12,来訪
初めて神社でのバイトをさせてもらってから、5日経った。
あれから、二度、神社への野菜の配達があり、その時に半日雑用や掃除をさせてもらったりした。それ以外の神社に行く用のない日も、八百藤の仕事の始まる前に、なんとなく、日参している。
今週末は土日とも神社のバイトを予定していた。
まだぎこちないけど、環境や人に、慣れてはきている。
慣れた、といえば、サキナミ様とはだいぶ親しくなった。
サキナミ様の傍らは、なんだか落ち着く。気が楽で、居心地がいいのだ。神様だから居心地よくて当たり前か。だからか、何故か日参を続けてしまっているのだ。今日もこうして朝から来てしまった。
「葵、来たか」
「はい」
本殿に行くと、いつも小さい姿のサキナミ様が迎えてくれる。
そうして、いつもとりとめのない話をする。サキナミ様が尋ねてくるので、大体は私の実家の事や、学校の事を主に私が話すような感じになる。
正直、嬉しい。奏史兄さん達には、一応親族だから、実家の事を愚痴りまくれないし、かといって、学校のことなどもやたらに人に話しても面白いものでもない。
だけど、話しても害のないところで、聞いていくれる受け皿があるのはありがたかった。
話すことで、自分の思いを整頓したり、反省したりもできる。
おかげで、サキナミ様に話を聞いてもらった後はスッキリして、ものすごく前向きになるのだ。
「あのなあ、葵、今日は配達、他にあるのか?」
ふと、話の途中でサキナミ様が思案気に聞いてきた。
「今日ですか?今日は夕方、またここに配達に来ますよ。あとはありません」
「…夕方来るのに、朝わざわざ足を運んでくれたのか。ありがとうな。」
「いえ、その私が来たいので」
つい本音を言いかけると、サキナミ様は目を丸くして、私をじっと見つめてきたが、やがて、コロコロと笑い、嬉しそうに私の肩に乗った。
「葵はいいのう…好かれるだろう、みんなに」
「え?」
「好かれる性質だよ、お前さんは」
「はあ」
「だからかなあ…今日は八百藤にお客さんがくるぞ。お前の」
「私の?」
「昼前くらいかな、多分。お前さんに向かってくる面白い気配の流れがある」
「え?まさか親じゃないですよね」
「違う」
思いがけないことを言われて、私は若干動揺した。誰だろう。そもそもスマホを持ってこなかった段階で、友達とも連絡をとれなかったから、見当がつかない。
「私も今日は八百藤行ってしまおうか、亜実にも会いたいし」
「え?うちに来るんですか?ダメでしょ、御祭神様なんだから」
「駄目じゃないよ。八百藤も私の氏神地域だもの。もう今日は帰るんだろう?一緒に行こう!
で、夕方の配達便で私もまた連れてくればいい」
「御祭神様を配達しろ、と?」
「いいじゃない、時代も進んでいるわけだし」
ふーん、お客さんも気になるけど、サキナミ様を家に連れ帰っても大丈夫かしら。亜実さんは見えるだろうけど、奏史兄さんはごまかせるかな。とはいえ、もう当たり前のように、私の肩に乗って、袴の皺を整えている様子を見ていると、だめとも言えないし、そもそも神様の言う事なんだから、という言い訳も聞こえてくる。私は説得をあきらめて、八百藤に帰ることにした。サキナミ様を連れて。
八百藤に帰ると、亜実さんどころか、奏史兄さんまで慌ててくれた。
奏史兄さんも実は見える人、だったのだ。
正式に言うと、サキナミ様に見えるようにさせられたらしい。
もともと、八百藤では、毎月二度ほど、旬の野菜を幸波神社にお供えしていたそうだ。
そこで、サキナミ様が好き嫌い・・・、もとい、好きな野菜を所望されるようになり、直接交渉するために、奏史兄さんの前に出るようになってしまったようだ。
しかし、奏史兄さんは、かしこまる様子もなく、私の肩に乗っていたサキナミ様をつまみ上げると、ぽい、と投げるように店の奥にある神棚の社にうつした。
「仕事中だから、そこにいてくださいよ、さっちゃん」
さ、さっちゃん!??
「しょうがないだろ、こんな店の中でサキナミ様、サキナミ様と連呼できるわけでもないし。さっちゃんにしとけば、聞かれてもごまかせるじゃないか」
「私、奏史のそういうところ、嫌いじゃない」
別に気分を害した様子もなく、サキナミ様はにこにこと社の前で笑ってる。
「葵も亜実もさっちゃん、て呼んで」
小さい体でこてん、と首をかしげてお願いされれば、なんだか私も亜実さんも、まあいいか、という気分になってしまった。
「それで、多分、もうしばらくしたら、葵に客が来る。大事な話があるから、ちょっと仕事外してやってくれ」
亜実さんにお供えしてもらった和菓子をひとかけら千切って、口に入れながら、サキナミ様は言う。
「お客さん、ですね。わかりました」
「ちなみに亜実、今日はかぼちゃの煮つけが欲しいばあさんが来るぞ。作ってないなら今から作っておきなよ。午後には来るから」
「え、そうなんですか?ありがとうございます」
さすが、御祭神様。八百藤のお客さん予想までしてくれるなんて。
それにしても、私のお客はいったい誰なのか。私はモヤモヤしながら、店の掃除を始めて、開店準備に入った。
******
「葵、お待ちかねの客だ」
サキナミ様の声に店頭を見る。11時。お昼時の第一陣のお客様の群れの中に、その人はいた。
「!・・・せ、先生!?」
「久しぶりだね、一色さん」
オールバックにした白髪混じりの髪に手をやりながら、ゆっくりと微笑む。
あれあれ?今日は平日だよな、学校どうしたの?脳内で場違いな問いかけをしてしまう。それを聞いてる場合でもないのに、かなり慌ててしまった。
退学した高校の担任であり、日本史担当の片岡先生がそこに立っていた。
「どうして、ここに!?」
「元気そうじゃないか、驚いたな、ここで働いているのかい?」
「・・・え、ええまあ。あの、先生、私に会いに来たの?」
「長らく欠席している生徒の見舞いに来たんだよ。夏休み前に、課題も届けなければならないと思ってね」
「え?」
先生は目の前に覚えのある一枚の紙きれを差し出した。
「これ、まだ提出してないから。まだ君は私の生徒だよ」
「はい!??」
退学届けだ。私が何もかもおさらば、と書き上げた、あの退学届けだ。
ここじゃなんだから、と奏史兄さんが近くにある小さな公園に行くように勧めてきた。
私は、なんだか色んな意味の汗をかきながら、先生とそこに向かうことにした。
「どう?少し落ち着いた?」
公園につき、私は渡された退学届けを何度も見ながら、ぼんやりと、ベンチに座りこんだ。
先生はそんな私に園内にある自販機で買ったコーラを渡してきた。
冷たい。
すごく気持ちがいい。
「今日ここに来ることと、退学してないこと、あなたのご両親には話してきたから」
「どう、して」
そこまでしてくれるんだろう。義務教育でもない、しかも数か月の付き合いの生徒だ。
手放ししたって文句もない。
先生は、退学を決めた時、一旦引き留めてくれた。でも決めたならしょうがないね、と一応その場は受け取ってくれたのだ。しかし、その退学届けは預かるのみで、提出していないという。
「私にも覚えがあるからねえ。あなたが従兄さんの家に世話になる、と聞いてたから、家にいたくないってのは分かったし」
「はあ」
「それに、結構あなた、せっかちだよね。決めたはいいけど後で後悔したりしないかな、と。ちゃんと退学するにしても、きちんと考えてからの方がいいかと思ってさ」
親だって、こっちに来たりしないのに。こんなに心かけてもらっていいんだろうか。
なんだか胸いっぱいで、目の奥が熱くなる。
「で、ほんとに退学するのかな?退学しなくてもいいんじゃないの?こっちで生活できてるんなら、こっちの高校に通うとか、そう、編入とかありだと思うんだけど」
先生は私の答えをもうほぼ導き出している。わかってるんだ。帰らないことも、勉強を続けたいことも。
「・・・退学してないなら、2年からの編入ができますか?」
私が尋ねると、片岡先生はにいっと笑った。笑い皺がこの先生の徳を示しているみたい。
「・・・ふーん、いいね、その気があるんだね。ただし、あなたが休んでいた分の課題の提出、それから五教科だけテストを受けないといけないよ。できる?」
「テストはそっちに帰って受けないとダメ、ですよね?」
「そうだね。まあそれは課題提出の後になるけど。・・・そのころにはもう少し気持ちも落ち着いて、親と少し話もできるんじゃない?」
先生が担任ですごく恵まれている。私は痛感した。
「もし編入するなら、それなりに親に話しないとダメなんだし。いい機会だと思うよ」
その通りだ。いずれ、実家には話し合いにいかないと、未成年の私はどうにもならないのだ。
「大丈夫、一色さんの親なんだから」
「え?」
思わず返す言葉を失っていると、片岡先生はがしがし、と私の頭をなでた。
「あなたの父親はなかなかだなあ。あれはかなり大変だと思う。」
「なっ・・・」
やだ、お父さんたら、先生が話に行ったときに、いらんこと言ったりしてないよね。
「心配するな、教師歴30年。いろんな生徒と親がいたから、あれくらいはなんともない」
そのあれくらいが気になるんですけど!
「あなたの親父さんはなあ、自分の枠がすごく狭い。こうじゃなきゃ、が強すぎて、それを超える自分の予想外の事は許せない・・・のではなくて・・・怖いんだよ」
「怖い?」
「そう、一色さんが自分の決めていた高校以外に入ったのも怖いし、退学したのも怖い」
「許せないのではなくて、怖いんですか?」
私は耳を疑って確認するように尋ねた。あんなに怒気のはらんだ声で私のすることを否定したりしてきたことが、怖くてしていたことだなんて。そんなの信じられない。
「そうだよ。信じられないだろう。あなたはそのお父さんが怖かったんだろうから。でも私にくってかかってきた、あのお父さんは、私から見たら、しっぽを巻いた負け犬がキャンキャンおびえているようにしか見えなかったよ」
「ちょ・・・くってかかってきたって・・・」
背中に嫌な汗が流れる。
「なんだっけなあ、そうそう。二流三流の高校教員が何しに来た、とお前がちゃんと教育しないからとか、なんとか・・・ははっ。」
言ってることはもう冷や汗ものなんだけど、片岡先生は楽しそうに笑いながら語る。
「うわああ、すいません」
「まあお父さんからしたら、退学したはずの高校の教員がする仕事の範囲がもっと狭いもんだったんだろうな。私からしたら、生徒を支援する当たり前のことをしようとしただけなんだけど。でもお父さんは、理解範囲外の事に、怖くていきがって、食って掛かってきたんだと思うね」
「なるほど」
「それに気が付いちゃったら、あなたから少し聞いていた家の状況とかもね、全部理解できて。それを一色さんが理解出来たら、もう少し収まるかな、と思ったんだよ」
「・・・なんか、いろいろすいません」
私はただただ、頭を下げるしかない。いや、でもなんか目から鱗、という感じだ。
あの父親が、負け犬のようだった、なんて。でもそれで当てはめていくと、いままでのひどい言葉やいいがかりに合点がいくし、傷ついたけど、そんなに大した傷ではないのだと、急に救われた感じがした。
「それに、怖がってた云々差し置いても、今の今まで、一色 葵を育ててくれたのは、あのご両親だろう?栄養失調になるでなし、勉強も十分うけさせてもらって。一色さんが一人で育ってきたわけではないのだから」
それはわかる、それはわかってるけど。
今更、ほんとに今更、そこにありがたさがあることを思い出した。
わかってたのに。そのことを、どこかに置いてきてたんだ。
「大丈夫。立派に課題終わらせて、テスト受けにおいで。そして、ちゃんと両親と話をしてごらん。」
片岡先生の目は少しグレーがかった綺麗な瞳だ。その目が優しく私をなだめるように見つめていた。
「悪いようにはならないよ、大丈夫。」
最後の大丈夫を聞いたとき、私の中の何かが崩れ落ちた。
「え・・・」
ぼろぼろと大粒の涙がこぼれていく。悲しいとか、嬉しいとかそういうのが今はないのに。
・・・いや、嬉しい?のかな。ほっとした・・・のか。
私はそのまま声をあげて泣いてしまった。片岡先生がそっと背中をなでてくれた。
私は決めた。高校に入りなおす。
そして、たった今、なりたいものが出来たことにも気が付いた。
先生からもらったコーラの冷たいしずくが、指先で心地よく濡れた。




