3 幸波神社
懐かしい。
白い石造りの大きな鳥居がそびえたっている。
私は6年ぶりにこの場所に来た。
小学生だった私が夏祭りに遊びに来た場所だ。
ここは幸波神社。
奏史兄さんから頼まれた配達先は、ここだった。しかもかなりの量の配達だ。
兄さんに借りた電動自転車でここまで来たけれど、谷あいの町で、上り下りが多く、結構大変だった。
普通、料理屋なり、保育園のような施設なりは開店前に配達をするのだが、ここは夕方のほうがよいのだという。
見たところ、境内に料理屋があるようでもないのだけれど。神社の家の方が食べる??のだろうか。
しん、とした中に石柱の鳥居が堂々と立つ。その奥にお参りする建物があるが、その手前、参集殿と書いてある看板の二階家の建物を見ると、どうも、その二階がそういう住居のようにも見える。
一応神奈川の県内で、私的には若干都会向きの町、という感があるこの辺りなのだが、神社というこの場の雰囲気と周りの環境が、夕方という時間もあいまって、違う空間に来たような感じも受けた。
八百藤の店もある、住宅街の最寄り駅までバスで15分ほど。電動自転車で20分。
テレビで紹介されるような駅数か所を点と点とでつなげると、ちょうどそのクロスした所が小さな谷間になっている。自転車で山を越えて走り抜け、坂道を下って入ったその谷間の集落の中に突然、この石造りの大きな鳥居が現れるようになっていた。
駅から向かうその道なりには牛舎があったり、広大な緑地のある墓地や公園、畑が続いていて、え?こんな場所もあるの?と自分の住んでいた田舎の町を思い浮かべてきた。
のんびりとした郊外の神社、というところだ。
海の彼方から幸いなる波に乗って神様がやってくる、とそういう逸話のある神社、ご祭神はサキナミノミコト。
夏祭りを体験した後、まもなくやってきた夏休みの宿題で、この神社のことをスケッチブックにいろいろまとめて紹介したのを覚えている。
「お前、昔、あそこで扇もらったよなあ」
奏史兄さんも覚えていてくれた。
あの夏祭りの夜、神楽殿で踊る舞人から、私は扇を一つ投げられた。懐かしい。
今でもその扇は持っている。その夏祭りは6年に1度しかない、ということだったけれど。
今年はその夏祭りの年なのだそうだ。会えるだろうか、あの舞人さんに。
結構広い境内の片隅に自転車を停めて、私は持ってきた段ボール2つ分の野菜をどこに運ぶのかと、きょろきょろと周りを見た。わからなかったら、参集殿のインターフォンを押すように、と奏史兄さんには言われている。
と、思わず私は息を呑んだ。
背中から通り抜けた一陣の風がすうっと流れて、私の視線の先に立つ人物の衣装を美しく揺らす。
まるで、絵のような、平安絵巻のような、という言葉が私の頭の中をよぎった。
白い着物に白い袴、草履をはいた、若い神主さんが木製の四角い台を持って、風をまとうように歩いている。
男の人に見とれる、というのは初めてだと思う。それもかっこいいとか、ひとめぼれとかそういうのでなく、
ただ、そこにいるのが美しい、と。私は魅入られたようにその神主さんを見つめてしまった。
実際、その顔も美少年、というに相応しい神主さんだった。
やわらかそうなくせのある髪。ひきつけられるような印象深い目。長いまつ毛。本当に男の人、だよねと確認したくなるような華奢な体格と白い抜けるような肌。眼福ってこういう時に使うんだろうか。
いいもの見た。呆けたように段ボールを抱えたまま立ち尽くしていると、その美少年の神主がこちらに気が付いた。
「お参り、お疲れ様です。」
いや、声も澄んでいて、言うことなし!私は鳥肌が立つのを感じながら挨拶した。
「こんにちわ、八百藤です」
「八百藤・・・さん?」
にこっと綺麗に笑うその顔に、私はもうどきどきだ。すっごくきれいでかわいい!何この人!
「地鎮祭のお供え物、持ってきてくださったんですね。ありがとうございます。父・・・宮司は参集殿におりますから、どうぞ声をかけてください」
宮司??父??、ということは、ここの神社の息子さんか。で、ジチンサイ??段ボール二つ分の野菜は儀式か何かに使うものなのだと、私は一人合点した。
「まさほ君!どうした?」
参集殿に向かおうとすると、神社の息子さんの背後から、紺の作務衣を来た人が作業中なのか、手ぬぐいを肩にかけたまま、現れた。
地下足袋をはいた、威勢のよさそうな植木職人のようなお兄さん??かと思ったが、よくよく見ると、女性のようだ。
女性の職人さんかなと、思いながら、目が合ったので、思わず頭を下げた。
「あ、もしかして八百屋さん?配達にきてくれたの?」
多分私の持っている大根の絵のついた段ボールを見て、そう言ってくれた。
どうなってるんだろう、今日の出会い運はすごくいい。
美少年が出た、と思ったら、今度はすごくかっこいい女の人だ。職人姿がこんなに似合う若い女性がいるんだ。植木の修行中、とかなのかな。これはこれで、ちょっとミーハー心が沸く。
「嘉代さん、すいません、八百藤さんが来ている、と、宮司を呼んでもらえませんか?私は撤饌の最中ですので」
美少年神主さんが申し訳なさそうに、女性の職人に頭を下げると、嘉代さん、と呼ばれたその人はさわやかに笑って了承した。
「うん、わかったよ、悪いね、正歩君に撤饌させちゃって」
「うちの腕のいい神主を境内の剪定係に使う宮司が悪いんです、気にしないでください」
「うん?これは私の趣味だよ、作業してれば、着物着なくてよいし・・・と、八百藤さん、こっち、参集殿に来てくれる?あ、一つ運びますよ」
二人の会話に??という箇所もあったが、気のよさそうな嘉代さん、は段ボールを一つ運ぶのを引き受けてくれた。
「あ、そっちは重いですよ」
私も16の小娘だけど、嘉代さんは女性だ、お客様に重たいものを持たせちゃ、と慌てた。
嘉代さんが持とうとした段ボールは、パイナップルが5つ入ってる。他に人参とかキュウリも入っているけど、葉っぱ付きのパイナップルは重い。
「大丈夫だよ、このくらいは」
ひょい、と簡単に持ち上げてスタスタと歩き出す彼女は、なんだか男前だ。
「あなた、藤野さんの娘さん・・・?じゃないよね。亜実さんも妹いないし・・・」
「え?ええ」
藤野、とは奏史兄さんの苗字だ。
「藤野の従妹です。一色 葵です、よろしくお願いします。亜実さんの出産が近いので、しばらく手伝いに来ています」
「亜実さん、もうそんなんなる?もうじきなの?予定日は?楽しみだねえ」
「10月って言ってたかな」
「そっかあ、亜実さんがママかあ。私、東 嘉代。亜実さんの後輩なの。亜実さん、ここで巫女のバイトしてたんだよ、知ってる?」
亜実さんが、巫女・・・似合いそう。
うん?巫女の後輩?この人、職人じゃない・・・の?
「いや、巫女さんなのは知らなかったです。そうなんですね」
「私のことは嘉代、でいいからね。ま、じゃあ、しばらくここに来るような感じかな。よろしくね」
嘉代さんは参集殿に着くと、ガラガラと引き戸の玄関口を開けた。
入口に受付のようなカウンターがあり、固定電話が置いてある。嘉代さんはそのカウンターに段ボールを置くと、電話の受話器を取って、ボタンを押した。
「東でーす!宮司さんいます?」
受話器に向かって、内線だろうか、嘉代さんが語りかけると、何か返事が返ってきているみたいだった。
「八百藤さんが配達にきてますよ」
ガチャっと音がして、嘉代さんが受話器を置く。
「それ、こっちに持ってきてくれる?」
私の持っている段ボールを自分と同じようにカウンターに置くように促してきた。
「今、宮司さん来ると思うよ。宮司さんって、要は神社のトップね。ちなみにさっき外にいた清らかな神主少年はその息子。まだ中学生なんだけど」
中学生ですと??その割に落ち着きすぎてるし、あの清廉さ。色々びっくりする。
ていうか、この人も彼を清らか、とか評しているし、ここではそういう認識なんだな。
やがて。バタバタ、と忙しそうな音がして、黒の作務衣をまとった一人の男性が現れた。
「こんにちわ。宮司です」
目元が柔らかで、人のよさそうな顔。この神社の宮司さんだった。