社務日誌 4
七月七日。
七夕の日。
その日が幸波神社の夏の祭典日だ。
祭儀自体は10時からで、6年ごとに来る予定は変わらない。
宮司に衣冠装束をつけてもらったり、同じ市内の大きめの神社の宮司さんが来られたり、と色々あるが、これは流れに乗ればなんとかこなせる。
そして、一番大事な神事なのだから、本当はこれが終わったら、ここでほっとしたい、というのが神社職員の本音だろう。6年に1度だ。そう考えればなんとか乗り切れるはず、だ。
しかし、動きが大きく、忙しいのは他にある。
前日に宵宮祭がある。当日は夜の神楽が終わるまでは人の出入りは止まらない。
宵宮祭りは、明日は祭りなので、と宮司が御祭神に挨拶をする神事だが、この時から夜店や、太鼓連、囃子連で境内から近辺の道路までがにぎやかになっていくのだ。
その統括の事務所が、連絡しやすいということで、社務所に兼任されている。
町会や、氏子会、夜店の組合、とそれぞれ責任者もいて、それぞれの動きは任されているが、総括は神社の宮司になる。
その事務や事務連絡の仲介や実務を社務所の職員がしていくのだ。
祭典当日のイベント関連もしかり。夜の神楽が終わるまで気が抜けない。
権禰宜である住谷、東、そして巫女長の家田は、それぞれが眉をしかめたまま、パソコンや電話に向かって、祭典に向けての事務作業に追われていた。
「しんどい!」
東が両手で頭を抱えて、唸る。
東 嘉代は活動的な神職だ。外回りの出張祭事はもちろんだが、それ以上に境内の木々の整備に勤しむのが常だ。中での祈祷はあまりしたくないが、事務仕事はもっとしたくないのが本音だろう。
今日は午前中に囃子連の櫓を組みに行く、と呼ばれてもないのに、しれっと出ていこうとして、家田に襟首をつかまれて事務所に引き戻されてしまった経緯もあった。
「お疲れ様」
助勤の神職、後藤がにこにこしながら、社務所に入ってきた。御年76になる後藤 進。
元々ここの権禰宜だったが、一度退職して、また助勤者として、ここに勤めている。
今、ちょうど祈祷が1件終わったところだ。
祭典日前後、事務処理で荒れる社務所に関われるのは正職員だけ。助勤者は祈祷や外の出張祭典を務めることで、神社の手助けをするのだ。
「後藤さん・・・ちょっと手伝ってよ」
住谷が苦笑いしながら、呼びかける。無論、それが無理なのは承知の上で。
「ははっ。手伝いたいのは山々なんだがね。他人が入ると把握できなくなるぞ、住谷君」
気の毒に、と後藤は頼もしい後輩の肩をたたく。
住谷が担当してるのは、氏子会の事務処理だ。神輿の段取りやら、太鼓連、囃子連との連絡や、警察との交通関連の書類の処理などがある。
「後藤さん・・・今日巨人戦あるから、どっちにしても手伝ってくれないでしょ」
疲れ切った表情で東が投げやりに言う。
後藤は結構強めの巨人ファンだ。勝敗が翌日のテンションにつながるほどの。
「そうだよ。もう5時になるし、帰るよ。」
「後藤さーん」
東が演技かかった調子で社務所を出ていく後藤を追いかける身振りをする。
「俊寛やってる場合じゃないですよ、お茶入れますから、あと少し、がんばりましょう」
家田の文化的な突っ込みに、東は満足そうな笑みを浮かべて、再び席に着いた。
「しゅんかんって何?」
住谷が首をかしげた。
「平家物語ですよ。流罪になって、島に連れてかれて、一緒に流罪になった仲間は先に帰るんですけど、置いていかれた俊寛は『その船返せ~』ってすがるように見送るんです」
「家田さんって偉いね。いちいち、そんな東さんのボケを拾ってくれてるの?」
「長い付き合いですからね」
家田はお茶を取りに席を立った。
東は家田より3年先輩だ。家田が巫女のバイトに入っていたころ、東はまだ巫女のバイトをしていて、先輩として色々と指導をしてくれたものだった。それが2年ほど来なくなった、と思ったら、京都の方の神職の資格を取る学校に通っていたことがわかり、今度は女子神職として勤めるようになったのだ。
東は古典や歴史の文学を好み、家田は可愛がられたこともあって、その影響をまるっと受けた。仕事中におかしな寸劇のぼけと突っ込みをするのは常である。
例えば梅の時期に外で掃除をする。境内には梅の木が2本ほど植えてある。
「もうすぐ梅林があるぞ」
と東が言えば、
「掃除してください、行軍中じゃないです、孟徳じゃないんだから」
と家田が返す、といった具合だ。これは有名な三国志の話の中の事を暗に言い合ってるのだが、分かる人にはわかる、という所でもあり、二人のちょっとした小休止なやりとりなのだ。
「お茶、入りましたよ」
家田はお茶と共に、小さなチョコの包みを添えて、住谷と東に差し出した。
「ありがとう」
「お。サービスつきじゃない」
嬉しそうに住谷がチョコを食べ始め、東は喉が渇いていたのか、すぐにお茶を飲み干していた。
「さ、あと少し、がんばりましょう」
「そうだね」
そう言って、体を伸ばした住谷が境内の方に目をやって、おや、という顔をした。
「あれ、葵ちゃんじゃない?」
「あ、そうですね」
玉砂利の上を走る、自転車のタイヤがガチャガチャと鳴るのが聞こえる。
葵がこちらに軽く会釈をして、参集殿に向かっていくところだった。
「ああ、そうか」
住谷は片目をぽん、と片手で覆い、深いため息をついた。東が、それに続いて、同様にため息をつく。
「そうですね、忙しすぎて忘れてましたね」
「うん」
「「明日、大安だ!!」」
二人の声が重なる。
葵が自転車でこの時間に来るというのは、八百藤の配達、だ。
つまり、明日は地鎮祭のような外の祭りが何件かあるということ。
勿論、その予定は前々からそのつもりで、分かってはいた。分かってはいたから、ホワイトボードの予定表にもしっかり書いてある。
住谷も東も、失念していたのだ。
野菜だけでなく、他にも明日の準備をしておかなければ、明日、慌てることになる。
「いいです、外祭の準備は私がやっときますから。住谷さんはそっちをお願いします」
「ああ、頼む。ありがとう」
大丈夫ですか、と家田が心配そうに二人を見る。
「7月7日まであと少しだ。頑張ろう。・・・それにしても、注意しないと、このくらいで色々忘れるようじゃ、だめだな」
住谷が苦笑しながら、お茶の残りを飲み干し、再びパソコンに向かった。




