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彼の眼にもう私は映らない  作者: 大島徹也
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失望されるのがこわかった。

本当に心から彼を応援したいと願った時、隣に自分がいれなくても良いとさえ思った。

大学三年生の六月頃私が働くイタリア料理店に、新人アルバイトとして入ってきた彼と出会う。



アルバイトのリーダーを任せられていた私は彼の教育係になる。


口数こそ少ないものの、コミュニケーションが取りにくいような雰囲気ではなく、与えられた仕事は熱心に取り組む真面目な男の子。というのが彼の最初の印象だった。


彼は美大に通う大学一年生だった。


彼はいつもアルバイトが始まる三十分以上前に店に来ていて、店にあるりんごやグラス、それから花瓶なんかのデッサンをしていた。


「今はまだ下手くそなんで絶対見ないでください。」

彼のスケッチブックを覗こうとすると、書いていたページを体で隠してしまう。


週に三回、少しずつだけれど彼と話をしていくうちに、私は彼と共有する時間を好きになっていった。


「僕が将来画家になったら、この店の為に一枚絵を書いてあげるんです。」

彼の夢は画家になることだと言った。店を閉めてから駅までの帰り道、よく二人で喋りながら歩いた。


「じゃあそろそろ君の絵を私は見てみたいんだけど。まだ駄目なの?」

彼は男性にしてはまつげが長く、目は私よりも大きくて綺麗だ。いつもじっくり見てしまう。


「まだ他人に見せれるレベルじゃないので駄目ですよ。」

一瞬だけ彼と私の視線が交錯して、すぐに彼は目をそらしてしまう。



しばらくたって、いつもの帰り道いつもと違う雰囲気だった日がある。

いつも視線こそ合わないものの、私の問いかけにはしっかり応えてくれるのに、その日はまともに私の話を聞いていないようだった。

だから私はちょっと不機嫌になっていたかもしれない。


「僕と一緒にレストランに食事に行きませんか?」

伏し目がちで自信のなさそうな声で唐突に彼が切り出す。


あまりに真っ直ぐ誘われて私は驚いてしまった。

私と関係が薄い人ほど回りくどく軽薄な感じで食事に誘ってくる、勿論断るんだけど。


彼の心は綺麗で純粋で、気持ちを伝えるのがどこか不器用なところが愛らしかった。


上手く話せなくなった彼のかわりに私が日時と場所を決めてあげた。

久しぶりのデートだ。いや、デートのようなものだ。




その日横浜駅西口で昼に待ち合わせすることになっていたんだけど、少しメイクに気合いを入れすぎてしまって私は遅刻してしまった。


駅に着いてから走って西口の改札をぬけると、いつもと違った服装の彼を見つける。


黒いジャケットが似合っていて、素直に格好いいなと思った。だっていつも同じようなシャツを着て袖口は絵の具で汚れているんだもの。


私が遅れてごめんねと謝ると、彼は全く気にしなくて良いと言ってくれた。

そんなことより早くいきましょうと、私より先に歩き出したのに、その歩くスピードは凄くゆっくりとしていて、私は何も言えなくなった。

 

駅地下にある若者の間で評判のミルクティー専門店に連れて行ってくれた。今日は彼がエスコートしてくれるみたいだ。


来たことはあるのか聞くと彼は初めてなんですと答えた。

彼なりに今日私が楽しめるようにリサーチしていてくれたらしい。その気遣いは分かり易くて、私の機嫌は自然と良くなる。


その後電車で関内や桜木町に移動して、雑貨屋巡りをした。

「僕の部屋はほんと殺風景なんで、お洒落なポスターを壁に貼りたいんですがね。」

真面目な顔でそう話しながら、これは良いなとドラッグがテーマになっている映画のポスターを眺めていたので、違うのにしておいたら?と言って、私の好きなミュージカル映画のポスターを買わせた。


最後に行った雑貨屋さんで、可愛い猫のイラストが書いてあるマグカップを見つけたので、彼へのプレゼント用にこっそり買っておいた。


「少し歩き疲れたんで、ディナーの予約の時間まで山下公園で休憩しませんか?」

店を出る時彼は私の足もとをチラチラと見ていた。

私は履き慣れないパンプスのせいで足が痛くなっていたから、多分気を遣ってくれたんだろう。



公園に着くと二人でベンチに座った。

ようやくスケッチブックを見せてくれる気になったみたいで、私の気持ちも高揚していた。

最初のページに鉛筆で描かれた風景画があり、それはとても繊細なタッチで、私は彼の描く絵に凄く魅力を感じた。


「僕はあっちに自動販売機があったので珈琲買ってきます。」

彼は恥ずかしがって離れていってしまった。



私は専門的な知識は殆どなかったけれど、彼の描く絵に魅力があることはわかる。

他人はそれを才能と呼んだりするかもしれない。

ただ、ここまでの画力を身につける為に彼がやってきた頑張りの一部を私は知っているから、そんな言葉で評価されてほしくはない。


何か結果を出した人の裏側にあるものを想像できる人でありたい。

その絵の魅力は、いつも絵の具で汚れている袖やアルバイト前のデッサンから構成されているんだろうか。


一通り見終わってそんなことを考えていると彼が缶珈琲を持ってこちらに歩いてくる。


「良かったらどうぞ。」

ブラックの缶珈琲を渡してくれた。


とても良かったと感想を伝えている時、彼の後ろに見える夕日に自然と目を細めてしまう。


私には彼が眩しく見えた。



ディナーを予約してくれていた店はとても料理の美味しいイタリア料理店だった。


食事をするとき彼の育ちの良さを感じた。

それはグラスの持ち方一つとっても、私が今まで出会ってきた男性とは違って品があった。


結構長い時間いろんな話をした。

でもそれはあっという間の出来事で、店を出る時に少し寂しくなる。もっとこの時間が続けばいいと思った。

料理を食べ終わってマグカップをプレゼントした時彼は、ほんとに猫が好きなんですねと笑っていた。


「一日つき合ってくれてありがとうございました。楽しかったです。」

笑顔で話す彼に、駅の改札で見送ってもらった。


それが彼と私の最初のデートで、最後のデートのようなものだった。



特別仲が悪くなったわけではないんだけど、彼はアルバイトの回数を減らさせてほしいと言って、より絵と向き合う時間を長くするようになった。


冬を迎える頃、彼はアルバイトに週一回くれば良いほうだった。それくらい彼と顔を合わす機会が少なくなっていた。


「僕は画家になれるなんて思ってないんです。とても厳しい世界だから。でもなれる可能性が上がることはなんだってしようと考えています。」

12月にアルバイト先で彼と会った時そう言っていた。

真っ直ぐ私の目をみて話す彼から、目をそらしてしまうのは私のほうだった。


私の卒業が間近に迫っていた頃に、彼をアルバイト先の近くの喫茶店に誘った。

「もう私はアルバイトを辞めてしまうし、これからはなかなか会えなくってしまうわね、それは少し寂しいな。」


彼も寂しいですねと言ってくれたし、私から得るものも多かったと言ってくれた。画家になることに真剣に向き合うきっかけをくれたのが私だと彼は言う。

もっと一緒にいたいと言ってほしかった。




私は彼を、彼の夢をもう少し傍で見ていていたいと思っていたけど、それは彼の背中を押すこととは逆の背中にしがみ付くことだった。

それだけは絶対にしたくなかった。



私は大学を卒業して小学校の教師になった。

仕事は人間関係に恵まれて楽しくて順調だった。


彼とは時々連絡をとっていたけど、いつしか疎遠になっていった。


数年後、とある美術館に生徒を連れて行った時に、新鋭画家のコーナーに飾ってある絵の一つに目が向く。


木製の椅子に座ってメモ帳を片手に持ち、何か考えている女性の絵だった。






黒歴史になりました。

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