第二話『Enemy』――その二
「つまるところ、もう一人ぐらい仲間が欲しいものだ」
つくみ先輩は席でふんぞり返り(本人のイスではないのに我が物顔である)、爪楊枝で前歯をシーシーほじくりながらそう言ってきた。
食後の爪楊枝を当たり前のように常備常用してる女子高生なんてのは、一体全国に何人いるものなんだろうか――――という疑問が僕の中にもたげてきたが、本格的に悩み始める前に目の前の先輩が言葉を続けて、
「……いや、とは言っても、朝風君、勘違いするなよ? 別に誰でもいいというわけではないぞ。ちゃんと有益な人選をせねばならん。無駄なチームの肥大化は害にしかならんしな」
「はあ……」
眉上で切りそろえられた前髪をさらりと撫でる先輩に、僕は気のない相槌を返した。
仲間、と急に言われても、なあ……。『有益』云々以前に、まずその前提条件からして厳し過ぎるだろう。そもそも『ワールド・マテリアル』探しをしたいと思っている人がこれ以上他にいるかどうかわからないし、この加賀野つくみ先輩にきちんと追従することができる人がいるかどうかも問題だし、しかもその人が『ワールド・マテリアル』探しに対して有用なスキルを持ってるかどうかなんて甚だ疑問である。この学校の生徒五百人のうち、一体何人がこれに当てはまるって――――って、あれ? ……そういや僕、どれにも当てはまってなくないか? …………何で僕はチームに入ってるんだろう?
何やら根本的かつ核心的な疑問にぶちあたってしまい、僕は腕を組み小首を傾げ始めたのだが、つくみ先輩はそんなこと気に留める様子もなく、
「しかし何より大事なのは、やはり協調性ということになるんだろうな。協調性。それがなくてはチームがチームでなくなってしまうし」
「……いやいや、先輩が言わないでくださいよ。そこまで先輩に似合わない三文字熟語も珍しいくらい――」
――バサッ、バサバサバサバサッ
僕の言葉の途中、ふいに本が床に落ちたような音が聞こえた。
首を回し振り返ると、僕の後方に女子生徒が一人。床に膝をつき、落としてしまった教科書をわたわたと拾っているところだった。
つくみ先輩よりいくらか長めのボブカット、その割に目がほとんど隠れそうなくらい長い前髪。少し痩せ過ぎ気味のほっそりした輪郭及び体型のクラスメイト――――僕の斜め後ろの席の鳴海さんだった。
音に反応して振り返ってきた僕ら二人に気付き、鳴海さんも顔を上げ、こちらを振り返ってきた。そして驚いた――――というか、何だか怯えたような顔で僕らを見返してくる。床上の本を拾い上げようとする姿勢のまま、口を半開きにし、華奢な両肩をふるふると震わせている。なんか、まるでライオンが寝ている隙に檻に入って餌をやろうとしたら不注意で起こしてしまい、壁際に追い込まれ、絶体絶命のピンチに陥った飼育委員のような、そんな様相だった。……そうか、もしかしてこの一帯は、離れ小島なんかではなく、単なる猛獣の檻だったのかもしれない。つくみ先輩が肉食獣だという見解には異を唱えられる気がしなかった。
「………………」
「………………」
「………………」
三人が三人とも視線をぶつけあい、無言になり、何だか気味悪い時間と空気が出来上がってしまった――――しかし程なくして、急につくみ先輩が口元と目元を歪め、まるで野ネズミを捕まえた鷹のような顔になって、
「……ほうほう、ふふふ、いやいや、君ぃ、なかなか見どころがありそうじゃないか」
と、不気味な声で鳴海さんに話しかけた。
鳴海さんはびくっと肩を震わせたが、つくみ先輩はなおもずいっと前のめりになって、
「いやいやいや、あたしはこれでも観察眼には確固たる自信があってだな。その人物を見ただけでその人がどれだけ優れているか、すばらしいか、そしてあたしのためにどれだけ有益かということが一目で、一瞬でわかるものなのだ。そしてそして、喜ぶがいい。君はあたしのこの観察眼でもって、一目瞭然に判決が下った。『合格』だと。さあ、折角のおめでたい機会だ。早速こっちに来て、少しばかりあたしと、今後の身の振り方について話し合おうでは――」
「――…………っ!」
ぴゅー、というSEが聞こえてきそうなほど一目散に、鳴海さんはたったか逃げ出した。拾い上げた本を胸に抱え、机の脚につまづきながら、人にぶつかりながら、全速力で廊下へと飛び出していく。まるでライオンに追いかけられる小鹿のような逃げっぷりだった。
その逃走をつくみ先輩はぽかんと見届け、首をこくりと傾げて、
「……ふむ? なんだ、急用でも思い出したのか?」
「…………いやまあ、あの娘は無理ですよ」
僕は嘆息しながら答える。
あの人、鳴海唯香さんは極度の人見知りで、無口な人なのである――――今僕が言った『無口』と言うのは、単純に『口数が少ない』ということではない。そんなレベルではなく、彼女は文字通り字面通りに『口数が無い』、まったくもって一度も一遍も一言も口をきかない人なのだ。そんなんで社会で生きていけるのかと疑問に思うほどのレベルなのである。
あの人は授業中に指されても、何も答えない。何も言わない。出欠を取る時も声を出さず手を挙げるだけだし、合唱の時も歌った試しがない。少なくともこのクラスになってからの二カ月は、音声を使ってのコミュニケーションというものをとったことがない。当然の如く、僕だって彼女の声は一度も一遍も一言も聞いたことがなかった。去年の初めの頃はそれで色々問題になったそうだが、今では先生たちにも黙認されるまでになっているのである。
「――鳴海さんは、先輩とは性質も性格も対極みたいな人ですから、仲間になってくれるなんて期待薄ですよ」
「ふうむ、そうか、折角の逸材なのに……」
つくみ先輩は残念そうに肩を落とした。
……それにあの鳴海さんは、風紀委員に籍があるという話も聞いたことがある。彼女が一体どんな経緯で風紀委員に入ったのか皆目見当もつかないし、彼女が実際に校内の風紀を取り締まってるところなんて見たことはないし、彼女が都度中先輩の下でどんな仕事をしているのか想像もできないけれど、少なくとも立場的には僕達の敵側なのだ。余計に入ってくれるはずもない。
つくみ先輩は背もたれをぎしりと言わせ、
「今のうちに、さっさと盤石を築かねばならんというのに。ここでもたもたしておったら、他のチームにどんどんアドバンテージを取られてしまうこと必至だ。早急に、彼女に代わる有能人員を探し出さねば」
「……だからって、そんな焦んなくても」
「いいや、それは甘い! 甘すぎだ! 特に、あの変な男なぞに先を越されようものなら、今後百年、あたしのプライドは地中に埋まって掘り返せなくなってしまう。それだけは絶対に避けなくては――」
「――誰が『変な男』だと?」
突然頭上から、やたらに通りのいい男の声が聞こえた。
驚いて振り返ると、いつの間にか僕の背後数十センチの所に、すらりと一人の男子生徒が立っていた。
この人はいぶかしんだ顔でちらりと廊下の方に視線を送りながら、
「……今慌てて逃げていく女の子とすれ違ったが、加賀野、お前が何かしたのか? まるで肉食獣に追いかけられる小鹿のようだったが。……ふん、まったくお前は、相変わらず人に迷惑ばかりかけているようだな」
そう言いながらつかつかと近づいてくる男子生徒。やたらに背が高い。そして声もなかなか高い。髪はその辺の女子よりもだいぶ長く伸ばしており、艶があり、首の後ろで縛っている。鼻は高く、さながらキジのような顔立ちだった。
誰、この人? ――――という極めて当然の疑問を浮かべている僕の向かい、その男を視界に入れたつくみ先輩は、
「ああ、なんだ、お前か――――変な禅十郎」
「『へ・ん・な』じゃない! へ・ん・の! 『辺乃禅十郎』だ! 何回言ったら覚えるんだ、貴様はぁっ!」
顔を真っ赤にしてダンダンと床を踏みつける変な先輩――――もとい、辺乃先輩。八回地面を蹴ったところでようやく落ち着き、まだ息が荒いままつくみ先輩をきっと睨みつけて、
「……ふん、というか、さっきの女の子。あの形相からして、彼女がたまたまお前の視界に入ってしまったところを急にお前が話しかけ、野ネズミを捕まえた鷲みたいな顔で無理矢理勧誘して逃げられたんだろう? 違うか?」
……当たりだ。まるで見てきたかのように……。もしかして、つくみ先輩、常習犯なのだろうか?
「……まったく、加賀野、貴様は俺と違って人望がこれでもかというほどないんだから。貴様が勧誘なんかするもんじゃあない」
「な、何を、偉そうに! 何が『俺と違って』だ! 貴様の方が人望ないじゃないか!」
今度はつくみ先輩が渋面を作ってまくし立てた。
「お前なんか、友達誰もいない癖に! 一人もいない癖に! 覚えてるぞ! 去年の体育祭、貴様、一人で二人三脚に出てたじゃないか!」
……それはもう『二人』でもなけりゃ『三脚』でもない。ただの二足歩行だ。
「そ、そそそ、そんなことはない! そんなことはないぞ! あ、あれはたまたまだ! たまたまにすぎない!」
うろたえたような顔になった辺乃先輩が怒鳴り返す。
「現に、俺には部下が一人いるんだからな! 俺にはちゃんと理解者がいる! ふん! 対してお前はどうなんだ! だーれもいないだろう! お前につき従ったところで人生を損するだけなのは一目瞭然だ。まったく、人の迷惑を考えろ」
「め、迷惑なんてことはない! まこと有益で尊い時間の使い方を提供しているんだ! あたしは!」
「なーにが『尊い』だ。貴様の命令に従ったところで、得るものも得られず、失うものは失いまくり、結局徒労が積み上がるだけだ。三年前の、まだ貴様がおとなしかった頃ならまだしも、今のお前が誰かとつるむ様子なんて、一ピクセルすら想像できやしない――――というか、おい」
辺乃先輩は眉をぴくりとひそめ、つくみ先輩の真向かいに座っている僕に視線を合わせてきた。……いつだかと同じパターンだ。
辺乃先輩は横目でじろりと僕を睨みながら、
「……おい、加賀野。なんだ、お前の正面に座ってる、この気弱そうな後輩は」
「…………ふむん? 彼か? お前、彼のことを知りたいのか?」
加賀野先輩は口元をにやつかせ、勝ち誇ったような表情になった。
「ふふふふふふ。そうさ、そうとも、そうともさ! 彼こそがあたしのアシスタント! 太陽系が消滅するまであたしの下僕として下働く男! 朝風君だ!」
「え? え? ……ええええええぇっ!」
辺乃先輩は後ずさり、稲光のバックでも見えてきそうなほど壮大な驚愕の表情をした。
「げぼ、したば、え、ええ? ば、ばかな! そんなばかな! 貴様に部下など! いるはずがない! できるはずがない! 嘘だ! 嘘に決まってる! 何だ、こいつは! 精巧なマネキンか何かか?」
机に両手をバンッと叩きつけ、僕をじろじろ見てくる辺乃先輩。頬を触ったり髪を撫でたり腕の肉をつまんだりして僕の分子構造を一通り確認した後、
「……うううううぬ、ど、どうやら本物の人間のようだ。……お、おのれ! 加賀野! 俺の勧誘を断った癖に! 断った癖に! まさかこんな枯れたヒマワリみたいな男を仲間に引き込むとは! ぐぬぬ、何たる屈辱!」
……何だ、あれだけボロクソに言ってて、結局この人もつくみ先輩を勧誘してたのか。都度中先輩の場合といい、つくみ先輩、割とモテてるんだろうか?
辺乃先輩はびしっとつくみ先輩を指さし、
「ええい! 堪忍袋の緒が切れた! 加賀野! さっさと決着をつけてやる!」
「ふん、望むところだ、変な禅十郎」
「へ・ん・の、だ! ……くぅそぉ~う、この! 加賀野! 見てろぉ――――来週の体育祭で目にもの見せてやる!」