社務日誌 3
すいません、数話前から、ルビ振りたくてもうまくできなくて、今回もないです。
杜之学院は「モリノ」学院です。
時間があるときにまたチャレンジします
「あらま」
朝拝式を終え、家族の朝食を用意しかけていた季子は、思わず、声をあげた。
参集殿の二階、宮司宅の食卓のある部屋で、窓越しに、境内をのぞいてみる。
「感心だわね、葵ちゃん、ここのところ日参してるのよね」
境内の鳥居入り口付近を今から出ようとする葵の姿がそこにはあった。
「ああ、こないだ掃除中の土屋さんが会ったって言ってたな。藤野君たちが市場に行ってる時間に運動がてら来てるんだそうだ。」
「早起きなのよね、・・・と、やっぱり、サキナミ様、一緒に出掛けるみたいね」
さきほど、季子が声をあげ、境内を覗き込んだのは、ここの御祭神様の移動する気配を感じての事だった。
「え?そうなのか?」
宮司の正孝が驚いたように顔を上げる。
「多分、八百藤に帰るのだから、心配ないんじゃないかしら。今日は夕方に配達の予定もあったし、往復するから、ついていかれることにしたんじゃない?」
二階からでは、サキナミ様の姿は確認できないが、肩のあたりに何か光るような物が見える。
季子はふふっと笑うと、台所に戻り、朝食の支度を再開した。
ワカメとオクラの味噌汁に、ごはん。漬物と佃煮があれば、十分な山内家の朝食だ。
食後にではなく、食前に緑茶を飲む事を好む正孝は、まだ、ゆっくりとお茶を飲んでいる。
食卓に常備されている黒砂糖の小さな塊を取り、口に含みながら、二杯目のお茶を自ら注いだ。
「相性はいいようだな」
「そうね。そもそも、サキナミ様はこちらに合わせてくださる方でしょう?だけど、もうだいぶ力も弱ってきてるから、先々は少し心配ね。」
「どう、なんだろうな。神様、ではないからな。サキナミ様はあくまでここの守りの主だ。
神様がサキナミ様を助けてはくださらないのだろか」
「・・・今のままでは、難しいわね」
季子はふうっとため息をつく。箸を並べ、お茶碗にごはんをついで、夫に渡しながら、思案にふけった。
おそらく、この土地に住む人間が変わらなければ、神様の御守護はいただけないだろう。
悪い人間がいるから、とかそういう単純なことではない。
時代が、文化が、今の人間には祈る、信仰するという行為を難しくさせている。
神社に参拝には来るだろう。でも、どれだけの人が昔のように土地への感謝をしているか、自分ではなく共に生きる人々の為に祈ったりしているだろうか。
いないわけではない。絶対的にその数は減っていて。それはサキナミ様の力を弱めていることにつながっているのだ。
「あ、季子、今日午後に片岡先輩がくる」
ごちそうさま、と正孝は食器をカウンターへと運びながら、季子に声をかけた。
「杜之学院で一緒だった?」
杜之学院は正孝の出身大学だ。季子の記憶では片岡先輩、というのは確かどこかの大社の次男だった。季子がここに嫁いできた当初、何度か助勤でこちらに来てくれたことがある。
杜之学院とは、神社の神職の資格の取れる神道学科がある大学だ。社家、つまり神社に出生した家の子弟が通ってくる学校である。勿論、一般の家からの入学者もいるし、神道学科以外にも、文学科、哲学科、心理学科という学科もある文系よりの大学だ。
「うん。今は茨城か栃木の方で確か教員をしてるんだ。今日ここの近くに用事があるから、帰りに寄るってさ。」
「教員の資格、持ってたの?」
「もともと、次男で後継者でもないからな、うちの手伝い来てくれてた時も、塾講師と兼任だっただろ?」
そういえばそうだった。季子は思い出した。確か駅前の進学塾の・・・。
「そうか、残念ね」
「?」
「今頃、もし塾講師続けてくれてたら、正歩、お願いしたのにね」
「ああ、そういうことか・・・でも、もしそうだったとしても」
「正歩は行かないかな」
そう答えて、季子と正孝はくすくす、と笑いあった。
二人の息子、後継者候補である長男の正歩は成績が不振というわけでもない。親として受験生ならばそれなりのバックアップを、という思いがある。塾はその簡単な手段の一つだ。
ただ、正歩は自分のペースで、独自に生み出した学習方法を好む傾向があり、塾のような形式は好かないだろうな、というのが夫婦共通の見解でもあった。
「違うの、学力の問題でなくて、杜之学院のよさを伝えられる先生がいたらよかったなあ、と思って」
「わかってるよ、それはそうなんだがなあ」
杜之学院は高等部もある。もし、正歩がここを志願して、合格すれば、そのままストレートで大学部まで進み、神社の後継を選んだ、という事がほぼ決定することになる。
そうなれば、宮司夫妻はかなり早いうちから安心できる、ということになるだろう。
絶対に神社を後継しなければならない、という事ではない。
宮司夫妻はあくまで息子の意志を尊重するつもりではいる。
後継してもらったら嬉しい。しかし、駄目ならば、また考える、正孝は自分の経験から、正歩には可能性を広げてやりたい、と考えている。
それは妻の季子も同じだ。
ただ、周囲から見ても、そうなるだろう、という見方が強まる中で、正歩はあまりまっすぐに杜之学院への進路を考えられずにいるのだった。
大学からの進学でもよい、という思いや、学院自体への最終的な進路を一切考えずに進んでも、という考えが彼の選択肢の中にあるのを、正歩の両親はよく察していた。
正歩自身が神社の後継を嫌がっている、というわけではないのだ。他の選択肢もほしい、と。
そう考える中で、どう道筋を立てるか、本人が迷っているらしいのを、両親は知っていた。
「この年で将来が決められてるって、珍しい方だよ。」
二人の会話に割って入るように、正歩が登場した。
くだんの息子は制服に着替えており、食卓につくや、早速手を合わせて朝食を食べ始める。
朝から、境内の掃除をし、白衣姿で朝拝にもしっかり参加して。そうして、今、ここにある。
袴の貴公子、と近所でも評判のこの美少年は、神社の子息という今の立場を嫌ってはいない。
神様も好きだし、神事の手伝いも好んでする。
それでも責任だの、周囲の期待に呑まれて、遠回りや、道を避けたい思いになってしまうのだ。
「でも、一応、コレ。夏休み中に三者面談あるから」
そう言って、正歩は二枚の紙を二人の前に差し出した。
一枚は三者面談の日時希望の申込書。
もう一枚は、進路希望の紙。
進路希望の紙には第三希望までの高校名が正歩によって書かれている。
第一希望に県立高校。
第二希望に杜之学院高等部。
「成績によって、また変わると思うんだけど、現況はそれで。杜之はまだ行きたいかどうかわかんないんだ、ごめん」
ごめん、って言うなよ、と正孝は眉を寄せたが、第一希望の高校名を確認して、半目で息子を見つめた。
「お前…私の時より、レベルがずっと上の高校選んでるじゃないか。杜之よりも高い偏差値じゃないのか」
「そうだね・・・ちょっとお父さんより、頭はよかったみたい」
きれいな顔で、思いっきりの作り笑顔がさく裂する。
ええ、と悲しそうな目で正孝は首をうなだれた。
それを確認して、すっきりしたかのように、正歩はくすり、と笑った。
「っていうのは冗談で。どうせ杜之学院と比較されるなら、それより上を狙って行かないと周りも納得しないでしょ。俺は社家の子なんだから」
残念ながらそういうことになる。
神社後継は山内家だけが見守るわけではない。
地域の神社や大社との付き合いがある、氏子区域の付き合いもある。
当然、神社の子は神社を継ぐ、という固定観念で見られてしまうのだ。
そのなかで、正歩が好きな進路を公然と示すには、上を目指すやり方をしていくのが一番の良策となる。
「でも、俺、神社好きだよ」
よそ行きの時は、自然と「私」を使う少年の、気取らない「俺」口調での言葉に、彼の両親は破顔して、頷いた。
「わかってるよ、正歩」




