26 夜神楽
いつもお寄りいただくかた、ありがとうございます。うっかり来て読んでくださる方もありがとうございます。
やっと。夏祭り終了です。
こっちは10月になっちゃいましたけど。
つたない文でございますが、感想や評価などいただけますとありがたいです。
参集殿からの出発と聞かされて、私は草履をはき、桐原さんを待った。
桐原さんが装束の裾を腕にかけながら、ゆっくりとやってくる。
まっすぐに私の方を見て、その表情はいつになく真剣で。
緊張しているんだろうか、でも、サキナミ様が中にいるんだよ、ね。
「桐原さん?緊張してます」
「・・・ガチガチだよ、あの神様、まったくとんでもないな」
『悪かったな、ひとまず、もう面をつけろ』
サキナミ様の声がする。サキナミ様が桐原さんの体を動かして、全部乗っ取ったような形になってるのか、と思ったけど、そうでもない。桐原さんは自分で自分の想いで話もするし、動きもする。ただ、舞の時はサキナミ様に委ねるようにするつもりのようだ。
意識がある中で、どう動くかわからないのに身を委ねるというのは、不安だ、と言っていた。
昼に舞った、朝日舞は以前桐原さんは少しかじったことがあったらしく、あいまいなところをサキナミ様に任せるようにしたので、なんとか、なった、と。
桐原さんは、面をつけた。白い、シンプルな目元だけ覆う仮面舞踏会のような面だ。
それでいて、冠もつけるから、なんだか不思議な妖艶さもある。
『手を・・・』
「え?な、何、やめろよ、葵ちゃんに悪いだろ!」
サキナミ様が桐原さんに私と手をつなぐように無理に動かしたようだ。
私はそのまま桐原さんの手を受け取って、そこに控える。
「あ、葵ちゃん、ごめん、変な汗かいて、緊張してるから」
桐原さんが焦ってるのがおかしい。あんなに女の人、と見れば言い寄ってる人が。
『その装束のすそも葵に持ってもらえ。お前は堂々と歩いて行ったらよいんだ』
私は右手で桐原さんの左手を持ったまま、長い装束の裾をまきあげて、私の左手に持てるようにした。桐原さんの左やや後ろに立つような形だ。
「大丈夫です?私、歩くのに邪魔になってません?」
聞きながら、私はあることに気づいて思わず、小さく吹き出した。
「どうかした?葵ちゃん」
「いえ、私、ほんとは緊張しそうで嫌だったんですけど。桐原さんと一緒にいたら、なんだか気にならなくなってしまって」
桐原さんが色々といっぱいいっぱいなのを見ていると、自分の事は棚に上げて、なんとかしようという気になってくる。不思議と神楽殿が近づいてきても、緊張する気がしない。気持ちが引き締まっていく気はするけれども。
「それに、桐原さんたら、サキナミ様に対して容赦ないですよね。対等に話してる感じしますよ」
それを言うなら、祢宜さんも結構サキナミ様に物言いをする方だけど。サキナミ様との連携がまだ日の浅いはずの桐原さんは、結構遠慮なく話をしているように思える。
「それはまあ、長い付き合い、というか・・・」
「長い付き合い?」
「や、長く一緒にいるような感じがするんだよ」
『生意気なだけだ』
サキナミ様が中から一蹴してきた。
「でも、緊張しないっていうのはないけど、俺も役得だったかな。こうして葵ちゃんに手をつないでもらえるし?」
仮面の下の口元が形よく笑みを作る。あ、少しゆとりが出てきたかな、桐原さん。
「まさか、こういう形で葵ちゃんと歩くことになるとはなあ」
『もうじき神楽殿につくぞ、少し御方様、らしくしろ』
サキナミ様の声がし、桐原さんがうぐっ、とくごもった声をあげた。
すると、桐原さんの立ち姿の雰囲気が一瞬で変わる。サキナミ様の矯正が入ったようだ。
桐原さんも決して姿勢が悪いわけではないのだが、背筋に柱がはいったようなぴん、とした立ち方だ。歩みもまた、厳かさが加わり、只者ではない感を十分に出していた。
「やりにくい・・・」
『少し、御方様に寄せろ、桐原。』
桐原さんのぼやきに、サキナミ様は厳しい。しかし、桐原さんは何か切り替えたみたいだ。
顎をくい、と引き、右手の袖をぱたり、と鳴らすようにして整え、足を一歩踏み出す。
それがサキナミ様にやらされた感がないのは、一緒にいる私にはわかる。
これは桐原さんの動きだ。
桐原さんは私の手を握る左手に力を込めてきた。
「では、参る。葵、頼む」
サキナミ様ではない、桐原さんの御方様の幕が今、始まる。
呼び捨てられて、どきり、としたが、御方様なら、私をそう呼ぶ。
私はそれに応えるように、軽く、桐原さんの左手を握り返した。
神楽殿に昇殿するために、神楽殿下の木の扉を開ける。
そのまま手を引いて、少し暗がりの中を歩くと、神楽殿からの光を受けて、床下の階段が浮かび上がる。
「足元、気を付けて」
思わず声をかけると、桐原さんは黙って頷いてくれた。階段を上ると、神楽殿の上だ。
周囲の殿下の様子がぶわっと広がる。
夕闇の中の神楽殿の光が周りに広がっている。
その光の裾に、たくさんの人たちが待ち構えている。
(うわ、今度こそ緊張するかも)
そう思ったのが伝わったのか、桐原さんの左手が強く私の手を握りしめてきた。
「大丈夫。ここで待て」
手が離れる。ここから、私は待機だ。
桐原さんの舞を見守り、また、後で随員として、桐原さんを参集殿に連れ帰る役なのだから。
舞が始まる。
一人舞。
でも、
桐原さんとサキナミ様の舞だ。
サキナミ様、力が、もうないのだろうか。
少し、それを不安に思いながら見守る。
祢宜さんから、サキナミ様は存在するのも難しいほど力を失いつつあるという話は聞いた。
扇の巫女が祈ることで、それがサキナミ様の力の一部となるという事も聞かされている。
昼間の舞は正歩君もサキナミ様も動けなかったから、仕方がなかったと思う。
でも。夜のこの舞は、サキナミ様の舞だ。
桐原さんの体を借りなければ完成できなかったのだろうか。
客間にいたサキナミ様には特に変わった様子はなかった。
昨日の喧嘩の時の雨で、力を使いすぎたりしてないかな。
確か、この舞で向こう6年のこの土地の平穏を祈ると聞いている。
夏の大祭前後で、サキナミ様の力が最大限に満たされ、この土地を守るために使われていく。
そして、祭りが終わったら、また小さいお姿でいたり、ずっとおこもりをして力を蓄えていたりするのだそうだ。
桐原さんの足が大きく広げられた。衣擦れの音がする。衣装の裾が美しくひらめく。
右手に持った扇が広げられ、掲げられた。
ああ、このシーン、覚えている。
この後、扇を下へとひらひらとさせるんだ。
扇は雨の姿を現しているから・・・。
・・・・え?
雨の、姿・・・・?
私は、舞台にいるのも忘れて、思わず、口元に手を当てた。
私は、あれを、雨の姿、と今まで知っていたかしら。
いや、知らなかった。
でも、ずっと前から、知っている。
どうして。
どうして雨の姿だと?私は知ってるのかしら。
・・・あれは祈雨の舞だもの。村を救うための、祈雨の舞。
・・・・あの人の、あの人が神にささげた、祈雨の、・・・舞。
ああ。そうだ。
私、私は・・・。
目の前が曇る。自分の気持ちが追い付かない。
涙があふれてきてしまう。
そうだ、私の大切な、あの人の舞だ。
サキナミ様と同じ顔をした、夢の中のあの人の。
桐原さんが扇を閉じて、こちらに扇を指してくる。
私の体が震えながらも、知っている、という感覚が、勝手に体を動かしていく。
両手をささげるようにして、その扇を押し頂く。
目を閉じて、扇を受け取り、再び目を開いたとき、私の中で全ての事が合致した。
そう、前の生で、扇をこうして受けて、私は大切な人の心を受け取ったんだ。
「ゆき、ざね・・・さま」
前世でそう呼んだ大切な人の名を呼ぶ。
涙が止まらない。そのまま桐原さんの顔を仰げば、桐原さんの息を呑むような口元と喉の様子がうかがえた。
「・・・あお、い?」
仮面越しの桐原さんの目が私を捉える。その姿に透けるようにサキナミ様の顔が重なる。
そのサキナミ様の顔は幸実、と記憶する男の顔そのままだが、幸実自身ではない。そして桐原さんには幸実の気配を感じる。
そうか、そうだったんだ。
そこからはまるで私じゃない動きだった。
いただいた扇を広げ、体が動くままに舞う。
それに応えるように、桐原さんも舞う。
夏の夜神楽は一人舞のはずなのに。
この二人舞は、突然起こった奇跡のようだ。
どよめく観客の反応を感じながら、私は舞を閉じながら、桐原さんの背中合わせで舞い続けた。
やがて。曲が終わる。
私は桐原さんより先に一礼して、下座に座る。
桐原さんはその私に続くように一礼した。
夜神楽が、終わった。
私は桐原さんの手をとり、先ほど来た復路を同じように戻っていく。
気持ちが高揚しているのと同時に、頭の中に生じた沢山の記憶の渦が、軽い混乱と当惑を生じさせていた。
口をつぐみ、たんたんと随員として勤めあげる。
私の様子を察してか、桐原さんも沈黙したまま、サキナミ様の声もしない。
参集殿の明かりが、あたたかいな、と思ったのは覚えている。
桐原さんの手を離し、お疲れさま、というように礼をしたかしないか。
草履を玄関で脱ごうとして、そのまま大きく視界が揺れた。
私が気を失っている間に、夏祭りは終わる。
夜神楽を最後に、祭りの散会を知らせる囃子が遠く、聞こえていたような気がした。
正月間際の神職同士のあるある会話
「あ~今年ももう暮れるね」
「もうすぐ正月だね!」
「初詣、どこいく~(笑)」
「どこいこうか~」
初詣というか、もう神社に出勤するのに、そういう会話をわざわざしたくなるその気持ち、わかります。
これがもっと忙しい年末に迫ってくると、もっと芝居がかった会話をするようになるのです




