第二話『Enemy』――その七
校舎の玄関口で、僕は月ノ宮先輩に手を振られながら昇降口を出た。
清楚なお嬢様に笑顔で手を振られるというのは、それだけですこぶる気分がよくなってしまうものだ。変な優越感が沸いてくる。内心、物凄くこの場所を離れがたかったが――彼女を視界から外してしまうのが至極勿体ない気がしたが――時間が時間だ。さっさと帰らないと夕飯が片付けられてしまう。このままでは麺しか入ってないインスタントラーメンで空腹を満たす羽目になってしまう。
正直、こんな時間に女の子を一人にする方がよっぽど危険な気もしたけれど、まあ多分、彼女のSPがそこかしこに潜んでいたりするんだろう。校舎の影とか、垣根の奥とか。変に長居すると、僕の方が目をつけられて危ないのかもしれない。
僕はカバンを抱え直しながら、月ノ宮先輩に背を向け、校門に向かってとぼとぼと歩きだした。歩きながら、手持無沙汰なのを紛らわせるように、僕は何てこともない考えを巡らせた。
――あの月ノ宮先輩というのは、一体どういう人なのだろう?
どうにも、僕はあの月ノ宮という先輩が掴みきれていない――――いや、別に今のところ何の問題もなくコミュニケーションは取れている。会話も成り立っている。僕の方としては特に不満はないし、むしろ僕みたいな後輩に優しくしてもらって恐縮してるくらいだけれど……。
最初僕は、お嬢様という性質から来るそのおおらかな価値観と純粋無垢な正義感から、彼女は風紀委員に入ったんだろうと思っていた。あるいは、あの都度中先輩に感化されて、付き従うように風紀委員に入った可能性もあると思っていた。
しかし、話してみてわかったが、彼女は通り一辺倒な価値観に簡単に衝き動かされるようなタイプではない。そして、彼女の意志は都度中先輩のそれとは幾らか違うようにも感じた。
彼女には恐らく、彼女固有の〈何か〉がある。
建前の『裏側』が。
しかしまあ、これはただの直観だ。何の根拠もない。何の目途も立っていない。
それはつまり、彼女も彼女で自由に活動しているという、それだけのことなんだろう。つくみ先輩が勝手気ままに〈反位相の世界〉に入り浸っているように。つくみ先輩を野放しにしているのに、月ノ宮先輩を非難する道理なんてありはしないだろう。
――っと、そういえば。
結局、つくみ先輩と辺乃先輩の勝負はどうなったんだろう? どっちが勝ったんだろうか? 二人の勝負は最後まで見届けられなかったし、月ノ宮先輩からも結果は聞いていない。
結局僕が売りに出されることになったのか? それとも上弦さんがウチに来ることになったのか?
……まあ、明日聞けばいいか。どちらにしろ、僕の待遇は大して変わらない気がする。
僕はそんなことをつらつら考えながら校門を出た。そして右に曲がった、その時、
「……うおっ!」
僕はびくついた。
目の前に人が一人、いたのである。
周りが薄暗く、一瞬その人が誰なのか判断がつきかねたが、しかしすぐにわかった。わからないわけもなかった。この数日、最も僕の視界に入る機会が多かった人。ショートヘアーで、垂れ目で、女子の制服を着た先輩――
――つくみ先輩だった。
「お、驚かさないで下さいよ」
「はっは、出会いはいつも劇的であるべきだろう」
「いや、劇的と言うか、喜劇的と言うか……」
高笑いするつくみ先輩を、僕はねめつける。相変わらず、いつも人の気分を削ぐようなことしかしない人だ、と――――しかし、ここでふと、僕は何となく『違和感』を覚えた。何か……何か、どこかが『違う』ように見えた。『違う』ように思えた。…………けれど、何が『違う』のかはよくわからない。どこが『違う』のかは答えられない。言うなれば――――そう、やはり、『違和感』としか表現しようがない、そんな何かだった。
「ん? どうした?」
しばし黙り込んでしまった僕に、つくみ先輩が尋ねてきた。頬をぺたぺたと触りながら、
「あたしの顔に何かついているか?」
「え、あ、いや、そういうわけじゃ、ないんですが……」
「ふむ? ……ふふ、まあ、見慣れたはずのあたしの美貌も、夕闇の中ではまた一段と映えるのだろう。見惚れるのも無理はないな」
先輩は背を逸らし、からから笑った。
「しかし、だいぶ遅かったな」
「へ? ……え、あ、いやまあ、少しばかり月ノ宮先輩と話しこんじゃいまして」
「ほう、月ノ宮、と」
思案気に顎を撫でるつくみ先輩。
「……というか、先輩はここで何してるんです? 都度中先輩に連れ返されたって聞いたんですが」
「ん? ああ、一旦帰ってから、もう一度ここに来たんだ。君の具合はどうだろうと思って、ね」
つくみ先輩は何だか照れたように鼻をぽりぽり掻き、
「まあ、元気そうで何よりだ――――じゃあ、あたしはこれで失礼するよ」
「え? 帰るんですか? これからまた〈ワールド・マテリアル〉探しでもするのかと……」
「いや、今日はもうお開きにしよう」
そう言って、先輩は踵を返した。そして「じゃあ、また明日」と言って、手を振り振り行ってしまう。
僕は立ちつくしたまま、先輩を見送った。見送りながら、今の先輩の様子を反芻する。
どことなく感じた違和感。いつもの先輩と違うところ。先輩の頭の先から足の先まで思い出し、一つ一つ整合していって、何となく思い至る。そうだ、何だか、いつもに比べてほんの少しだけ――
――目が、寂しそうだった。