♪ 墓が丘 3 ♪
のろのろと、住宅地の坂を登って、てっぺんに来た。
小さな谷のむこうに、めざす緑の丘が観えた。
カラダは相変わらず、遅れて付いて来る石板のよう。自分は、ずっと、二枚の石材にサンドイッチされているような心地だ。いや、石の原子の感覚に近いのだろうか。だとしたら、石は人間より、かなり寡黙だな。どうりで石が務まるわけだ。すごい。
もう、風を感じないし、空気を吸っている気もしない。熱さ寒さも解らない。
疫病に感染した人間は、体質が変わる。神経系統が別種の物に変化したみたいになる。
新発見されたウィルスは、SV、『数列ウィルス』と呼ばれた。全人間に罹患し、死亡率は100%。人間以外の動物には感染しない。主訴は高熱、呼吸困難、譫妄。この三つから、その人が最も恐れる症状を特に選択的に表し、死に至らしめる。たとえば、ウィルスや死を恐れる人間には、まさしくウィルスや死の幻影を、譫妄の中で嫌というほど見せつけ、衰弱死させる。他に例がない特異なウィルスだそうだ。人間を滅ぼす為に、SF小説の世界から出て来たとしか思えない、と言っている専門家も居たけど……そんなコトないでしょ。人間を滅ぼす為なんて、人間がそんな特別な生き物だと思ってるの? 絶滅した生物なんていっぱい居る。これからだって居るよ。
発見から一年足らずで九割のヒトは死んだと言われている。初期から、せいぜい半年迄は、情報が錯綜して、ネットも、日本国内の報道も、虚実入り混じったり、情報統制があったり、恒例の正義の乱立・対立・紛争もあったらしいけど、侵略や戦争などの大きな混乱は無かった。それは、このウィルスが贋物ではなく、実在し、平等に世界人類に降り掛かった事の証拠という気がする。
もう一つは、ウィルスによって死んだヒトは、死亡直後から急速にカラダの分解が進み、僅かな薄ピンク色の粉を残して殆ど消えるという特徴が挙げられる。ある種の微生物による分解とも言われるが、正確なところは明らかではない。明らかになる前に、ヒト族は絶滅するだろう。ところで、カラダが分解されている時には、生ごみとヘドロと血液を濃縮した物に、腐った生魚を丸ごと下ろし金で下ろして混ぜ合わせたような、強烈な悪臭がする。私も嗅いだことがある。だが、最終段階の粉になると、悪臭がなくなる。そして、その人が生前に好きだった食べ物の匂いが、粉からしてくる。カラダに香り成分が残っているっていうんだろうか。ふしぎである。近所で閉口したのは、アジの開きを焼いた匂いになった人だ。苦手なニオイだからやめてほしい。粉を畑に撒くと、野菜の育ちがすこぶるよくなるらしい。こういう事態が起きるのは、埋葬の手続きを踏む前に、カラダが粉になってしまうからである。いいじゃないか、と私は思う。粉になる。すてきだ。なんとなく。
私は好きな食べ物がないのだが、どうなるんだろうか。歌を歌ったり、歌詞を書いたりするのは好きだが、食事は栄養と体力のために食べていた面が多い。あえて言えば、手軽に食べられる菓子パンをよく食べていたから、私が死んだら、小麦粉と、生クリームと、揚げた油の匂いがするだろう。
襲撃や窃盗も、ほとんどない。それは、生き延びる事がないからだ。全員罹るし、罹れば死ぬ。協力したり、徒党を組んだりも、する意味が無い。たしかに、初期~中期には、ヤケになって暴力に走ったり、襲撃事件などもあった。だけど、皆が事実を呑み込むにつれ、事件はぱたりとやんだ。皆、明らかに、死ななければならない。事実と静かに向き合う人が増えた。同じ時期に、事件を煽るようなテレビの報道も止まった。
というか、テレビ自体が止まった。報道する人手も居なくなった。電気も、水道も、しばらく前に止まった。人手が間に合っているうちに人間が止めた。復旧はもうない。
私はどうやら、最後まで生き延びているヒトの一人に数えられるだろう。町にはとっくに誰も居ないし、県内、この地方、いや日本で見ても、最後のほうかもしれない。そういうのは気配で何となく伝わる。自分の特殊能力? いや、私の考えでは、ウィルスが今の地球を実況中継して、私に知らせている。
罹患している私は、何となくウィルスの気配を感じる時がある。それが特殊能力かもしれない。
ウィルスは日本語を喋らないが、人や空気を媒体にして、全世界にネットワークを持っているにちがいない。ウィルスは「自分」の視野を、ウィルス一個から、地球全体にまで、切り替えられるんじゃないだろうか。
ウィルスにとっては、地球やヒトを一望することは、ヒトが目で物を見るのと同じくらい、普通のことじゃないんだろうか。
なので、おそらく私は生きているヒトの「終わり」の方だろうなってコトが、自然と腑に落ちて感じる。だから今は、他のヒトに襲われる危険なんかは、全然ないのは判っていた。
どうして私は最後まで生きているのだろうか。もしかすると、ラストライブでの経験があったからかもしれない。このSVというウィルスは、何かを怖れているヒトに劇症を与える特徴を持っていた。いっぽう、私は、たしかに死は肉体的な辛さという意味では辛いんだれども、いざ私はウィルスに罹った時、「ふーん」という感じで、恐れる物が特に無かった。不思議だ。「むしろ、今頃やっと罹ったのかー」という感さえあった。普通、個人が消滅するのは怖いはずだ。まして自分は女で、生きるという事には、素朴にしがみつく傾向があるはず。生きるのは当然。ヒトを増やすのは当然。その情報は遺伝子に刻まれているはず。しかし、女とはいっても、自分は歌い手で、他の女よりは、女への執着が無かったのかもしれない。そして、あのライブの時に、あの音の無い世界を聴き、闇を浴びた。あれが何だったのか、分析し、結論するアタマはないけど、一つ思うのはこういうコトだ。
あの時、私は、死んだ気がする。