けても、それだけだな。
まったく、腐れていて、何が悪いのか……。腐れていて悪いと、世間が決めたからだ。一個の考え方。
私も腐れを否定したい思いが残っているからだ。劣等は嫌だ。無能なのは嫌だ。憂鬱は吹き飛ばしてしまいたい。
そういう、凡庸な思いが、あるからねー。ゴミクズだね。
ゴミクズはねー、慢性的に心とカラダが疲れるので、私も嫌なんだけどねー。ホント難しいトコですよ。
と、そこで、黒い藪へと登って行く脇道が目に入った。
遊歩道は何キロか直線に続いていて、あと少し行った所で、市道と交差している。市道を帰ったほうが家へは近いけれど、生き急いでもいない。今日は脇道から帰ろう。あ、死に急いでもいないって思うよ。よくわかんない。考えさせないで頂戴な。
脇道は獣道に近い。森の中の斜面を九十九折りに縫っている。この森とか、森の先にある丘は、子供の頃からの遊び場だ。今は遊ばないよ。当時の友達も、時代に乗る遊びに懸命だし、私も無気力にもなったよ。でも、土の道は、今も足になじむな。ちょっと汚れたって、靴は合皮だから、帰ったら百円のスポンジで拭けばいい。
森の中は、闇の道。闇はいい。したたるような黒。空は生き物の内臓のように薄紅い。私にとっての現実感、が増す。
決まりきったコンクリートの絵や、部分を見せられ、絵の中だけを移動しているような、いつもの、吐き気や固さが解ける。
頭の中のシャッターが、少し開く感じがする。
森に切り取られた空が広くなってきて、道を上り終わった。暗がりを抜けた。
一面、やわらかい黄緑色の草原が広がっていて、開けた場所に出た。気持ちいい。
――なんて油断したら、木の根に引っ掛かってバンザイで転んだ。
私はよく足を取られて転ぶ。そういう、体質なんだと思う。