幸波伝奇 5
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つたない文ですがどうぞよろしくお願いします。
幸波神社、本殿。
暗がりの中にほんのりと、酒の匂いが漂った。
もう儀式殿や社務所を閉じる時間も過ぎている。
真夜中に境内の中に入る者は稀にいるが、しん、とした境内地は、どこか切り取った異界が存在しているようにも錯覚できる。
空気がぴんと、張るようなその気配の中で、本殿の中を覗こうとする者は、まずいないだろう。
いたとしても、今、本殿内にいる二つの存在を正しく見ることができるかというと、できはしまい。
「ここの宮司夫妻は変わってるなあ、まるで当たり前のように、私を接待してくれる」
かまいたちが盃をかたむけながら、ゆったりとした姿勢で古くからの友人に語り掛けた。
手の形を人間のそれに変えて、器用に盃を持っている。
目の前には小さな三方があり、そこに塩と水と、スルメの干した物がおいてあった。かまいたち用の酒の肴に宮司夫妻が用意したものだ。
「季子は私を友人と見ているからな。巫女として仕えてくれた時期もあるが、お互い、必要としたときに知り合ったし、宮司の正孝も季子の力や私の存在をきちんと理解してくれているからな」
サキナミノミコトは小さい体のまま、小さい仕様で季子が用意してくれた盃をあおっていた。
「・・・サキナミ、お前、若木はどうした?・・・あの桐原とかいう男、お前の若木じゃないのか」
「・・・・・」
沈黙は肯定を意味した。かまいたちは怪訝な表情でサキナミノミコトの様子を探る。
サキナミノミコトは欅の木の精霊から成っている。
祈りの力が薄れ、欅自体の寿命がつきそうな今、サキナミノミコトの力を受け継ぐべき次世代の若木に己の存在を託すことで、サキナミノミコトの存続は可能になる。
サキナミノミコトがサキナミノミコトとなるきっかけを作った、相模 幸実の生まれ変わりである、桐原 由岐人こそが、その若木である。
本来は24年前に、由岐人が生まれた時、そのまま同化するはずだった。
それが、直前に季子と出会い、思いとどまることになる。
季子の力は大きく、問題なくサキナミノミコトの存在は保たれることになった。
そして、6年前。また、その機会は訪れたのだが、葵と出会い、人間らしい感情を抱いてしまったばかりに、サキナミノミコトはそのまま同化を見送ることになる。
おそらく由岐人と完全に同化すると、自分自身はその中に眠り込むような形になるのだろう。
自分自身の存在は消えていき、由岐人がサキナミノミコトの力を守るような形で、生きていくような状態になる。
サキナミノミコトと幸波神社への恩を返すために神職を目指すという彼は、おそらく季子のはからいで、幸波神社に勤務するようになるだろう。
サキナミノミコトの力をその身に抱きながら、ここにいてくれるのであれば、この土地の守りは守られていくはずだ。
「あとは私の気持ち次第かな」
「気持ち、ねえ」
かまいたちは面白そうにサキナミノミコトのつぶやきに応えた。
境界人や精霊は感情の持ち方に2種類あると、かまいたちは思う。
動物に関係していたり、人間の生活に密接な存在の境界人や精霊たちは、感情がどちらかというと豊かだ。人間臭い考え方を持つ。
対して自然の奥まったところの境界人や精霊たちは、感情が読めない。
サキナミノミコトはどちらかというと、後者にあたるべきだし、本来ならば、こうして友として飲み交わすこともなかったと思う。
だが、この友人はまことに人間臭い。うっかりすると、かまいたちなどの感情の豊かな、とされる境界人、精霊たちよりも人間のようなものの捉え方をする。
形どった姿がそうさせたのか、サキナミノミコトの名を名乗らせた相模 幸実とその恋人の存在がそうさせたのか。面白い宮司夫妻の存在も拍車をかけてるのかもしれないが。
更に迷わせているのは、あの少女の存在か。
「葵、も面白い娘だな」
「幸実の恋人だったあさ、の生まれ変わりだ」
事も無げにサキナミノミコトが答え、かまいたちは呆気にとられた。少し頭の中を整理すると、やがて大きくため息をつく。
「お前も悩みがつきぬな」
色々と合点がいったかまいたちは、瓶子を取ると、サキナミノミコトの盃に酒を注いだ。
「しかし、時間はあまりあるまい」
「わかっている。答えも出ている。若木に力を後継させればよいだけのこと。しかし・・・」
「何かあるのか」
サキナミノミコトが盃の酒の水面をこらすように見つめた。なにか考え込んでいる。
「風早、おぬし、葛の葉の息子を覚えているか」
「安倍晴明か。随分と昔の事を思い出させる」
「私が欅の主として存在するきっかけを作ったのは彼だ」
「知っている。それこそ、その話を肴に、晴明とお前とで飲んだではないか」
かまいたちは懐かしそうに眼をつむった。狐と人間の間に生まれた陰陽師。境界人の良き理解者だった。もう1000年以上も昔の話だ。
「私を欅の主として覚醒させたとき、他の場所でも目覚めた木々があと4本ある」
「そうなのか?」
「それは以前晴明に聞いたんだ。ただ・・・少し気になってな。なにゆえ、晴明は我らを覚醒させたのか。今更なのだが、季子が気になると言い出したのだ」
「ほお?」
「私の欅自身はもう力がない。しかし、そうなることで、晴明の施した何かがゆがむような気がして、な」
「1000年以上も昔のことだぞ」
かまいたちは本殿裏にある欅の方角を何げなく見た。
サキナミノミコトと同じ気配が温かく感じる。しかし、それは以前こちらに来た時に感じたものより、弱弱しいものになっていた。
「季子は、時折、予見の力が出る。その季子が覚醒した木々の力にほころびが出ると、何か嫌なことが起こりそうだと感じたんだ」
「・・・気になるな」
サキナミノミコトは深く息を吐きだした。
「気になる。」
「調べるか?」
「頼めるか?」
「・・・神様の采配かもな。わかった、明日から早速とりかかろう」
かまいたちは自分が葵に出会った理由を神の采配と、そう感じていた。古きよき友の手助けをできるのは自分以上に適任者はいまい。
ということは、神の導くこの先に、その嫌なこともありうるという、だからこそ、防ぐために動けという、神の声がかかっている気がした。
「ところで、サキナミよ」
「うん?」
「先ほどから、境内の岩の前でじっとしている男が一人いるな」
「・・・ああ、あれか、あれは大丈夫だ。宮司夫妻も承知している」
今までの緊張した状態が解けるかのように、サキナミノミコトは笑うように言った。
「なんだあれは?」
「忍者だそうだよ」
「は?」
「修行中なんだそうだ。岩になる。以前不審に思った宮司が問い詰めたら、動かぬまま答えたそうだ。害はない」
色んな人間がいるものだ。忍びなど、もうしばらく見ていない。彼らも時折境界人を味方につけて動いていたものだけど。あれは本物ではあるまい。おかしな存在だ。かまいたちは呆れたようにため息をついた。途端に、疾風が起き、岩になっている男に境内の玉砂利が容赦なく打ち付ける。
「わわっ!」
男が慌てて立ち上がる。
「風早、普通の人間だ、あまりいじめてやるな」
「忍者は尊敬する人間の部類だ。あまり馬鹿にしてほしくない」
かまいたちはそう、愚痴ると、もう一杯、盃を傾けた。
忍者の話はおまけです。以前、知り合いの神社職員さんが、こんなことあった話を聞いたのを思い出して、加えました。
ほんとにあったらしいです。手裏剣の練習もしてたとか。




