第四話「Theorize」――その五
「……鳴海、さん」
僕が呟くと、鳴海さんはずいと教室の中に歩を進めながら言った。
「……言っておくけど、私には、あなたに対する同情も憐憫もないわよ?」
相変わらずの覚束ないイントネーションで、突き放すような口調だった。依然として、僕の方を睨んでいた。
「だってあなたには、ちゃんと忠告しておいたでしょう。『危険な橋を渡ってる』って。『余裕なんてない』って。……自分に言葉を話すことを制している私が、話さないよう努めている私が、わざわざその自制を破ってまで伝えたっていうのに。伝えてあげたっていうのに。それを解さず、結局虎の尾を踏んで。泥沼にはまり込んで。自業自得という以外、言いようがないわ」
冷たい表情だった。
まるで問責でも受けているような気分になり、僕は視線を落とした。
「……あなた、少しは自分で考えるっていうことをしないの? したことがないの? 高校生にもなって! 十七年も生きてきて! そんな人として自然で、当たり前で、最低限のことをしないの? できないの? 今まで一体何を考えて生きてきたの? 本当、信じられないわ!」
聞きながら、僕の中にわなわなと、怒りのようなものが込み上げてきた。肩が勝手に震えだした。
「そうやって、人の好意を、人の厚意を、無下にする人間が! 無為にする輩が! 早死にするのよ! 死んで当然よ! 消えて当然よ! ばか!」
僕は、ぎりと唇を噛んだ。
「ばか! ばか! 本当にばかよ! あんたなんかさっさと死んだらいい! 消えてなくなればいい! 当然の報いよ! 今すぐに! 消えろ! 死ね!」
僕はがばっと顔を上げた。
こんな奴に協力しているやつに、ばか呼ばわりされる言われはない! お前になんか言われたくない! ここまで言われる筋合いはない!
僕はそう叫ぼうとした。叫ぶつもりだった――――しかしまた、それも駄目だった。
僕の眼前、腕を組んで仁王立ちしてる鳴海さんは――
――ぼろぼろと、大粒の涙を流していた。
えぐえぐと、えづいていた。ぽつりぽつりと、靴下に染みができていた。口元はわなないていた。
僕は口を半開きにしたまま、固まってしまった。
――本意じゃ、ないのか?
――ほとんど話したこともない、面を合わせたこともあまりない僕のために、泣くなんて。
――この人は一体全体どんな人で、どんな心情の持ち主で、どんな思いで風紀委員に……?
そう心内で逡巡しながら、僕の中で、彼女の言葉が反芻される。
――両親の『失踪』。
――『見殺し』。
――『風紀委員』。
それらのピースが、また一つ、僕の中に解を作る――――一つの絵を映し出す。
「……なあ、まさか、君の両親のことも、こいつが『消した』のか?」
僕は鳴海さんに尋ねた。
しかし鳴海さんは泣き続けているばかりで、俯き、黙ったまま。何も答えない。答えてくれない。
「……それなのに、君はこいつに加担している?」
僕は続けて聞いたが、やはり鳴海さんは何も答えない。
「……こいつに協力するために、風紀委員に入ったのか?」
鳴海さんは何も答えない。
「……もしかして、無理に入らされたのか?」
鳴海さんは何も答えない。
「……どうしてだ? 何か理由が? ……もしかして、人質でも――」
「――ところで、鳴海」
急に都度中先輩が口を開いた。
びくっと肩を震わせる鳴海さん。
白眼気味の短髪の先輩は、相変わらず目を濁らせていて、無表情だった。鳴海さんの感情爆発を見ても何ら心が動かされた様子はなかった。相変わらず不気味だった。不気味な目で、鳴海さんを睨んでいた。
「……貴様には加賀野の追跡を命じていたはずだったが? 奴はどうした?」
「申し訳ありません。…………見失いました」
頭を垂れ、言いにくそうに鳴海さんは答えた。
それを聞くや、都度中先輩はチッと舌打ちをし、
「……ふん、役立たずが。……先刻、こいつらの教室からの突破を許したのも、お前だったじゃないか。至極使えん奴だ。……もしくは、気概が足りないんじゃないのか? 危機感が足りないんじゃないか?」
「す、…………すみません」
足元を見つめ、小さく呟く鳴海さん。
都度中先輩は冷たい瞳で、その項垂れた頭を見降ろし、
「――もう一匹、消すか?」
そう言った瞬間だった。
「ま、待って!」
鳴海さんは顔を上げた。前髪が開き、真っ赤に充血した目が露わになる。
「待って……ください! ちゃ、ちゃんとやりますから! 頑張りますから! だ、だから、や、やめてください!」
鳴海さんの顔は、一気に蒼白になった。
「あ、あの子達は、わ、私の最後の家族なんです! さ、最後の! だ、だから、だから! お…………お願いです! お願いします……」
「……ふん。あの犬っころ共を俺の近くに置いておくのにも、いい加減辟易してるんだが。……まあ、消すのは一瞬だが、な」
くく、と笑う都度中先輩。しかし、その目も口元も、まったく笑っていなかった。
「――なるほど、成り行きは理解したよ」
僕は立ち上がった。そして都度中先輩の方を睨みつけたまま、唇をかみしめている鳴海さんに、
「…………なあ、鳴海さん。君もこの人のやり口に納得してないというなら、解放されたいのなら――――一緒に抵抗しないか?」
と提案した。
「いくら危ない草刈りがまを持ってるとは言え、ここは二対一だ。人数的には有利だ。おまけに君は、あの銃みたいな武器を持ってるわけだし。……それに時間さえ稼げば、つくみ先輩と上弦さんが助けに来てくれるかもしれない。君の人質だって、こいつをここに留まらせておけば、その間は安全なはずだ。……この現状、まだ僕らに分があると思わないか?」
そう言葉を紡ぎながら、僕は必死に考えを巡らせていた。こいつをここに留まらせ、つくみ先輩に助けを求める方策を。何かあるはず。何とかなるはず。そう信じ、一生懸命頭を働かせていた。しかし――
「――思わないわ」
びっくりした。鳴海さんは即答だった。
鳴海さんの方を振り返ると、鳴海さんは涙をぬぐいながら、僕を半目で見ていた。
「……あなた、まだわかってないの? そもそも、いくらあのカマを持ってるからって、一人でこの町中の人間を消せると思ってるの? 何百人の人間を消せると思うの? いくら時間をかけたって、いつかバレて、警察に捕まって終わりに決まってるじゃない。そんなの――――『協力者』がいるに決まってるじゃない。何百人……何千人って」
……なん……ぜん……?
「……彼は、この地区の担当というだけ。ここの『制圧』は終わったから、母体が移動したというだけよ。次の制圧地へと。……ただ恐らく、サポートはまだ残っているはず。それが何人いるのか、どこにいるのかもわかってないのに、たかだか四人でどうこうするなんて、勝ち目はゼロに等しいことくらい、わかるでしょう」
「……こいつ…………こいつら、組織立ってるっていうのか?」
――いや、そりゃあ、確かにそうか。そうでなきゃ、両親を消された鳴海さんがここまで戦意を削がれてるわけもない、か……。親の仇に、こうも簡単にひれ伏すわけがない。恨みが先走らないわけがない。この都度中先輩のような『駄目』な輩が、あと何百人もいるんだ……。
「……さて、そろそろいいか?」
おもむろに、カマの柄でぽんぽんと自分の肩を叩きながら、都度中先輩が言ってきた。学級会を締めるようなトーンだった。
「……ああ、一応言っておくが、いくらお前がこの場を逃れ、〈この世界〉のどこかに隠れ通したとしても、それで問題が解決するという話でもないぞ? まあ、言ってしまえば――――貴様の『家族』の安全は保証しかねる、ということだ」
「…………っっ」
僕は思わず、歯ぎしりした。
――しかし確かに、当然の脅しだ。この人には僕の素性はわかっているわけだし、協力者が外にいるなら、僕の家を見つけるのも造作もない。時間もかからない。こいつらにとって至極簡単で、そして至極確実な対応だ……。
「さあ」
そう言って、僕の方に一歩二歩と近づいてくる都度中先輩。決断を迫る様に、プレッシャーをかけてくる。――――しかし僕だって、はいそうですかと自分の命を簡単に諦められるわけもない。
僕は咄嗟に、手近にあったイスの背もたれに手をかけた。そして思いっきり、あらん限りの力を込めて、ぶんと都度中先輩に投げつける。
都度中先輩は一瞬目を見開いたが、飛んでいくイスに向かってカマを一振り。まるで蒸発したかのように、イスがぱっと消えた。
僕はその様を横目で見ながら、一目散に駆けだす。
鳴海さんが慌てたように銃を取り出したのが視界の端に映り、僕はそちらへと机を蹴り飛ばした。
倒れてくる机に、たじろぐ鳴海さん。
僕はその隙に、再度廊下へと飛び出した。
そして、走る。
一生懸命走る。
太ももが動く限りの早さで、脚を動かし続ける。
走って、走って、走った。
――と、
廊下の先、暗闇の中から、
「こっちだ!」
と、声がした。言わずもがな――――つくみ先輩の声だった。