第四話「Theorize」--その一
つまるところ僕は、つくみ先輩に振り回されるがまま歩き回るこの〈ワールド・マテリアル〉探しの活動期間は、正味あと四カ月だと思っていた。
それ即ち、〈ワールド・マテリアル〉なんて眉唾なものを僕達が発見するなんて、おおよそ不可能だと思っていたからに他ならない。
……確かに僕らはわけのわからない異世界に珍入してるわけだし、何かしらの未知と遭遇することもあるんじゃないかという予見がないこともないが、今まで三回〈反位相の世界〉を歩き回った感想からして、あの空間から特別な『何か』を見つけるなんて、確率的に不可能だと感じたのである。……そりゃそうだろう。例えば「学校のどこかに落ちているはずのマチ針を探せっ!」とか言われたところで、何十時間かかるかという問題以前に、心が折れないわけが無い。
おまけに、つくみ先輩は現在高校三年真っただ中。あと半年で卒業なのだ。先輩が受験勉強に身を入れる期間を計算に入れれば、あとほんの数カ月でこの活動は終わりを迎えることになる(つまり何が言いたいかというと、僕はつくみ先輩から解放された後に自ら率先して〈ワールド・マテリアル〉探しをするつもりなど毛頭ないということだ)。先輩だって、大学に進学した後、わざわざ帰郷してまでこの活動を継続するとは思えない。……恐らくは、大学でまた新しい友人を見つけて、その人達と別な〈ワールド・マテリアル〉を探し始めるんじゃないだろうか。そうなれば、先輩が僕に構ってくることもなくなるだろう。
――僕の主観的に言えば、あと数カ月の辛抱、といったところか。
僕の貴重な高二の半年間をこんなことに費やすのはバカバカしいと思うけれど、将来振り返れば、まあ、笑い話にはなる経験なのかもしれない。美人の先輩と可愛い後輩に連れられて夕方の(平行世界の)学校を歩き回ったというのは、勉強にも趣味にもスポーツにもまったく身を入れていない僕にとっては、まだ恵まれてる青春なのではないだろうか。……我ながら実にドライな表現になるけれど。
そんなわけで、通算四回目になる〈ワールド・マテリアル〉探しに誘われた僕は、やはりいつも通り、何の緊張感も高揚感も抱くことなく、散歩でもするかのような気分でつくみ先輩と上弦さんの後をついていった。
結局どうやら、三日前のつくみ先輩と辺乃先輩の決闘は『引き分け』となったらしい。木刀がこちらに渡されることも、上弦さんが向こうのチームに帰ることもなかった。聞いたところ、あの勝負はなかなか決着がつかず、夜の十時まで延々二人で刀を振りまわし合っていたそうだ。
「体育祭の時は割かし楽に勝てたものだから、今回も同じだろうとたかをくくっていたのだが。やはり、覚悟を決めた人間というのは強いものだなあ。はっはっは」
とは、つくみ先輩の言。この戦いでかなり体力を消費したらしく、先輩は次の日、昼休みに五分くらいうちのクラスに寄ったくらいで、あとは僕に構ってくることもなかった。休み時間はずっと、教室の自席で昼寝でもしていたのかもしれない。近日稀にみる、心安らかな一日だった。
……まあ、『一日だった』と言いきったことで暗に伝わるだろうけれど、もちろんのことそんな安息日は一日しかもたず、二日目には先輩はすでに通常営業。颯爽と僕の教室に現れて、翌日放課後の召集命令が出て――――即ち本日、前回と同様の僕とつくみ先輩と上弦さんというメンバーで、〈ワールド・マテリアル〉探しが行われることになったのだった。
午後四時四十分、学校裏手の人通りがほとんどない路地裏で落ち合った僕ら三人は、周りに目撃者が誰もいないことを確認しつつ、つくみ先輩の〈能力〉でもって、〈反位相の世界〉へと入った。裏門をよじ登り、開け放してある資料室の窓から潜り込んで、薄暗い校舎の中へと潜入。そしてこれまた前回同様、各々懐中電灯を片手に、探索という名の家探しを開始したのである。
今日の捜索範囲は、二年一組から四組の教室だった。
今回の先輩の試行錯誤は『色つきの懐中電灯で照らせばまた違ったものが見えるんじゃないか』というもので、先輩は家から赤、青、緑のペンライトを持参してきた――――しかし、実際にそれらで真っ暗な教室を照らしてみても、単に見づらいだけだった。線は細いし、凹凸はぼやけるし。どうにもこうにも探索の支障にしかならず、開始十五分で先輩はそれらを泣く泣く断念。結局中盤以上は、ただの普通の家宅捜査になってしまったのだった。
――どうせなら、家で試してくればよかっただろうに……。
そんな文句が口から出かかったけれど、とりあえず我慢し、僕は僕で捜索を継続。一クラス大体二、三十分のペースで探索を行い、六時には二年三組――――即ち僕の自教室の探索が始まったのだった。
〈世界〉は違えど、やはり見慣れた教室。形状も窓の外の風景も、いつも見ているそのままだ。そんな中で他人の机やロッカーを引っ掻き回すことに少し後ろめたさを感じつつも、先輩にけんけん言われない程度のやってる感を醸し出しながら探索している最中、
「――そう言えばさ、上弦さん、辺乃先輩のチームにいた時は、一体どんな探索をやってたの?」
と、ふと疑問に思って――というか、正直探索に飽きてきて――僕は上弦さんにこんなことを聞いてみた。
しかし、上弦さんが口を開くより先に、
「おい、朝風君! そんな意味のないことを聞くもんじゃない!」
と、つくみ先輩がおもむろに立ち上がり、叱責するかのように言ってきた。
「この〈ワールド・マテリアル〉探しはだな、各々のプライドをかけた勝負なのだ! 他人の真似なんかして探しだしたところで、何も誇れるものはないではないか! それでは勝ったことにはならないのだ! 何より、あたしの良識がそんなことを許さんぞ!」
「……いや、だったら、聞くだけ聞いて、真似しなければいいだけじゃないですか」
僕は嘆息しつつ、再度上弦さんの方を向き直り、
「……どうだったの?」
「……そうですね」
上弦さんは顎を人差し指で撫で、記憶を掘り返すように斜め上を向いた。
「……特に、こちらのとあまり変わりませんでしたよ。毎回リーダーが勝手なこと言って、その通りにあちこち探し回るだけです。たまにリーダーが赤外線カメラとか、超音波マイクとか持ってきてましたけど……」
「――……なるほど、赤外線カメラに超音波マイク、とな。なるほど、なるほど……」
「…………先輩、真似はしないんじゃないんですか」
「い、いや、別に真似などせん! す、するつもりはないぞ! た、単に、何かのヒントになるのではないかと思っただけだ」
つくみ先輩は慌てたように顔を上げて言ってきた。そして場を取り繕うように、
「ほれ、二人とも、早く探索に戻れ。時間は限られているのだ。一分一秒も無駄にできん。上弦君は入り口で風紀委員の奴らが現れないか監視。朝風君はあたしと一緒に探索だ」
「……わかってますよ」
僕は渋々言って、あちこちの棚を開けたり閉めたりする作業を再開した。
……しかしまあ、探す前からわかりきっていることだが、どこもかしこも空っぽだった。例えゴミでも何でも、何かしらが引出の中に入っていれば僅かなりとも期待感みたいなものが芽生えるのだろうが、それすらもない。机も本棚も、まるで生産ラインから出てきたばかりのような状態だ。傷すらほとんど見当たらない。〈ワールド・マテリアル〉どころか虫の一匹すら見つかりそうもない。すぐに虚しくなる。すごく虚しくなる。棚の開け閉めで腕が痛くなるだけだ。
「…………ほんと、〈この世界〉って何で〈こう〉なんでしょうね?」
つりそうになった二の腕を撫でつつ、僕は愚痴をこぼすかのように呟いた。
机の中を教室後方一番左から順に覗きこんでいたつくみ先輩がぴくんと顔を上げ、
「……ん? ……『何でこう』とは、どういう意味だ?」
「え? いや、だから――――何でこの〈反位相の世界〉は、こんな風に僕らの世界と瓜二つで、だけど真っ暗で、静かで、人がいないんでしょうか、ってことです。……ほんと、一体全体どうやって、こういう場所が作られたんでしょうね?」
「……ほう! ほほう!」
先輩は何やら嬉しそうな声を上げた。
「君がついに、そういう疑問を自ら抱くようになるとは! あたしが何も言わずとも、自発的に推論を進めようとするとは! ふんふん。我が子の成長を見るかのようで、あたしは嬉しいぞ! 感激の極みだ!」
――いやいや、そもそもこれは、あなたがこの前僕に聞いてきたことじゃないですか。三日前の自分の発言すら、興味が無ければ記憶からさっさと追い出すんですか?
「……しかしだな、朝風君。確かにそれは当然の疑問だが、それがわかってしまったら、この〈ワールド・マテリアル〉探し自体が終了してしまうようなものだろう。あたしの勘では、〈この世界〉の謎と〈ワールド・マテリアル〉は直結しているはずだ。それほどのもののはずだ。そんな簡単に答えが出るはずがない――――まあだからこそ、このあたしが心血を注いで探究する価値があるということだが、な。灰色の脳細胞を持つあたしですら、今現在はまだその疑問に答えることはできないというわけだ」
「……へえ、頭のいい先輩でも、わからないことってあるんですね」
僕が言うと、癇に障ったのか、先輩はむっという表情になって、
「――しかし、だ。あたしにも『仮説』がないわけではないぞ」
「…………仮説? ……いわゆる『つくみ理論』て感じですか? ……へえ、それって、どんなのです?」
僕が聞くと、先輩はおもむろに上弦さんの方を見て、
「……上弦君。風紀委員、ないし他者の気配はないか?」
と聞いた。
上弦さんが頷くと、先輩は僕の方を再度見てきて、
「よろしい! では教えてしんぜよう! ……言っとくが、拍手の準備を忘れるなよ?」
――他の人に見つかりたくなかったんじゃないんですか?
「さて、ではまず、大前提の部分から議論を始めようか――――あたし達はこの世界を〈反位相の世界〉と呼び、そう認識している。『反位相』――即ち、我々の世界を反転させただけの世界。すべて反対だが、すべてが反対だからこそ、すべてが同じになっている世界だ。確かにこちらの世界の建造物は、どれもこれも元の世界と同じにはなっている。……しかし、この世界を体感して、この認識を少しばかり改めなければならないことには、もちろん君も気付いているだろう? そうだ。見ればわかることだが、この世界には――――人がいない」
そりゃそうだと思い、僕は無言で首を縦に振った。ちらりと見ると、ドアの横に立って廊下を監視している上弦さんも、こちらの会話を聞くともなしに聞いているようだった。
「そう。人が存在していない以上、ここは正反対の世界ではない。ここが〈反位相の世界〉で、ここに人間がいないのなら、我々の世界からも人間が消え去らなければ、道理に合わないわけだからな。つまりこちらの世界は、完全なる〈反位相の世界〉ではないということだ。……ただ、だからといって、完全なる別世界というわけでもない。なにせ、建造物は我々の世界とほとんど同一なのだから。だから、この世界と我々の世界、何かしらの繋がりは必ずあるはずだ。……そこまでは、納得するな?」
「ええ、まあ……」
「そう。そしてこれ以上判断材料がない以上、ここからはすべて推論になってしまうわけだが、ここであたしが出した仮説というのが即ち、この世界は――――『反位相の世界』から、『さらにちょっとだけずれた世界』なのではないか、ということだ」
「…………ちょっとだけ、ずれた? ……って、ど、どういうことです?」
「前に話しただろう。世界には様々な『波』があって、その形が真逆になっていることが『反位相』だと。……『ちょっとだけずれた』というのはつまり、『波の形が真逆になるピークの少し前、あるいは少し後のポイント』でシンクロした世界が〈ここ〉ではないかと、そういうことだ」
「……ええと、ようは、同調が少しずれてる、ってこと、ですか?」
「そうだ。ほんの少しのずれであるから、無機物には影響は少なかった。しかし、その影響は有機生命には甚大だった、というわけだ。だから、建造物は同じで、人間――――ひいては、生物が存在していない、こんな世界が作られたというわけだ」
「……なるほどー。まあ何となく、わかりました」
割り合い素直に納得できた僕は(我ながら実に珍しいが)、音を立てないよう、拍手をするジェスチャーだけした。
それを見て――恐らく、素直に褒められるという経験が思いのほか少ないのだろう――先輩は照れたような笑顔になって、
「……ふ、ふん。しかし言っておくが、これはただの仮説であって、確証はない。もう少し何らかの手掛かりがあれば、この説ももう少し詰められるのだが……」
独り言のように言いながら、先輩は教室後方のロッカーをまじまじと眺めた。
「しかし、どこもかしこもきれいさっぱりに掃除されていて、痕跡と言う痕跡が何一つ発見できない。……ほれ、ここの名札シールの張りシロだって、ぴかぴかに磨かれていて、過去何かが張ってあったのかどうかさえ確認できない。これでは何も検証できない。……もどかしい限りだよ」
まったく、とぼやくように言うつくみ先輩。
僕が「……ま、まあ、だからこその〈ワールド・マテリアル〉探しで――」と言いかけたところで、
「――いやいや、興味深い内容だった」
突然だった。
唐突だった。
突如教室に、男の声が響いた。
僕以外の男の声だった。
驚いて窓の方を見ると、いつの間にかそこに――
――月明かりを逆光にして、都度中先輩が窓枠に寄り掛かっていた。