第二話『Enemy』――その五
この天神岬高校の体育祭において執り行われる騎馬戦は、一応の所男女混合競技となっている。
しかしもちろん、他競技と比べても一位二位に入るくらいの危険を伴った競技である。女子でこれに好き好んで参加する人など極めてまれだし(クラスから一人、格闘技系の部活をやっている人が出るか出ないかである)、それにマナーとして男子は男子、女子は女子と競い合うという風潮ができていた。
それなのに、である。
つくみ先輩は男女どころかクラス・学年さえ無視して、颯爽と僕と騎馬を組んだのである。他の二人は、先輩がクラスメイトの中から見つくろった――つまるところ、無理矢理強引に頼まれたら断れないタイプの――女子生徒。畑中さんと用賀さんという先輩だった。この二人は何だか諦めたような悟ったような表情で、渋々とつくみ先輩についてきた。
「そしてもちろん、上はあたしだ!」
街頭演説のような声で言って、先輩は僕ら三人がよたよたと造った騎馬に颯爽と乗った。一瞬、今までの意趣返しにこのまま落としてやろうかとも思ったりしたが、一応僕もジェントルメンである。数秒にわたる熟考の末(どうせ、また後頭部をぶたれるのが目に見えている)、泣く泣くそれを諦めた。
赤と白の両陣営に分かれ、各組二十八の騎馬がラインに並ぶ。そして審判役の体育委員の笛が鳴り響き、怒号と共に全騎馬が一斉にグラウンドの中心に駆けだしていった。
「ほれ、早く行け!」
「いたいっ」
頭頂部をぱちんと叩かれ、僕は鞭打たれた馬の如くグラウンドへ駆けだした。
中では、すでに熱戦が始まっている。
一対一で取っ組みあっている騎馬もいれば、三対一で囲い込んで敵を追い込んでいる騎馬、あるいはそろりと敵の後ろに忍び寄って鉢巻きに掴みかかる騎馬もいる。さながら本物の合戦の如く咆哮が響き、巻き上がった砂ぼこりで視界もおぼつかないほどだった。
グラウンドの中ほどに達したところで、馬上のつくみ先輩はきょろきょろと周囲を伺う。そして右斜め三十度の所に、やたらに背の高い長髪・一本縛りの男を発見。
「いたぞ! 敵はあそこだぁ!」
「いたいっ」
再びぺちんと頭を叩かれ、僕は慌ててそちらへと舵を取る。
敵前四メートルの所に達したところで、その敵方――――辺乃先輩もこちらを発見したようだった。にやりと不敵な笑みを浮かべながらこちらを睨んできた。
「来たか!」
言いながら右から掴みかかってきた敵を振り払い騎馬を崩すと、それに目をくれることなく、真っ直ぐこちらに向かってくる――――ちなみに、彼の部下、上弦さんは、辺乃先輩の右後ろに配し、彼の足をぷるぷると支えていた。見た感じ、支えるだけで目一杯、力一杯という感じだった。どうやらこちらもイレギュラーな男女混合馬らしい。
つくみ先輩と辺乃先輩。かちりと視線をぶつけあい、一瞬間を置いた後、
「うぉおおおおおお!」
「とりゃぁああああ!」
双方、さながら虎の雄たけびのような叫び声と共に、騎馬を走らせ正面からぶつかっていった。それがつまり具体的にどういう状態かと言うと、
――ぼごんっ
つくみ騎馬の前衛である僕が、辺乃騎馬の前衛である体格のいい男の先輩の胸元に頭から壮大にぶつかったということだ。……あまりの衝撃に、一瞬目の前が白くなった。
ふらりと倒れそうになったが、肩の上からつくみ先輩の全体重をかけられ、足を動かすことすらままならない。そしてそのまま、僕はこの乱闘の中に巻き込まれ、なされるがままただただモミクチャにされた。
つくみ先輩の蹴りが僕の鳩尾に入ったり、敵方騎馬の前衛の人に足を踏まれたり、辺乃先輩に髪を掴まれたり、上弦さんの頭がごつごつ顎にあたったり……。どこかにこの風景を描画した画家がいたとすれば、恐らく何も迷うことなくその絵を『地獄絵図』と題したことだろう。
戦況は刻々と混乱を極め、数秒の後には、僕は自分がどういう状態なのか自分でもわからなくなっていた。おまけに砂ぼこりが舞い上がり、視界すら覚束ない。かろうじて上の方から、
「おのれ、辺乃! 今日こそ決着をつけてやる」
と、鞘から刃を抜くような音と、
「いいだろう! 覚悟しろ、加賀野!」
と、木刀をぶんぶん振りまわすような音が聞こえたくらいだった。そして――
――次に僕が目を開けると、そこはがらんとした校庭だった。
少しばかり息苦しさを感じる。まるで全身が一瞬にして大量のカロリーを消費したような虚脱感。僕は地面にへたり込み、エホエホと何度かえづいた。
見ると、目の前の地面に何人か寝転がっている。
……いや、ぐたりとしてぴくりとも動かないところを見ると、気でも失っているのだろうか? 全部で四人――――うちの騎馬を支えていた女子二人と、辺乃先輩の騎馬を支えていた男子二人だ。
――えっと……どういうこと?
わけのわからない急展開に僕の脳が一瞬フリーズしかかったところで、
「……まったく、リーダーったら、いきなり〈こんなところ〉に連れてくるんだから」
そんなぼやき声が近くから聞こえ、僕はびくりと顔を上げた。
ボブカットの女の子――――上弦さんが、呆れたような顔で僕の背後を見ている。
「……しかし、あの二人。今日二回目の時空間移動だというのに、何であんな平気そうなんでしょうかね? 私ですら少し目眩がするというのに。……やはり流石と言うべきか。……もしくは、興奮状態のせいで自身の虚脱感にも無自覚なだけかも」
独り言のように呟きながら、しかし視線は動かさない。
その視線を追いかけて僕も後ろを振り返ると――――そこでつくみ先輩と辺乃先輩が戦っていた。
「うおりゃぁあ!」
「でぇえええい!」
つくみ先輩が小太刀を振りまわし、辺乃先輩が木刀でそれに応戦している。二人の刀がぶつかるたびに青白い光が飛び散り、巨大な線香花火でも焚いているような様相だった。
周囲を見渡すと、見慣れた校舎にサッカーゴールや野球部の倉庫。そしてこの周囲以外にはまったく人の気配がしない。ああ、そうか、やっぱり――
――ここは〈反位相の世界〉
あの人達、あんな体育祭の真っただ中でここにワープしてきたんだ。しかも、僕達まで巻き込んで……。
大丈夫なのか? 他の人にばれてないのか? というか、特に巻き込まれた四人は大丈夫なのか?
そんな疑問がぐるぐる巡る。しかし、それとは無関係に頭がずきずきと痛む。
胸の奥の気持ち悪さが治らない。
「……まだ、位相間移動に慣れていないんでしょう。今回はあまりにも急でしたから、心の準備もできてなかったでしょうし」
上弦さんが僕を見降ろしながら言ってきた。しかし、僕はもはや答えられない。
「……まあ、しばらく寝てることです」
そんなセリフを聞きながら、僕の意識はぷっつりと途切れた。