表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/32

第三話「The conflict」--その七

「どうだね? 〈ワールド・マテリアル〉探しにもだいぶ慣れたかね、朝風君?」


 席に着くや、とりあえずウェイターにコーヒーを二つ頼んだつくみ先輩は、まるで普段あまり接点が無い我が子との会話を試みる父親のようなことを僕に聞いてきた。

 先輩の向かいに腰を下ろした僕は、


「…………いや、慣れるも何も、行ったのはまだ四回ですよ? ……行って帰ってくるだけで精一杯です」


 と、カバンを小脇に置き、上着を脱いで、ついでにネクタイを緩めながら答える――――そもそも何をして『慣れた』という判断基準にするのかが甚だ疑問だけれど、しかし少なくとも現時点の僕は、どこにどんな境界線を引いてみたところで、総じて『慣れていない』側の人間にカテゴライズされるのは確かだろう。

 つくみ先輩に初めて会った日と体育祭の日、そしてその後二回ほど〈ワールド・マテリアル〉探しが行われたわけだが、どれもこれも、ただ単に真っ暗な学校をぺたぺた歩き回っただけだった。一応ここ二回の探索では風紀委員に見つかることもなく、割かし落ち着いた探索が行われたのだが、しかし帰ってくる度に立ち眩みがするのは相変わらずだった。次回は酔い止めでも持って行こうかと思っているところだ。


「……そうか、まだ四回ぽっちだったか。ふむ…………それではまだ、『気づく』という段階にはないだろうが――」


 ウェイターが運んできたコーヒーに砂糖もミルクも入れることなく、そのままずずずと口に含んだ先輩は、


「――ふん、では、朝風君。現時点で君は、〈ワールド・マテリアル〉について――あるいは〈パラレルスイッチ〉について――一体どこまで理解できているのかね?」


 ……あれ? いつだかも同じようなこと聞かれなかったけ? ――――と思ったが、記憶は曖昧だった。もしかしたらその時は、先輩が訳の分からないことを勝手につらつら語りだし、結局僕は説明しきれていなかったのかもしれない(まあ、それがいつも通りと言えばいつも通りだ)。僕は「ええと、そうですね」という修辞と共に、


「……まあ、雑誌に載ってたことは一通り、という感じですかね。この高校に入学したばっかりの頃に、クラスメイトに特集された雑誌を無理矢理貸されて、それを半信半疑で読んでましたよ。色々わけのわからない言葉が並んでて、全部理解できてたとは到底言えませんが……」


 ――これは僕に限らず、天神岬高校の新入生全員にとって、いわば通例行事みたいなものだ。兄や姉が上級生にいる(あるいは、いた)一年生が、その兄姉のツテから聞いた〈ワールド・マテリアル〉の噂話をクラス中・学年中に広めていく、というのが毎年四月中旬に見られる学園風景なのである。特集記事が載った過去の雑誌も、大体二週間くらいかけてほぼ全員に回し読みされる。そうやって、天神岬高校における『常識』として、〈ワールド・マテリアル〉が定着していくのである。

 ……まあほとんどの生徒は、そんなものを見せられても一笑に附したり、傍観に徹したりするだけだ。全員が全員まともにとりあってるわけではない。元来オカルトに興味のある人間なんて一パーセント未満だろう。オカルト研究会が繁盛している高校なんてついぞ聞いたことがないし。

 しかし、やはりどうしても、自分の高校の写真が何枚も雑誌に載っていることでテンションを上げ、それらに興味を持ってしまう生徒がクラスで大体二、三人くらいでてきてしまう。そしてそういう人間に限っていざという時の行動力は凄まじいらしく、彼ら彼女らは数日の後にクラスメイトで徒党を組んだり、部活の先輩のチームに参加させてもらったりして、本格的に探し始めてしまう。そうやって、風紀委員的には迷惑だろう生徒が毎年排出されていくのである(もちろん、二年前のつくみ先輩や辺乃先輩、そして今年の上弦さんもこれに含まれるのだろう)。

 当然、僕は例外の方だった――――そもそも、見せられた特集記事だって推察や推測ばかりで要領を得ず、いわばライターの一方的な持論の集まりなのである(例えば近所にSF作家が三人住んでおり、彼らの初期作品にパラレルワールドものが多くあって、おまけにその三人の自宅からほぼ等距離にこの高校が位置しているものだから、きっとこの高校には平行世界に関する何らかの秘密が眠っているはず――――といった具合に、科学的に見ればまったく話にならない内容なのだ。こんなのを信じる奴など、将来悪徳宗教に血の一滴まで搾取されるのが運命づけられてるようなものだ)。そんなものを手掛かりに宝探しをするなんて、いわばマスメだけが並んだクロスワードに挑戦するのと大差ない。一生かかったって解けるわけがない。

 だから、これらはあくまで空想。

 フィクションであり非現実。

 夢見物語であり御伽話。

 常識的に見れば、決して信じてはいけない非常識なのだ。

 ……ただし、〈反位相の世界〉なんてものを見せられた現在の僕は、〈ワールド・マテリアル〉が絶対ないと断言しづらくなっているのも事実だけれど。わけがわかっていないので、考えるのを停止しているところだ。


「……ふん、あんな記事の内容など、当てにはならないさ。自分で見たものこそが事実であり、真実なのだよ」


 苦々しい顔で、吐き捨てるように先輩は答えた――――今の僕の発言がそんなに心外だったのかと驚いたが、その表情の原因はそこじゃなかったらしい。どうやらコーヒーが思いのほか苦かったようで、先輩は砂糖を二袋開けるとコーヒーにザラザラ投入し、からからとかき混ぜ始めた。


「……あんなものをいちいち鵜呑みにしていたら、その検証だけで一生が終わってしまう。特に、あそこに提示されていた〈ワールド・マテリアル〉の隠し場所など愚の骨頂だった。校庭の桜の木の下、記念樹の根元、校門の塀の中、体育館の下、校長室の秘密の通路。……どれもこれも、くだらないにもほどがある」

「……まあ、そこは同意ですね」


 僕は頷きながら、自分の分のコーヒーに口をつけた。


「あの雑誌、最初読んだ時は、思わず笑ってしまいましたよ。ギャグかと思いました。全ページがツッコミ待ちみたいに見えましたね。…………それに、あの〈パラレルスイッチ〉っていうのだって、あの雑誌のライターが一人失踪して、残された手帳にそう書いてあったってだけですよね? 雑誌には、実際の手記の写真まで載ってましたけど……。そもそもオカルト雑誌のライターのメモ書きなんて、まともに取り合う方がバカバカしいです。どうせ思い付きで勝手に書いただけだろうし。……そういや、去年の三年生が一人行方不明になってなんて噂もありましたっけ? あれを聞いた時は、よくまあそんな話をでっちあげるなあと、ちょっと感心しちゃいましたよ。だって、当の高校に通う後輩が全然聞いたこともない与太話で――」


「――ところで、話を戻すが」


 先輩はようやく砂糖を混ぜるのをやめながら、僕の方を見ることなく、声だけで聞いてきた。


「朝風君。君は〈あの世界〉について、どこまでアナライズできているんだ?」

「アナライズ……? どこまでって、一体、何をです?」

「……ふむ、やはりというか、朝風君、君はどうにも科学的思考が苦手なようだ」


 先輩はくたびれたような溜息をこぼした。


「前提と結果を提示された際、そのプロセス(とちゅうけいか)を推測する能力が、君には特に欠如している。…………今のあたしの質問を徹頭徹尾説明してあげると、つまりだね、どうしてあの〈反位相の世界〉が今あんな状態なのか、君は考えたことはあるのか、と聞いているんだ」


 どうして〈あの世界〉が〈ああ〉なのか考えたことはありますか―――そう言えば、月ノ宮先輩にも同じようなことを聞かれたことがあったな。〈あっちの世界〉に出入りする人間は、誰しも悩んでしまうことなんだろうか。


「……君もちゃんと見ただろう? こちらの世界とほとんど同じ街並み、風景。リンクはしていない物質。そして人間が存在していない空間。一体どんなプロセスを踏めば――あるいは、どんな現象が起これば――あんな世界が生まれるのか、君は考えたことはないのか? 予測でも予想でも、何かしら仮説を立てたりはしていないのか?」

「ええ? 仮説? い、いや、だって…………わ、わけがわからないですもん。何をどう考えればいいのかもわかってなくて……」


 僕が言うと、先輩はテーブルに肘をつき、ずいっと前屈みになって、僕を睨みつけてきた。


「……本当に?」

「へ? いや、本当ですって」

「神に誓っても?」

「ち、誓うまでもなく、です」

「――本当は予測がついているが、あたしに話すのは嫌だからシラをきっている、とか?」

「……いやいやいやいや」


 僕はぶんぶんと首を振る。正直、呆れてしまった。


「別に僕は、そんな面倒なことはしませんよ。濡れ衣です。本当の本当にわかっていません。……まったく、どこまで疑り深いんですか。そんなに、僕、信用ないですか?」

「……はは、悪かった」


 つくみ先輩は表情を崩し、自嘲気味に笑った。次いで時計を見やり、


「――ふむ、だいぶ良い頃合いか。……あたしはそろそろ、おいとまさせてもらおう」

「ああ、決闘の時間ですか?」

「ん? ああ、そうだな…………それに確か、風紀委員のミーティングも終わる時刻のはずだ」


 先輩はそんな情報までどこかから入手してるのか、と少々驚きつつ、


「――ああ、そうですよね。こんな時に都度中先輩に見つかるのは厄介ですもんね」

「ふん。都度中――――というより、あたしが出くわしたくないのは別の人間だがな」

「誰です?」

「――月ノ宮の方だ」

「…………はあ、そうなんですか?」


 意外だった。僕にとっては優しい先輩という印象しかないのだが。


「あいつの考えは、あたしにもまったく読めん。正直言って不気味なんだ。できれば、あたしの行動はあいつからできるだけ隠し通したいんだよ」


 つくみ先輩は立ち上がり、カバンを持ち上げると、残りのコーヒーをぐいっと飲みほした。そしてかちゃん、とカップを皿の上に戻す。

 僕も慌てて残りのコーヒーを飲み終わそうとカップに手をかけたが、先輩は手をひらひらと振って、


「ああ、君はまだいい。もう少しゆっくりしていったらいいさ。ここは払っておくよ」


 そう言って、伝票を拾い上げる先輩。


「じゃあ、また後ほど」


 最後にそう言って、レジへと歩き出す。去り際、先輩は僕に対してぱちりとウィンクをしていった。


 ――いつだかのような、どことなく寂しそうに見える目でもって。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ