社務日誌 5
つたない文章ですが、来てくださった方ありがとうございます。
「葵ちゃん、もう帰っちゃった?」
桐原が私服に着替え、社務所に入ってきた。
カッターにスラックス。しっかりネクタイも締めている。
ラフなスタイルを好む年配職員がいるにも関わらず、こういう所を曲げないのが桐原の好さでもあり、頑なさでもある。
残務処理をしていた嘉代はふうっと大きく息を吐きだした。
終業時刻17時。
今日は早番の紘香は30分前に早々に引き上げた。
後藤と土屋も定時上がり。
住谷にいたっては、氏子総代長から飲み会のお誘いがあり、人の好い宮司から、それは営業だから、もう行ってください、と追い出されるように出て行った。
今、社務所にいるのは嘉代だけだ。
「食事でも誘うつもり?今日は駄目よ、あの子、一応倒れたんだから。今は宮司さんとこにお話ししに行ってるわよ」
「そうなのか。いや、送っていこうかと思ったんだ。八百藤なんだろ?亜実さんに久しぶりに会えるかもしれないし」
亜実さんに、の下りを聞いて、やれやれ、と思ったものの、嘉代は高校時代からの友人である桐原に塩は送ってやることにした。
「話はすぐ終わると思うよ。待っていてあげたら?」
「そう?」
桐原は迷わず、嘉代の隣の空いてる席に座る。
「宮司さんに話って、今日の事?」
「も、あるだろうけど、多分、杜之学院の高等部に編入する話かな。あの子、推薦もらって、編入試験受けるみたいよ」
「え?そうなのか?じゃあ、高等部に行ったら会えるんだな」
桐原は現在杜之学院の大学4年生だ。今、23歳。
この近くの地元の高校出身で、その時、嘉代とは知り合った。
お互い気を遣わず付き合える関係で、良い友人同士だ。
桐原は、高2の時に病気で休学して、1年留年。そして卒業後、浪人して杜之学院に入学した。
だから同級生の嘉代が少しだけ、先輩社会人となっている。
「まだよ、これから編入試験よ、勉強も大変だと思うし、まずは受からないとね」
「それもそうか」
嘉代は手元にあった書類をまとめ、片付けにはいる。ふと、見れば、桐原が社務所の扉が開くのを待つように視線を向けている。真摯な表情だ。
嘉代の中で、今回は、という予想に確信の二文字が近づいてきた。
「ねえ、もしかして、見つかった?」
探るように、嘉代が桐原の顔を覗き込むと、桐原は困ったように笑った。
「いや、まったくもって」
「葵ちゃんじゃないの?」
「わからないよ。俺自身、6年前から、記憶に芯がないからね」
桐原 由岐人。彼は6年前不思議な事件に巻き込まれている。
高2の夏。彼は大病を患った。何か月の命、とかそんな話もあるような、病だった。
学校を休学して入院していたのだ、が。
ある時、病院から彼の姿が消える。動き回るのも大変な状態だったので、何か事件に巻き込まれて連れ去られたのでは、という話も出た。
しかし、彼は幸波神社の境内で発見される。なぜか全身をびしょぬれにさせて。
何が起きたのか。
病院に運ばれた彼は、記憶を失っていて、何もわからなかった。
時が過ぎ、彼は記憶を取り戻したが、行方不明の間の記憶はすっぽりと抜けていて、真実をしることはできなかった。
もう一つ、不思議なことがあった。発見された桐原は、患っていたはずの大病をすっきりと失くしていた。説明できない奇跡に、発見場所が神社の境内だったことから、神様が助けてくれたのだ、と周囲は噂したものだった。
ただ、それと同時に桐原は自分の中に何か欠けている物があるような気がずっとしていた。
事件の前の記憶を取り戻したとき、自分の家族や、友人の事はきちんと認識できていた。
しかし、どこか違和感がある。
自分ではない別の人間の記憶のような気がどこかでするのだ。
経験も、人間関係も記憶通り、何も変わっていないはずなのに、何かがおかしかった。
何より、自分自身が、五体満足になったはずなのに、半身がないような感覚がある。
それを満たすには、今は思い出せないけれど、消えた記憶の中にいる誰か、を見つけ出さなくては、と何故か確信をもって、桐原は考えていた。
6年前に確かにそばにいた、その誰か。
今その人が現れたら。
この手を取り、そばにいて、この不思議な違和感やもやついた気持ちを取り払う、あたたかな存在になってくれる、そんな気がしている。
桐原は今はわからないけれど、その誰かを知っていて、ずっと追い求めている、と感じていた。
その誰かを見つけなければ。早くそばに。
気持ちだけが走り出し、その存在を探そうとする。
分からなくても求めようとする、この気持ち。
渇望する存在なのだ。
きっと見つけ出してみせる。桐原は長くその思いと共にあった。
「記憶がないのはわかるし、それで探したい人がいるのも理解してるつもりよ、だからといって、手当たりしだい女の子に声をかけるのはどうなの?」
「え?だって6年前以前と変わりないでしょ?俺人当たりよかったはずだし、普通に声かけてたと思うけど?」
「・・・いや、ひどくなった」
嘉代は呆れた声で唸るように言った。
確かに桐原は話もうまく、人付き合いもよく、誰にでも優しい性格で、好かれた。それなりにもてていた、と思う。しかし、こんなに軽く女の子によりつくようになるとは思いもしなかった。
「俺、何か変った事あるか?」
「そうね、女の子の事と、信心深くなったことくらいかしら」
嘉代はまじまじと桐原の顔を見る。
この男が杜之学院を受けると言い出した時は驚いたものだ。桐原の家族総出で、幸波神社にお礼参りをし、命を救っていただいた恩返しをするために、神職になると言い出したのだ。
死にかけて、不思議な状態で神社で五体満足になって発見されれば、そういう思考になるものなのかもしれない。でも、まさかそこまで。嘉代は友人がどこまで神様と向き合ってるのか、正直図り損ねている。それは信仰心につながるのだが。
嘉代自身は社家ではないが、親族に社家がいる。自分は杜之出身でもないが、神職の学問を積む、神職になる、という感覚は一般人よりもある自負がある。
しかし、まっさらな桐原がそれを決めるというのは、余程のことだ、と嘉代は考えていた。
「信心深いかねえ」
「さあね、そもそも、桐原が探し求めてるその誰かが、神様だったりするかもしれないわよ」
「いや、それはない!・・・女の子、だったから・・・」
え?と自分で桐原は自分の脳裏に浮かんだ少女を思い返す。
「う・・・・ん?」
「桐原?」
何か記憶の糸口が一瞬見えたような気がして、桐原は頭を抱えた。
しかし、一瞬。
そのままもやの中に、それは消えていった。
「あ、ごめん、なんか、今思い出したような気がしたんだけど。また消えちゃった」
どこか頼りなげに語る桐原の肩をポンポンと叩いて、嘉代は立ち上がった。
「また、思い出せるよ。大丈夫。ほら、休憩室で葵ちゃん待とう。社務所はもう電気消すから」
「わかった」
「悪い、桐原、儀式殿の鍵しめてくれる?」
「ああ、いいよ」
気前よく答えて、儀式殿の玄関に向かった彼の背中に、嘉代が思い出したように言いかける。
「葵ちゃんさ、実は6年前に扇の巫女に選ばれた子なんだよね。6年前、八百藤でこの時期、過ごしてたみたいなんだけどさ」
「そうなのか!?」
「期待させちゃ悪いけど、可能性がないわけじゃないよね?」
嘉代の言葉に、桐原の背筋がすっと伸びたような感じだった。
「そうか、彼女、6年前にもここにいたのか」




