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幸波伝奇 1

社務日誌の中に組んでもよかったんですが、こういうサイドのタイトルも用意して保険、保険。

幸波神社の昔話です。

幸波之尊サキナミノミコト」。

その名がこの土地に定着したのはいつ頃だったのだろうか。


幸波サキナミと呼ばれるようになった、彼が自己の個体を自覚するようになったのも、

いつ頃からだったのか、わからない。


それまでは何かふわふわとした存在だった。

その姿は杜を包むようにもにあり、水の中にもあり、風の中にもあり。


この杜を守る人々が気持ちを寄せ、祈る姿に応えて。

見守る存在として「そこにいる」。それが彼の元々の在る、意味だった。


いつしか、彼の依り代となる大きな欅の木にしめ縄がしめられるようになり。

小さな祠がそこに立つ。

その時もまだ名前はなかった。

祠ができると、村の人々の祈りがそこに集まる。

祈る姿に応えて存在するようになった彼は、心地よさから、そこを住みかとした。


ある時、一人の青年が、やってきて、七日間飲まず食わずで祈り続け、絶命した。

飢饉が続き、名主の息子であった彼は、村を救うために命をささげたのだ。

壮絶な祈りの中で、祠の主自身も共に天に祈った。


やがて、雨が降る。


その青年の亡骸を見守っていた祠の主の存在が何かに震えた。

気が付けば、祠の主は、その青年の魂と一体化し、人型の姿を成すようになった。

その姿は青年の姿によく似ていた。

雨が流れると同様、その顔には一筋の涙が流れ出ていた。


村は救われた。


しばらくして、一人の娘がやってきて、青年の亡骸を抱いて泣いていた。

青年の姿をいただいた祠の主は、青年の魂を抱いたまま、

彼女の前に姿を現した。

彼女は青年の姿に幸福も感じたが、同時に人ならざるものである事も、理解した。


やがて彼女は日々彼のところで祈るようになった。


心が通い合う。

人の心を、青年の魂と娘の姿に教えられた祠の主だった。


数年後、戦があった。

杜の半分が焼け、祠も焼かれた。

娘も戦の中で命を落とした。

「どうか、この村を守ってください」

すがるように祈られたのが最後だった。


涙がこぼれた。悲しみが生まれた。

怒りも感じた。

でも、娘の祈りに応えたかった。

娘への愛おしさと村への愛情を強く感じた。


そして。

神が、力を与えてくれた。

力がみなぎる。

海の波などその土地には無縁のはずだった。

それは不思議な現象だった。

透明の不思議な風のような波が宙に沸き上がる。

村を包み込み、戦で戦いを繰り返す人々を、略奪をするものを、その波の上に浮かばせ、遠方へと飛ばしてしまう。

苦しむ村の人々を包み込み、安全な場所へと誘う。


人はその不思議な空気の流れの波を、幸いの波と呼んだ。

そこに人型を成して現れていた祠の主に名前がついた。

「幸波之尊」

サキナミと名乗る後の神社の御祭神の誕生はそこに始まる。



*****


サキナミは本殿の中で覚醒した。


まもなく夏の大祭。


力を蓄え、身を清めるために、この数日はここに籠り、瞑想を続ける。

力を整えるため、その身は今いつもの小さな姿ではない。

山内宮司の言う、「御方様」の姿である。


夏の大祭はこの土地を守り、災いを祓う力を発する。


そうして、あれからずっとここを守ってきた。

月の満ち潮が、杜の力が、この日に向けてサキナミの体を修繕していく。

祭りが終わり、しばらくすれば、また力も落ち込み、少しずつ大事に使いながら、この杜を守る。また夏祭りがくるころに、少しずつ、力が目覚めていく。


この数十年は、その繰り返しだった。


「・・・来年までは、わからぬな」


サキナミは人型をした自らの手をゆっくりと握る。欅の木が依り代である彼は、欅の木の寿命と人々の祈りの力でその存在が維持される。

そして、それが続くのはもうわずかであると、彼は悟っていた。6年後の夏祭りにはもうここにいないだろう。


「正孝もまっすぐに神に祈る性質だから、しばらくは大丈夫だろう。」


自分がいなくなっても、という言葉が言外にある。


「正歩も季子の力を受け継いでいるから、なんとかなるかな」


後は自らの引き際と。


「きれいな去り方をしたいものだ」


そう口にして、自らを納得させようとしているのだが、胸の奥、という場所なのか、苦しくて、辛い。

思い浮かぶのは、遠い昔、もうすっかり一つになってしまった魂の亡骸を抱いて泣いていた娘の顔。

そして、その娘が自分の腕の中で息絶えた姿。

愛おしいと、自らと同化した青年がそう思うからなのか、とずっと思っていたのだが。


それはサキナミの中の真実になっていた。

そして、その娘の姿が重なる者が、今、近くにいる。


「まさか、私の去り際に、生まれ変わって現れるとは」


一色 葵。

代を重ね、続けられた、サキナミへの祈りの力の主軸を担う、扇の巫女。

6年前に少女であった彼女を見つけた時、サキナミは喜びに震えた。

この土地の人間ではないと分かったときは落胆した。

しかし、また彼女はここに来たのだ。

単純に嬉しかった。無論、彼女は生まれ変わりの事実も知るまい。

と、同時に神への問いかけが始まる。

どうして、今。彼女をここに導いた?

神がされることに、無意味なことはない。理由があって事が起きる。小さなことでも、つまらぬことでも。そこに必ず理由がある。


「葵」


名を口にすれば、いつしか定着してしまった自らの人間臭さに苦笑したくなる。

だが今は、残された時間を使ってこの土地を守ることが第一。

再び、サキナミは瞑想を始めた。







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