第一話『Another Phase』――その五
「しゃがめ!」
つくみ先輩の大声に、僕は反射的に身を屈めた。
――スパッ
そんな音と共に、頭頂部に微風が当たる感覚と、後ろ髪を軽く引っ張られたような感触がした。恐る恐る振り返ると、僕の背後の机の上に、さっきまで都度中先輩の右手に握られていたはずの草刈り鎌が、まるでチーズにナイフを突き立てたように深々と刺さっている。
「……え? な、な、な?」
僕はへなへなと、床にへたり込んだ。
「ちょ、へ? え……今、都度、中、先輩、鎌、僕に……投げ? え?」
「……まあ、そう怖がることでもない」
あくまで落ち着いた声で言いながら、都度中先輩は紐でも手繰る様にくいっと右手を動かした。それに呼応して、僕の背後の鎌が机から引き抜かれ、空中をくるくると飛び、都度中先輩の手元へと返って行く。
「俺は風紀委員長だ。そんな凶器を持ち歩くわけないだろう。加賀野とは違うさ。鎌とはいえ、これはちゃんと刃引きされている。だからまあ、当たったところで痛いだけだ。切れて血が出ることもない」
……いやいやいやいやいやいや、そのスピードの投てきじゃ、そんな変わらないんじゃ? それに今、明らかに机に刺さってたし……。
そう心の中で思いながらも口を動かせないでいると、僕の横につくみ先輩が一歩踏み出してきて、
「切れはしないかもしれないが、それ以上に厄介なのが貴様の鎌だろう? 都度中」
と不遜な声音で言う。言いながら前屈みになり、臨戦体勢のような構えで都度中先輩に相対している。
「その鎌の能力、即ち――――『斬った対象を反位相の世界の強制的に飛ばす』か。ふん、次元の移動は見た目以上に体に負担がかかるからな。今ここで元の世界に返されたら、再びここに来れるのは十分な休息を取ってから。つまり、今日の『ワールド・マテリアル』探しがお開きになってしまう。……やれやれ、迷惑極まりない、鬱陶しい能力だ」
心底うんざりしたように言うつくみ先輩――――しかし、その口元はなぜか、どことなく嬉しそうだった。キッと閉じられていながらも、頬はわずかに緩んでいる。まるで、「こういうライバルがいなければ人生楽しくないだろう」とでも言うような……。
つくみ先輩はその体勢のまま、声だけで、
「朝風君! さあ、早く逃げたまえ!」
「え? え? 逃げ……」
「早く!」
「う、ああ、は、はい! わかりました!」
僕は慌てて立ち上がり、くるりと回れ右。そのまま後方へと走り出した。
「……逃がすわけなかろう」
都度中先輩の独り言のような声が聞こえたかと思うと、たたんと床を蹴る音がした。走りながらちらりと横を見ると、僕の真後ろ、草刈り鎌を振り上げた影が迫っていた。
「うえ? ……うわっ」
足がもつれ、床に転ぶ僕。床に伏しながら思わず目を閉じ、顔を腕でかばった。しかし、
――きんっ
響いたのは金属音。目を開けると、小太刀でもって鎌の斬撃を受け止めているつくみ先輩が、僕を庇うように立ちはだかっていた。小太刀と鍔迫り合いをしている都度中先輩の鎌の刃渡りに、うっすらと青白い光が見える。つくみ先輩の小太刀の時と同じような淡い光。やはりこれも、あれと同じような能力――
「さあ、早く立て!」
切羽詰ったような声音で叫ぶつくみ先輩。次いで、ぶんと都度中先輩の鎌を振り払った。
都度中先輩は一旦後ろへ飛びのいたが、着地するとすぐさま前へ駆け出し、つくみ先輩の右肩を狙って鎌を振りかざす。
しかしつくみ先輩は、目の前で小太刀を十字に振り切った。都度中先輩の顔の前で刃が空を切る。空中に、白い光の十文字が灯された。
それに鼻先が触れそうになった都度中先輩は急停止。振り上げていた鎌を引き、横っ飛びでそれを回避して、
「……ふん、貴様こそ鬱陶しい能力を持っている」
「ははは、お前ほどじゃないさ」
笑いながら、つくみ先輩はさらに小太刀を振り回した。刃を振るごとに白い軌跡が一本ずつ増えていき、最後にはつくみ先輩の眼前に、幅、高さが三メートルくらいの大きな真っ白い壁が出来上がった。
「ははははは! 名づけて『つーちゃんバリアー』! どうだ! これで貴様はここを通れまい!」
つくみ先輩は、白い壁の向こう、ぼやけて見える都度中先輩のシルエットに向かって捨て台詞のように叫ぶ。そして僕に「さ、行くぞ!」と促しつつ、そのまま後ろへ走り出そうとした。その瞬間――
――がしゃんっ
金属がぶつかったような音が四方から聞こえ、僕は驚いて顔を上げた。見ると、僕の目の前と左右に鉄板みたいな物が落ちてきている。それが床に達した瞬間にガチャァァアンッという耳障りな音が響き、地面が少し揺れた。何事かと思い、再度ぐるりと周りを見渡すと――――金属の鉄格子、そして金属の天井が僕とつくみ先輩を覆っている。
――牢屋か、これは?
半ば放心したまま床に伏していると、鉄格子の向こうに都度中先輩が立っていた。何でこの人が目の前に、と思ったが、ふと見ると、つーちゃんバリアーの下の隅にいくらかの隙間があった。恐らく、都度中先輩はあそこをくぐってきたんだろう。隙だらけじゃないか、つーちゃんバリアー。
「できれば、これを披露するのはもう少し後にしたかったんだがな」
格子の隙間から僕たちを見下ろしている都度中先輩は、不承不承と言ったように言ってくる。
僕の隣、床に片膝をついたつくみ先輩は苦々しい表情で都度中先輩を見上げ、
「……まさか、こんなトラップを用意しているとはな、都度中。なかなかに気合が入っているではないか。まさか、これも風紀委員の委員会予算で作ったというのか?」
「まさか、そんな金があるわけないだろう。これは私費で用意したんだ」
都度中先輩の声が止んだところで、かつんかつんと、ハイヒールを鳴らしたような足音が聞こえてくる。そして七歩目が聞こえてきたところで、都度中先輩の隣、女子制服を着た別の生徒が、窓から差し込む月明かりと、つーちゃんバリアーの白い光に照らしだされた。
「うふふ。どうも、お初にお目にかかります。私、風紀委員書記、三年の月乃宮と申します」
鈴虫のようなきれいな声だった。栗色の髪がレースのカーテンのように真っ直ぐに肩の下まで垂れていて、目も耳も鼻も口も小さく慎ましやか。人形よりも艶やかなんじゃないかと思えるようなその顔を見て、僕は思わず、
(きれーな人だ)
と心の中で呟いてしまった。
この心の声がどこかから漏れていたのか、その直後に後ろからびしっとチョップが飛んできて、
「なにをデレーっとしておるっ」
と、つくみ先輩がぶすっと言ってくる。
月乃宮先輩はそれを見てくすりと笑うと、
「うふふ。あなたが加賀野さんですよね。お噂はかねがね伺っておりますよ。美しさと聡明さを兼ね備えた我が高生徒全員の憧れ、クラスメイトも皆かしずかずにはいられない至高の人間、『ワールド・マテリアル』に最も近い存在、加賀野つくみ嬢。こうしてお目にかかれて、感激の極みですわ」
「いやー、それほどでもー」
頭をぽりぽりかき、ほっぺたを橙色にして呑気に照れているつくみ先輩。
「……しかし、その至高の存在たるあたしを捕まえるためとはいえ、ここまでのトラップを作るとは。一体どうしたのだ?」
「ええ、私自身のコネを使わせていただきました」
「君のコネ? 月乃宮というその苗字。まさか…………月乃宮財閥」
「はい、父に相談させていただきました」
にっこりと優雅に微笑む月乃宮先輩。
隣の都度中先輩はむすっとした顔で、
「ふん、俺はやり過ぎだといったんだがな」
「あら、そんなことはありませんよ、委員長。『G.O.W』も動き出しているという話なのに。もはや、やって遅いことなどありません」
「まあ、あまり時間が無いのも確かだがな……」
都度中先輩は難しそうな表情で一つ頷いた。
この御三方の会話の中、一つ解らない単語が出てきた僕は、そろりとつくみ先輩の耳に顔を寄せ、
「……えと、先輩、『G.O.W』って何です?」
「ああ、『G.O.W』は『Guard Of Worldmaterial』の略だ。ようは『ワールド・マテリアル』の守護を目的とした非政府組織だよ」
「……はあ、そんなのが存在するんですねえ」
言葉面からだけではまったくイメージがわかなかったが、とりあえずのところ僕は頷いておいた。
「――さて」
都度中先輩は月乃宮先輩から僕ら二人に視線を移すと、まるで体育館の壇上にいる時のような、尊大で高圧的な声で言ってくる。
「ともかくも、これでお前らの進路も退路もすべて絶った。ここで餓死したくないなら、お前らの取る手段はあと一つしかないわけだ。そのお前の小太刀で、自主的に元の世界に帰るしか、な」
「……うぬぐぐぐ」
都度中先輩を見上げ、ぎりぎりと歯軋りするつくみ先輩。
都度中先輩はその表情を見下ろし、勝ち誇ったかのようににやりと笑うと、くるりと方向転換。
「では、あとはせいぜい好きにするがいい。あっはっはっはっはっは」
と高らかに笑いながら、すたすたと廊下の向こうへ立ち去っていく。
月乃宮先輩もそれに付き従うように歩いて行ってしまった。
二人の姿が完全に見えなくなったところで、
「……ううおのりぇえええ! つ、次はこうはいかんぞ!」
と、つくみ先輩は拳でもってがしゃんと鉄格子を叩いた――――そしてそのまま「……いたい」と手の平を抱えて、その場にうずくまってしまったのだった。