第三話『The conflict』――その一
「では、今週の土曜、一時半に駅前集合だ!」
つくみ先輩が僕と上弦さんにこう言ってきたのは、体育祭が終わって三日後の放課後のことだった。
その時の僕はちょうど、いそいそと自教室で帰り支度をしていたところだった。思いのほか本日出された宿題が少なかったので、帰ったら一体何して遊ぼうかとウキウキ心躍らせており、おまけに今週末に楽しみにしていた映画の封切が迫っていたので、有頂天と言っても過言ではないくらいのすこぶるポジティブな気分だったのである。
そこに乱入者、加賀野つくみである。
おまけに、上弦さんまでズルズルと引きずられて来た。首根っこをつくみ先輩にがっしりと捕まれ、さながら親猫に運ばれる子猫のような姿勢だった。
僕は両名を視界に映しつつ、数秒間呆けながらも、
「……え? ど、土曜、ですか? いや、あの、ちょっと、僕、よてい――」
「折角我々は仲間となったんだしな! 同じチームとして! これから共闘していく者として! 結束を強くしていかなければならない! お互いがお互いをよく知っていかなければならない! そのための時間として、今週の土曜の午後を使おうではないか! なあ!」
浮かれすぎてリミッターが外れているのか、胸を張り、突風でも引き起こしそうなほどの大音量を張り上げるつくみ先輩。
僕は右手を挙げ、
「……あの、先輩、だから、僕は、今週は――」
「例えばだ! 我々がピンチに陥ったとして、瞬時の判断が必要な場面に遭遇したとして、そんな時、わざわざ臨時の打ち合わせなど行ってられないだろう? お互いの呼吸でもってタイミングを、ペースを、作戦を、判断を合わせていかなければならないだろう! そのために、彼が、彼女がどういう人間なのか、きちんと知っておく必要があるのだ! 知らなければならないのだ! これは急務なのだ! ――――いやまあ、なんだ、別に難しく考える必要はない。有体に言えば単純に三人で遊ぼうと、それだけのことだ! 楽しいオリエンテーションだ!」
「――え、だから、ですね、申し訳ないん、ですけど、僕――」
「この上弦さんも! もしかしてデートの予定でもあったら申し訳ないと思ってたんだが、運のいいことに! マコト運のいいことに! 土曜は空いていたらしい! 空っぽだったらしい! だったら、このチャンスを逃すわけにはいかないだろう! だから急遽、今週の土曜に日取りを決定したわけだ!」
「――あの、ですね、僕、チケット、もう買ってて、日にちも――」
「ああ、ああ、特に準備物はいらない! そんなシチ面倒くさいことをするつもりはないからな! ある程度のお金を持ってきてくれればそれでよし! プランは大体あたしが立てているし! 心配無用! 君のすべきことは、時間厳守で駅前に集合すること! 一時半だぞ? わかったか? わかったな? うん、よし、では楽しみにしておけよ! うわっはははははは……」
それまで掴んでいた上弦さんをぽいと放り投げると、どこぞの悪役のような高笑いと共に、つくみ先輩はさっさと立ち去ってしまった。
上弦さんはむくりと起き上がり、じろりと僕を一瞥。そのままよろよろと二年三組を後にした。
最終的に、土曜の映画のチケットの処遇に困った僕だけがこの部屋に取り残されたのだった。
僕はあまりの事の成り行きに、ぽかんと立ち尽くす。
……な、何だ、何だったんだ、今の先輩のテンションは? アクションは? ついてけない。ついてけない。ついてく気にもなれない。この前の『寂しそう』なんて雰囲気は微塵もなかった。欠片もなかった。何の見間違えだったんだ? 何の勘違いだったんだ? これがいつも通りと言えばいつも通りだけれど……。
――と、誰かが僕の方にトコトコ近づいてくる足音が聞こえた。
ぎちぎちと首を回すと、クラスメイトの虹雪さんだった。
虹雪さんは恐る恐るという表情で、ヒソヒソ話でもするように口元に手を当てて、
「……えっと、朝風君、今度は何?」
「…………いや、よく、わからない」
僕は素直に率直に答えた。
実際、つくみ先輩がどういう意図でもってこの催しを考え付いたのかよくわかっていないのも事実だし、何か取り繕わなければならないにしても、何をどう取り繕えばいいのか見当もついていないのだから、やはり「よくわからない」と答える他ないのだ。他に選択肢はない。
「……そ、そう、まあ、気をつけてね」
僕の身を案じてくれてる気持ち二割、周りを巻き込まないでくれという懇願八割くらいの苦笑いと共に、虹雪さんは席へと戻っていった。
その苦笑に苦笑でもって返しながら、僕の中にはやるせない気分だけが沸き起こる。
虹雪さんとの間に――さらに言うなら、クラスメイト全員との間に――宇宙まで届きそうなくらいの巨大な壁がそびえ立っているような感覚だった。つくみ先輩の所業にもだいぶ慣れてきた――――麻痺してきたといっても、やはり、この喪失感にだけはまだまだ慣れないものだ……。
虹雪さんは、島吹君の相方として今学期の学級委員に選出された、優秀かつ人望も厚い女子である。笑顔も魅力的な人で、男子に気になっている女子のアンケートをとれば間違いなく過半数は取ると断言できる。かく言う僕も支持者の一人だ。もし彼女と付き合いでもしたら、夜道は怖くて一人では歩けなくなるだろうというくらいの人気を博している女の子である。
年度当初は、僕自身、彼女との会話に一喜一憂していたものだが。……いや、つい数週間前まではそんな感じだったはずだが――――いつの間にか、そんな余裕もなくなっていた。考えてる暇がなくなっていた。
今あるのは、溝と壁のみ。
……僕は何を間違えたんだろう?
「はあ……」と、僕は抱えたかばんにため息を吹きかけた。そして「よいしょ」というジジくさい掛け声と共にカバンを担ぎ上げ、帰路を歩み始めた。
――説明が遅くなったが、この前の体育祭、どうやら結局、つくみ先輩が勝ったらしい。
僕は気を失っていたためその詳細は知らず、つくみ先輩に聞いても何やら誇張満載な説明(その話によると、先輩はついに小太刀術の極意に行き着いて、最終的に武器を使わず気当たりのみで辺乃先輩の木刀をことごとく弾き返し、制したとか語っていた。……んなバカな)が返ってくるばかりだったので、結局真実はわからず。あとで上弦さんに確認する必要があるだろう。
ともかくつくみ先輩が勝ち、晴れて上弦さんがウチのチームの入ったのである。
……本当に『晴れて』なのか疑問だし、『ウチの』という表現も何だか気持ち悪い。
どうもどうやらこのところ、大体のことがつくみ先輩の思い通りにいっているようだが、それが僕にとって良い方向なのか自信がない――――少なくとも虹雪さんとの間に壁ができてる時点で、僕は一つ幸せを逃していることになるわけだし。
折角買った映画のチケットも誰かにあげなきゃならないし。
そういや、この前鳴海さんが泣いてた理由もまだ聞けてないし。
釈然としないことだらけだ。
そして僕はこんな釈然としない気分のまま、その土曜日に開催された、加賀野つくみプレゼンツ、ボウリング大会に参加したのだった。