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第四話「Theorize」--その八

 ……僕は、戸惑った。

 僕が『消され』ようとしたその時にそれを咎める声が聞こえ、その声のおかげで(もしかしたら、ほんの数分なのかもしれないが……)僕は延命できた。僅かばかり安堵したのは事実だ。ああ、助かった、と――――思わず、思ってしまった。

 しかし、その声は『仲間』のものではなかった。

 風紀委員の最後の一人のものだったのだ。

 だから、素直に安心していいのかよくわからなかった。どういう理由で月ノ宮先輩がつくみ先輩を止めたのか、判断が付かなかった。判別ができなかった。掛け値なしに――――僕は、戸惑った。

 果たしてこれからこの場がどうなるのか、この場をどうすればいいのかわからず、ただただ首に小太刀を構えられたまま立っていると、


「……やれやれ、間に合ってよかったですわ」


 という声と共に、月ノ宮先輩が音楽室に入ってきた。栗色のロングの髪をレースのカーテンのようになびかせながら、すたすたと僕らの方に歩み来る。その声もまた、いつも通り、ソプラノ歌手のような透明な声音だった――――が、どことなく、いつもより僅かに緊張感が増しているように感じた。

 鳴海さんの背中に足をのせたまま、都度中先輩はその入場を横目でちらりと見やり、


「……ふん、月ノ宮か」


 と、忌々しそうな表情で呟いた。次いで、呪うような声で吐き捨てる。



「――ついに貴様にも、『これ』を知られる日が来たか……」



「…………え?」


 と、無意識に無自覚に、僕は呟いてしまった。

 今の物言い――――もしかして月ノ宮先輩は、都度中先輩の悪行を今まで知らされていなかった……?

 僕は驚いた。今の言葉から推測される、都度中先輩と月ノ宮先輩の関係性に――――即ち、都度中先輩は〈別位相のつくみ先輩〉を引き込んでいるくせに、同じ風紀委員であるはずの月ノ宮先輩に対しては秘密を守り通していた、ということに。どんな成り行きで、どんな経緯でそうなったのか、困惑した。

 ――しかし同時に、何となく、腑に落ちる感覚もあった。

 僕は今まで一度だって、この月ノ宮先輩に対して違和感を感じたことはなかった。恐怖感を感じたことはなかった。敵愾心を抱くことも、抱かれることもなかった。……多分、この人はそんな安易に悪巧みに手を染めるような人ではないと、僕は無意識に確信していたのだ。この人はそう簡単に都度中先輩にそそのかされるような人ではないと、自身の確固たる正義感くらいちゃんと持っている人なのだと、何となくそう確信していたのだ。そんな月ノ宮先輩に恐怖を感じていたのは――――彼女に隠れてこそこそ悪事を働いていた、ここにいるつくみ先輩くらいなのだ。

 とりあえずこの場は三対二になった。こちらが数的有利になった。僅かに希望の光が差してきた。生き延びる可能性が出てきた。あとは――――そう、この先輩にどうやってこの状況を好転させてもらうか、だ。

 僕は再度、頭を回転させ始めた。

 隙を見て、上弦さんもこの場に呼べれば、さらに有利に――――と、そんなことを考えていると、


「……月ノ宮、お前に選ばせてやる」


 おもむろに、都度中先輩が言った。その濁った視線を、まっすぐ月ノ宮先輩に向けていた。


「お前に残されている道は二つだ。一つは、何も言わず、何も疑問に思わず、引き続き俺の部下として仕事を継続する道。そしてもう一つは、今この瞬間、その人生をすべて無に帰す道だ――――貴様の家族、親類ごと、な」


 怒気も覇気もない、淡々とした口調で言う都度中先輩。言いながら、胸ポケットから小さなマイクみたいな物を取り出し、


「お前がそれ以上こちらに近づいた瞬間、俺はこのインカムでもって指示を出す。同胞に。『月ノ宮財閥を消せ』とな。……ふん、お前のところは名家だ。セキュリティも随一だろう。侵入など、常人には不可能に近いだろう。……しかし、俺達の〈能力〉を用いれば、そんなものあってなきがごとしだ。夜中にお前の両親家族の寝室に押し入ることくらい、造作もない。大した労もない。果たして俺達がそれを実行『する』か『しない』か。それだけの問題でしかない」


 都度中先輩は、僅かに得意げな顔になった。


「……さあ、選べ。今まで通り職務を継続するか、こいつら共々消えるか。……もちろん、俺達としては後者の方が安全で手っ取り早いのだが、今まで風紀委員のために尽力してきたお前だ。特別に選択肢をくれてやる――――さあ、選べ」


 ……いい加減、僕は胸くそが悪くなってきた。

 相変わらずの脅し。

 そして不気味な眼。

 月ノ宮先輩は、令嬢として、家柄として、背負っている物は僕の比にならないくらい重いのかもしれない。そう簡単に、一瞬の感情で、一瞬の判断で諦められる物ではないのかもしれない。

 だけど、こいつに従うことで失う物は、それよりもっと甚大だ。致命的だ。

 人として、決して踏み入れてはいけない一線だ。

 何とかそれを伝えようと、先輩が悩んでしまう前に、迷ってしまう前に言い聞かせようと、僕は口を開いた。しかし、僕が言葉を発する前に――


「――選ばせてあげるのはこちらですわ」


 と、月ノ宮先輩は言い放った。

 突き刺すような声だった。

 虚を突かれたように、都度中先輩は顔を上げた。

 驚いたように、つくみ先輩が顔を強張らせた。

 一瞬都度中先輩の力が緩んだんだろう、鳴海さんが、その鼻血で汚れた顔を持ち上げた。


「……俺に、選ばせる、だと?」


 都度中先輩は静かに言う。次いで、嘲るような笑みを浮かべ、


「……ふん、一体、何をだ? ……その立場で、この状況で、一体お前が俺にどんな選択肢を提示できるというんだ?」

「決まってますわ」


 月ノ宮先輩は、淀みも憂いもない声音で言う。


「『我々』におとなしく捕まるか、公務執行妨害の末、正当防衛で殺されるか、ですわ」


 次いで、ブレザーの胸ポケットから黒い手帳を取り出した。その表紙には、丸っこい字とギザギザの字が重なったような金色のエンブレムが縫い付けられていた。そして先輩は、その表紙を開き、顔写真が貼り付けてある一ページ目を僕達に見せながら――



「――私、『Guard of Worldmaterial』第三特命捜査室副室長、月ノ宮狩名(かるな)。都度中壮大及び加賀野つくみを、WM不可侵特別法第一条に抵触の疑いで、現行犯逮捕致します」



「…………は、は、はぁぁぁぁあああああああああっ?」


 思わず大声で、反射的に叫んでしまったのは、僕だった。

 ――月ノ宮先輩が、『G.O.W』? なんだ、なんなんだ、この展開?

 僕はフリーズした。頭も。体も。ついていけなくなった。固まってしまった。

 ――聞いてねえよ!

 もはやその一言しか、僕の頭に浮かばなかった。その言葉だけが、僕の脳内で反復した。

 ――だ、だって、風紀委員は『G.O.W』を毛嫌いしていたじゃないか。『G.O.W』に見つかる前に皆を排除しようとしていたじゃないか。それは即ち、風紀委員と『G.O.W』は相容れないってことでは……? だって、その話だって、僕は直接この月ノ宮先輩から聞いたわけだし……。いや、でも、実際は、都度中先輩が自分の所業を摘発されないようにそういう構図にしていたというだけで、悪事に絡んでいなかった月ノ宮先輩までは、その範疇にはなかったってことか? ……というか、そもそも、何で月ノ宮先輩が『G.O.W』に? どうしてまた副室長なんていう、何だか偉そうな役職に就いてるんだ? というか、この人が『G.O.W』に所属してたっていうなら、何でわざわざ風紀委員に……?

 疑問ばかりが僕の中を巡る。

 巡るが、一向に答えどころか、推測も立たない。

 疑問で疑問で疑問なだけだった。

 と、


「おい…………何の冗談だ、月ノ宮」


 と、都度中先輩が奥歯をかみしめながら言った。


「貴様が『G.O.W』の職員…………だと? 潜入捜査をしていた、だと?」

「ええ」


 手帳を閉じ、胸ポケットにしまいこみながら、月ノ宮先輩は答えた。


「数年前の雑誌ライターの失踪。そしてその後数件起こっているこの高校の関係者の失踪。その実態を調べ上げるのが私の今回の特命でした。〈反位相の世界〉の捜索に最も適しているということで、風紀委員に入会したのですが…………正直、その会長が黒幕の一員であるという疑惑が浮上したのは、ここ最近のことでした」


 月ノ宮先輩は、さらりと自身の髪先を撫でた。


「そこの鳴海さんの突然の風紀委員入会。そしてたびたび目撃される加賀野さんの別位相体。そこから疑惑がふくらみ、あなたにも一定のマークを向けていました。……ふふ。一応、こちらの加賀野さんに突然アシスタントができたときは、我々も警戒したものですが。……そちらの疑惑はすぐにシロだと判断されました」


 ――あなたは安全。

 あの時、保健室で月ノ宮先輩が僕に言っていたのは、つまりはそういうことだったのか……。


「そろそろ何かが起きるのではないかと警戒していたところで、ついにあなたが動き出した――――動かざるを得なくなった、というのが正しいのでしょうか? そちらの朝風さんによって、ね。我々の準備も不十分な部分はありましたが、何とか間に合い、こうしてあなた方の犯行現場を確保することに成功いたしました。さあ、これでおしまいです。おとなしく投降しなさい」

「……寝ぼけたことをぬかすな」


 都度中先輩は白眼で月ノ宮先輩を睨み返した。


「そのバックにどんな権力があろうが、どんな兵力があろうが、今この時、この場の主導権は揺るがない。外堀、人質、能力、すべてが我々に有利だ。有利なままだ。……それとも、これをどうにかする策がお前らにあるとでもいうのか?」

「もちろん、ありますわ」


 月ノ宮先輩は柔和な笑みで言いきった。そして右手を顔の横に持ち上げ、ぱちんと指を鳴らす。その瞬間――


 ――タタ、タタタタタ


 と、革靴の足音が部屋中に鳴り響き、黒いスーツに身を包んだ体格のいい男達が、二十、三十――――いや、七、八十人くらい、音楽室の中に入ってきた。ぞろぞろと、がやがやと。

 ――僕はぽかんと、それを眺めるしかなかった。

 男達は中に入るや月ノ宮先輩の左右、後ろを囲い、整列し、手を後ろで組んで直立の姿勢になった。まるで壁のように、教室の半分を完全に封鎖してしまった。今にも押しつぶさんばかりの圧迫感を、プレッシャーを、僕達四人に加えた。


「…………くっ」


 渋面を作る都度中先輩。慌てたようにインカムを口元に持って行こうとした。しかし、


「あら、連絡をおとりになるんですか?」


 と、笑みのまま、月ノ宮先輩は言った。


「なら、ついでに『こちらの包囲は無事終了した』と伝えておいていただけます? ……恐らく、今その受信側を持っているのは、うちの七星(ななほし)室長のはずですから」

「…………っっっ」


 都度中先輩は眉間と頬にしわを寄せ、驚愕と憤怒が入り混じった顔になった。


「ふふ、言ったでしょう? 『間に合った』と。……つまりは、私がここに突入する前に、あなたのサポート全員の位置捕捉、及びその確保が完了した、ということですよ。そちらの朝風さんが時間を稼いでくれたお陰で、この場で被害者を出す前に、無事作戦は完遂しました」

「……ば、ばかな!」


 都度中先輩は叫んだ。叫びながらよろりと立ち上がる。その膝も肩も顔も、ぶるぶると震えていた。


「ばかな! ばかな! ばかな! そ、そんなはずはない! おかしい! おかしすぎる! ……だ、だってそもそも、なぜそんな大人数が〈この世界〉に入ることができている! 貴様には、何も〈能力〉は貸与していないはず! 持っていなかったはず! な、なのに、どうして!」

「ふふふ、そこが疑問ですか?」


 黒服の集団を背後に従えたまま、月ノ宮先輩は一歩都度中先輩の方へ踏み出した。


「確かに私自身は〈能力〉の発現した道具など持ち合わせておりませんでしたし、『G.O.W』内にも該当者はおりませんでした。……しかし我々だって、『協力者』を募ることくらいはできますわ」

「……協力者、だと? そんな、一体誰が――」


 都度中先輩はここまで言ったところで、ふいに何かに気づいたように、ばっと首を回し、教室の入り口の方を見た。

 僕もつられてそちらを見ると――――いつの間にかそこに、黒スーツに混じって、制服姿の男が、腕を組み、扉に寄りかかっていた。

 視線を当てられ、ふんと鼻を鳴らした『その人』は、


「……確かに俺は、上弦君のリーダーの任を一時休止してはいるが、彼女の保護役まで降りた覚えはない」


 と、不遜に言う。

 百九十近いんじゃないかという長身で、背中に木刀を一本携えた、長髪を後ろで一本縛りしている彼。この時ばかりは、不覚にも僕自身、格好良いと思ってしまった――

 ――辺乃禅十郎先輩だった。

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