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第四話「Theorize」--その九

「…………辺乃。……貴様まで」


 都度中先輩は呪詛のように呟いた。

 それに対し辺乃先輩は、ハンと薄ら笑みをこぼして、


「残念ながら、お前が上弦君まで手にかける予定だという話はこちらにも聞こえていたぞ。ふん。この俺が、そんな暴挙を見逃すわけがないだろう。……まあ、計八十七人も〈こちらの世界〉に通したのはだいぶしんどかったが、な。……なに、いつも偉そうにしていたお前の、その哀れな表情を拝むことができたんだ。俺個人としても十分報われた気分だよ」

「…………ちっ」


 都度中先輩は一際大きな音で舌打ちした。そして月ノ宮先輩、つくみ先輩、僕と順繰りに見回した後――――突然、ひったくるように、つくみ先輩に渡していた草刈り鎌を掴んだ。


「え……?」


 僕が呆気にとられている中、都度中先輩はその鎌を頭上に振り上げ、その刃先に青白い光を灯した。

 ――あ、あ、まさか…………に、逃げる気っ?

 一瞬で理解した。理解できた。この人はどこか〈別位相の世界〉に逃げる気だと。逃げきる気だと。

 しかし、あまりの唐突な行動に、僕の体は反応できなかった。動け、という指示が脳から四肢へ伝わりきらなかった。僕が一番近くに立っているのに。

 ……ま、まずい! ――――僕は心底慌てた。が、その時、ひゅんっ、と弾丸のように木刀が飛んできた。

 それは草刈り鎌の柄に命中。標的を教室の端まで弾き飛ばした。

 そして、それに呼応するかのように月ノ宮先輩が都度中先輩の方に走り寄り、肘打ちで都度中先輩のあごを叩き上げた。


「…………ぐぅっ」


 と呻きながら――脳を揺らされたんだろう――都度中先輩は気を失うようにどさりと床に倒れ、そのまま動かなくなった。

 それを見下ろした月ノ宮先輩は、ちらりと横目でつくみ先輩を見やり、


「……あなたも抵抗なさいますか?」

「やめとくよ」


 そう言って、つくみ先輩はようやく僕の顎の下の小太刀を床に落とし、両手を挙げた。


「ははっ、我々の負けだ。こちらの完全な敗北だ。心から認めよう。…………で、我々はこれからどうなるんだ? 一応、逮捕と言っていたが?」

「ふふ、まあ、我々特命捜査室も、さらに言えばWM不可侵特別法も、公表されていないものですからね。あなた方のこれからの処分も、公的なそれとは少々異なったものになるでしょう」


 つくみ先輩の質問に、月ノ宮先輩はスカートのほこりをぱんぱんとはたきながら答えた。


「そちらの都度中さんは、組織の実行部隊の一人ですし、どころか幹部である可能性もあります。一応未成年ということで弁護の余地もありますが、まあ、よくて無期懲役の実刑でしょうね」

「……そこの鳴海嬢は?」

「我々が把握している限り、彼女は被害者です。今後はカウンセリングを受けてもらうことになるでしょう」

「……あたしはどうなる?」

「どうやらあなたも、特に組織と直接接点があったわけではなさそうですし、各失踪事件もすべてあなたが関与する前のことだったようですから、ね。罰金刑か、執行猶予付きの禁固刑。……あと、再犯防止のため、この『ワールド・マテリアル』に関する一連の情報を忘れていただくための、ちょっとした手術は受けてもらうことになるでしょう」

「なるほど、ね……」


 呟くように言いながら、つくみ先輩は肩をすくめた。次いで、僕の方に笑みを向けてきて、


「ま、というわけで、君とはここでバイバイだ。……いやいや、悪かったね。君からこの件を隠し通すことも、またスムーズに『退場』してもらうこともできず、しんどい思いだけをさせてしまって。申し訳ない。反省してるよ」


 その寂しそうな目で僕を見つめ、ぺこりと頭を下げた。

 ――反省するのはそこなのか? というか、ちゃんと罪悪感はあったのか? その反省は本物なのか?

 色々な感想が湧き上がってきたが、その中から果たしてどれを返せばいいのか判断が付かず、答えあぐねていると、


「……お嬢。室長から連絡が。正門前で待機しているので、そちらまで犯人を連行しろ、とのことです」

「了解しましたわ」


 偉い人からの連絡を伝えに来たらしい一人の黒服が月ノ宮先輩に耳打ちし、月ノ宮先輩は大きく頷いた。そしてつくみ先輩の真正面に立ち、「失礼いたします」と言って、つくみ先輩の腕に金色の手錠をかけた。つくみ先輩は何も抵抗することなく、物珍しそうにその手錠を眺めるだけだった。

 都度中先輩の方は、もはやぴくりとも動かないので、ことさら体格のいい黒服の一人が、丸太のように担ぎ上げた。

 月ノ宮先輩は、僕と、鼻血を拭いてもらっている鳴海さんに視線を投げかけてきて、


「では、この二名を先に送還いたします。あなた方にはこの後、事情聴取を受けていただく必要があるのですが…………私が戻るまで、しばしこちらでお待ちください」


 そう言って、つくみ先輩の手を引き、都度中先輩を担いだ黒服を引き連れて、歩き出した。

 音楽室を出る間際、その入り口の一歩手前でつくみ先輩はぴたりと止まり、僕の方を振り返ってきた。そしてにっこりと笑い、


「ふふ、ははは。これで君とはお別れだな。完全にお別れだ。どうやら君のことすら、君という人間の存在すら、完全に忘れてしまうことになりそうだ。残念だよ。君としては願ったり叶ったり、かもしれないがね。こんな『壊れた』あたしなど、君にとっては百害でしかないだろうし、無価値だろうし。……ただ、あたしとしては惜しい気持ちで一杯だ。君を『消そう』としたあたしが言っても、白々しいかい? ふふふ。でもまあ、これもまたあたしの本心なんだよ。この生き地獄から救われるチャンスだと思ったんだが。あーあ…………もう少しだけ、『君』といたかったなあ」


 その寂しそうな目を少し潤ませながら、恨めしそうに言ってくるつくみ先輩。

 すぐにくるりと前を向き直り、再度進もうとする。

 うなだれたような背中。

 気落ちしたような両肩。

 俯いた頭。

 表情は明るいが――――明るいように見えたが、その後姿は、未来にとことんまで絶望しているような、人生に限りなく絶望しているような、そんな印象しか受けなかった。

 それを眺めながら、僕はぽつりと、


「……もし、少しでも『僕』のことを覚えていたら、思い出せたら、木曜あたりに、そっちの『僕』を天神岬駅前の喫茶店に連れて行ってみたらどうですか?」


 と言った。


「……木曜? …………駅前の喫茶店?」


 つくみ先輩はこちらを振り返らず、声だけで問い返してきた。


「…………そうすると、何か起こるのかい?」

「さあ?」


 僕は、両肩を持ち上げる。


「どうにかなるかもしれない、ってだけです」

「…………そうかい」


 短く答え、つくみ先輩は部屋を出て行った。

 闇に紛れ、その背中はすぐに見えなくなる。

 僕は、真っ暗な廊下を見つめた。見つめながら、僕は心密かに思った。

 ……『あの』つくみ先輩は、難しく考えすぎなんだ。ややこしく悩みすぎなんだ。僕との出会いがどうだとか、僕が年下だとか、すれ違いだとか。

 僕が僕で、つくみ先輩がつくみ先輩なら、結局それは、それだけのことでしかないんだ。

 たとえ位相が違ったって、世界が違ったって、僕が『僕』である以上、変わらない部分だって必ずあるんだ。確かに僕は「先輩は別人」だと言ったが、「先輩は別人」だと心底思ったが、しかしそれでも、やっぱり、『先輩』を『先輩』と認識している以上、どうしても変わらない部分だって、確かに存在するのだ。確実にあるんだ。絶対あるんだ。

 例えば、そうだ――


 ――僕が何万人いようとも、あの喫茶店の名物ケーキ『春の夜のせせらぎ』には必ず魅せられることになるだろう、ってこととか。


 ――僕が何千万人いようとも、加賀野つくみ先輩の強引さには必ずや根負けして、渋々従うことになるだろう、ってこととか。

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