第一話『Another Phase』――その一
加賀野つくみ先輩はたいした人である――――いや、これは別に揶揄とか嫌味とかではない。僕は素直に、純粋に彼女のことを褒めているのである。国語も数学も英語も物理も歴史も音楽も体育でさえ彼女の成績表は満点街道まっしぐらであり、さらに性格もルックスも万人に高評価を得るものなのだ。たいがいの人は彼女を見て「こんな人間に生まれたかった」と思うか、あるいは「こんな人間が居るから自分は恵まれないんだ」と思うかするものである。
煌いて見えるほどの色白に、少々垂れ気味の目尻が人柄のよさを滲ませている好印象な美人さん的顔立ち。そして今時は男だってもう少し伸ばしてるんじゃないかと思うほどにさっぱりとしたショートヘアー。あえて一言で表現するならボーイッシュなんて言葉が適当かもしれない。そんなこざっぱりした外見のため、バレンタインはほとんど貰う方の立場だとかいう話も聞いている。そんな容姿で人当たりも良く、おまけに成績優秀とくれば、非の打ち所なんてありゃしない。福沢氏のかの名言は彼女をして全否定されてしまうのである。
しかし、ただ一つ彼女の弱点――――それは、先輩が『バカ』であること。
いや、これは頭の回転が鈍いとか記憶力がないとか、そういうことを言っているわけではない。先に述べた通り先輩の成績はすこぶるよく、「頭が悪い」という形容とは対極にいる人なのである。ここで僕が言っている『バカ』というのは、詳しく説明するのは少々面倒なのだが、例えて言うなら『テストの前日に、力学と統計学を駆使してよく当たる鉛筆サイコロを開発する』ようなことだ。素直に勉強した方が断然楽だろうに、それ以上の知識を駆使して回り道をするような人なのである。実際に先輩がちくちく鉛筆サイコロ製作に勤しんでいるところなど見たことはないが、作っていたとしても驚きはしない。そんな人である。
そんな人なもんだから先輩は学校でも割かし有名人なのだが、当の本人は、その有名になった原因を「あたしが美人だから」という要素のみで理解している。そしてそう理解しているからこそ、周りからの歪な視線を意に介さず、自分の言動を省みることもないのである。「先輩が美人」というのも嘘ではないが、しかしこれだけがすべての真実ではないのも確かだ。ちゃんと現状を認識してもらおうと僕も色々と言葉を選びつつ説明したこともあったのだが、結局先輩は聞く耳を持ってくれなかった。どんなに言葉を並べようとも、「――要は、あたしが魅力的だからだろう?」という一言でばっさりと切られてしまうのである。ノレンを腕で押したってもう少し手応えがあるものだろうに……。
こういった相互不理解を何度か繰り返していった結果、僕はようやくこの先輩が『バカ』であることを心の底から理解し、最終的には先輩の更生を諦めたのだった。今思えば、これほど無為な時間もなかったように感じる。
さて、ここまでつらつらと加賀野つくみ先輩の客観的な評価というのを書き連ねてみたが、実際のところ、僕自身がここまで先輩のことを理解したのは、今からもう少し後のことである。
今現在の僕は、学校の最寄り駅のホームで先輩から「あたしは加賀野つくみだ。よろしく」と自己紹介されてからわずか三十分後であり、喫茶店でわけの分からない話を聞かされてから十分後であり、ケーキを半ば強制的におごられてから五分後であり、つまりは先輩に手を引かれて学校へと続く商店街を歩いている最中なのだ。当然のごとくつくみ先輩のパーソナリティのパの字も知っているわけがない。そしてわからないからこそ、僕も僕で、このわけのわからない先輩にのほほんとついてきてしまったという部分もあるのかもしれないが。
駅から学校へと戻る道すがら(帰宅途中の同校生の波を逆流していくのが何とも気恥ずかしくなりながら)、僕は目の前の先輩に向かって、
「……あの、ところで、ちょっと聞きたいんですけど」
という前置きと共に、質問を一つ投げかけてみた。
「いや、先輩のアシスタントになることには同意しましたけど、あの…………何でまた、こんな日も沈みかかっている時間にもう一度学校に行かなくちゃならないんです?」
この疑問を聞くや否や、先輩はぴたりと立ち止まり、短くカットされた後ろ髪を揺らしながら、くるりと首を回して振り返ってきた。その顔は「何だ、そんなことも理解していないのか?」と言わんばかりの呆れたような表情であり、実際に
「何だ、君、そんなこともわかってなかったのか?」
と呆れたような声で言ってきた。
「だから、『ワールド・マテリアル』を探すために決まっているだろうが。あたしたちの目的はそれだけだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「それって、さっき先輩は全否定の表現だって言ってませんでし――――いや、それはいいとして、僕が聞きたいのは『ワールド・マテリアル』を探すために、何でこんな時間に学校に行かなくちゃならないのかってことです」
「決まっているだろう。この『ワールド・マテリアル』は我が天神岬高校にあるという話だからだ。噂とはいえ、学校にあるという情報があるというのに、わざわざ山やら海やらに出掛けるバカはいな――」
「――じゃなくって、何でこの『じ・か・ん』なのかってことを聞いてるんです!」
いい加減、僕は声量を大にして訴えた。
「もう夕方の七時ですよ、七時! 空もほとんど真っ暗ですし、そろそろ夕飯時です。わざわざこんな時間に行かなくても、明日の昼休みとか放課後とか、もっと活動しやすい時間があるでしょう。今日は一旦帰るっていう選択肢はないんですか?」
「ないな」
先輩は即答及び断言。
「我々の『ワールド・マテリアル』探しは、ようは早い者勝ちの真剣勝負なんだ。一秒たりとも無駄にはできない。おまけに、あたしのクラスは、明日の宿題が十分程度で終わる現代文の小問だけだからな。今日の夕方は、あたしには結構な時間があるのさ。このチャンスを逃す手はないだろう」
……いや、僕の都合は?
「何を言っている? 君はアシスタントであり、あたしへの全面協力が仕事なんだ。あたしが行けと言ったら、君は火の中でも、水の中でも、富士の樹海の中でも、審議中の国会議事堂の中でも、ホワイトハウスの中でも、即座に行かなければならないのだ。つまり、君の命はあたしに譲り渡されたも同然なんだ」
僕の命を! ケーキ一つで!
「……それに、君はやはりわかっていない。夜の学校というのがどれだけ素晴らしいシチュエーションなのか。そこがどれだけ幻想的で背徳的な場所なのか。日本人なら誰しも一度は憧れるスポットだ。しかも、そんな場所に、君はこれからこんな美人と二人きりで行くことができるというのに。一体君に何の不満があるというんだ?」
「……美人と書いて『あたし』と読む人を初めて見ましたよ」
僕は肩をがっくり落としながら嘆息した。
しかし、つくみ先輩は相変わらず僕の腕を引っ張りながら、
「さあ、理解したら、さっさと君の親御さんに今日の夕飯がいらない旨を伝えて、早速学校へと向かうぞ!」
商店街を歩く人々からの奇異な視線をまったく気にすることなく、大音量で言い切った。