第四話「Theorize」--その三
……どういうことだ?
なぜ一年四組の名簿欄に、つくみ先輩の名前が載っているんだ? だって先輩は今現在三年生――――いやまあ、先輩が一年の時は四組だったってだけかもしれないが……。
でも何で、一年四組の――――二年前の名簿が、こんなところにあるんだ?
……そう言えばさっき、つくみ先輩が言っていた。
――痕跡という痕跡が見つからない。
――名札シールの貼りシロも、過去何か張ってあったのかさえ確認できない。
……そう、要は『この世界には元々何もなかった』のか、もしくは『元々あったものが消し去られた』のかわからない、判断がつかない、という疑問だ。
――ここに一年四組の名簿があるということは、明らかに『後者』になるということ。
ここには確かに一年四組の生徒達がいて、その中につくみ先輩もいて、しかし彼ら彼女らはすべて〈この世界〉から消えてしまった――――または、消されてしまったということになる。
しかし……しかしだ。一つ、疑問が残っている――――何でここに、二年前の一年四組の名簿が残っていたのか? 名簿の端切れが、ホウキの藁の中にはまっていたのか?
あのホウキは、毎日使うものだ。当番の誰かがあれを使って毎日放課後、この教室の塵を掃除するんだ。そんなものの中にひっついた紙切れが、二年間、落ちることもなく挟まったままでいたってことか? ありとあらゆる使用と衝撃に耐え、あの場に留まっていたということか?
……いや、普通にあり得ないだろう。確率的にはゼロではないのかもしれないが、それはゼロではないといだけで、千分の一とか一万分の一とかいうレベルだろう。考えなくてもいいくらいの可能性だ。あり得ないと断言していい話だ。
――じゃあ、例えば、最近になって、二年前の名簿が破かれて、あのホウキで掃除されたとか? …………そっちの方が確率としてありえない。何で二年前の名簿を、今更あんなふうに千切って捨てるのか疑問だし(情報倫理上、シュレッダーにかけるのが義務だ。この天神岬高校だってそれくらいしてるだろう)、そんなものを二年後のこの教室で処理したのかも納得できない。
……ということはつまり、この教室はこの二年間、使われなかったということだ。
二年前つくみ先輩がここで授業を受けていた年を最後に、ここは使われなかったんだ。
――つまり、二年前に、ここにいた人たちが『消えた』んだ。
……そう言えば、思い出した。この前不思議に思った、学校裏手のマンション辺りの風景。どこか違うなと思ったけれど、そうだ、そうだった。確か――――あそこの家の『色』が違ったんだ。
僕がいる元の世界では、水色に塗られてるはずだ。なのに、こっちの世界ではクリーム色だったんだ。初めて〈こっちの世界〉に入って周囲を見回した時、あの家は水色ではなかったんだ。……でも僕としては、どちらにも違和感はなかった。『両方見たことがあった』から。
今なら何となくわかる。あの家は、二年前はクリーム色で、だけど、この二年の間に色だけ塗り直したんだ。建て替えたわけじゃなく、ただ外観だけを。
二年前――――僕が中三だった頃、クリーム色のあの家を見たことがあったんだ。文化祭の時と、高校入試のちょっと前、入試当日、そして結果発表の日。あの年、僕は四回この高校に来たことがあったんだ。塗り直されてる期間の記憶はない。多分、春休みの間にでも変ったんだろう。
〈こっちの世界〉のあの家の住人は、この二年の間に消え去ったんだ。
だから、家はクリーム色のままなんだ。
そうか、そういうことなのか。
とりあえず、そこは納得した。
――しかし、疑問はまだ残っている。
一体どうして、二年前に突然、この世界の人たちは消えたんだ?
別にどこにもここにも、死体とかがあるわけでもないし。戦争が起こったような形跡もないし。
何をどうすれば、こんな風に何百人、何千人の人間がぱっと消えるんだ? きれいさっぱり消えるんだ? 何で、何で、何で…………?
…………ん?
消える? 存在が消える? 存在が無くなる?
僕の記憶の奥底から、一つのワードが浮かび上がってきた。数か月前の他愛ない会話の中、ちょろっと出てきた単語。一般常識の範疇の、二字熟語。
――相殺。
つくみ先輩と初めて会ったあの日、先輩が僕に語ってきた話題だ。プラスとマイナス。物質と反物質。無から生まれた世界。そして――
――ドッペルゲンガ―
…………つ、つまり、〈反位相の世界〉の自分に出会うと、その人は『相殺』されてしまうのか? ノイズキャンセリングがごとく、足し合わされ、引き合わされ、世界から消えてなくなってしまうというのか? 無へと還ってしまうというのか?
ば、バカな……。
にわかには信じられない……。
……だけど、なぜか、なぜかなぜか、僕の中でしっくりきてしまう。説明がついてしまう――――二年前のある日、〈この世界〉の人たちは〈反位相の世界〉の人達と相対し、相殺され、消えてしまったんだ。人間だけ消えてしまったんだ。そうやって、街並みだけ残し、誰かの血が流れることもなく、争った形跡を残すことなく、人が誰もいなくなったんだ。
――で、でも、でもだ。
どうして、そんなことが起こったんだ? 起こりえたんだ? 僕らの世界は、何の変哲もなく、何の変化もなく、今日も毎日日常が続いている。平穏な日々が続いている。そんな中で一体何をすれば、こんな無人の街ができあがるっていうんだ?
そうだ。だって、位相を移動しようにも――移動させようとも――つくみ先輩や辺乃先輩みたいな〈能力〉が必要だ。あれらは空間に通り道を作って、そこを行き来するってだけだ。とても何人も別世界に導けるようなものじゃない。やろうと思ったら、大きな通り道を作って、皆にそこを通ってもらわなければならない。消えるとわかってて、自分からあれを通るなんてバカはいないだろうし、そんなの不可能に近い。一体何をどうすれば、そんなことができるって……。
ここでふと、目の焦点が、眼前にある都度中先輩の草刈りがまに合った。
こげ茶の柄に銀色の刃がついた片手サイズのもの。
『斬った対象を〈反位相の世界〉へ強制的に送るカマ』
「………………………………え?」
自分の中に沸き起こった考えに、思わず自分で驚いてしまった。自分の考察だというのに、自分自身で驚愕してしまった。ありえないと思った。ありえてたまるかと思った。信じられなかった。信じたくなかった。信じてたまるかと思った。
しかし、僕は思わず口にしてしまった。呟いてしまった。
「…………都度中先輩が、みんなを、消し、た…………?」
――その瞬間、教室の空気が凍りついた。