5話「食後の運動」
心因的負荷を運動で解消すれば、身体も鍛えられて一石二鳥。
父親の教えは、こうして嫁ぎ先でも守っている。
「なんで毒に気付いちゃうかなぁ!」
それをぶつけるが如く、セリナは光る剣を振り下ろす。しかし執事のジェイドはアッサリと躱してしまった。
「弁明までに言わせていただきますと、あの毒は私が特別に精製したものです。品質は姫様にも確認していただいた通り、最高級品だったと自負しております」
「え、あんたが作ったものだったの?」
「左様でございます。姫様のご要望通りの品を探すよりも、作ってしまう方がラクで早いと判断いたしました」
ここは王城のはずれだった。比較的近い場所に礼拝堂と時計塔もあるが、それよりも近い位置にあるのは馬小屋だ。一日一回神に捧げられる歌よりも、嘶きの方がよく聞こえる。手入れの行き届いた草花も少なく、使用人の中でも位の低い者しか来ないような、庭ともいえない場所。ジェイドを追い詰めた木のすぐ後ろには、城壁までもそびえ立っている。
時刻は九時頃。そんな城の隅っこで、セリナは魔法の剣を振り回していた。決して遊びではない。真面目な訓練。セリナの一撃で木の葉が何枚も落ちてきて、幹にも深い傷跡を残す。そんな本気の攻撃。
だけど、当たらない。ジェイドは悠々と避けながら、しかも涼しい顔で話を続ける。
「そもそも、姫様の仕込み方が甘かったのではありませんか? 塗りすぎてバレたとか。超微量で致死量の効果があると説明したはずですが」
それはセリナも覚えている。味覚の確認とばかりに舐めてみたら、即座に解毒薬を飲まされ、あまりの不味さに嘔吐したのは、記憶に新しい。
その嫌な記憶を思い出した時、セリナはふわっとした脱力感を覚えた。
「あ、もうダメ」
そこで、セリナの手の中にあった光の剣が消えた。疲れ果てたセリナもその場に座り込む。
そんなセリナを見下ろしたジェイドが「ふむ」と顎に手を当てた。
「起動時間がいつもより短いですね。あの日ですか?」
「どうしていつもそれにしたがるかな⁉」
「なら、婉曲に『今日は虫けらよりも脆弱ですね』と申し上げた方が宜しいですか?」
「どいつもこいつも……」
昨晩は襲撃をアッサリとロックに躱され。今朝の毒も看破され。今日もジェイドに一太刀浴びせられないどころか馬鹿にされ。
「その程度じゃ、あの異名も形無しですね」
「それは……」
勇者カルサスの娘。
魔王が討伐され、魔王の配下であった魔族は北方山脈以外でのみ居住を許さることになった。稀に麓に下りてきてしまう魔族がいるものの、おかげで世界は平和になり、今のところ戦後二十三年、大きな争いは起きていない。
それでも、やはり勇者の子孫への期待は大きかった。元からカルミアは女性の活躍も目覚ましい国。また争いが起きたとしても、勇者の子孫である娘が世界を救ってくれるだろうと。
セリナもその期待に応えるべく、幼い頃から鍛錬を重ね、今に至るのだが。
――この国に来てから、まるで良い所がないわねね……。
これでも、祖国カルミアにいた頃ははぐれ魔族の討伐に一役買ったり、盗賊を返り討ちにしたりと、それなりに活躍していたのだが。
「別にあんな異名なくても……」
セリナは言葉の途中で、顔を上げた。
すると、目が合う。木の上で気配を消して、こちらを窺っている黒装束の男と。
セリナはとっさに身構え、叫んだ。
「【氷の槍】っ‼」
セリナの手の中に、言葉の通りの氷の槍が現れる。即座にそれを投げれば、彼女の想うままに突き進み――刺客は直前までいた枝に当たると、その冷気は一瞬で木全体へと霜を広がらせる。
そして、寸前で枝から飛び降りた刺客は剣を構え、まっすぐに向かってくる。鋭い突きが眼前に迫った時、セリナはニヤリと笑った。
「【烈光の剣】っ‼」
再び、その手の中に生み出した光で、迫る切っ先を薙ぎ払う。刺客とすれ違うように身を捻らせた時に膝を上げれば、相手のみぞおちに食い込んだ。小さく呻き、膝を付いたその一瞬で、セリナはその背を踏み抜く。
「ざっとこんなもんよ! 勇者カルサスの娘を舐めないでちょうだい!」
どうだ、と顔を上げたセリナがジェイドを見やる。すると、執事は「やれやれ」と首を振った。
「ご自慢したいのなら、最初の一撃で仕留めていただけませんか? どこを褒めればいいのか、まるでわかりません」
「嘘おっしゃい。そもそもあんた、こいつの存在に気がついてなかったでしょうが!」
「まぁ、それで姫様の機嫌が良くなるのなら、そういうことにしておきましょう」
「ちょっと! それはどういう――」
嫌味な執事に文句をつける時が、気の緩み。踏みつけていた足にチクリとした痛みが走る。とっさに足を退けた瞬間、刺客は脱兎の如く逃げ去ってしまった。
「こら、待ちなさい!」
セリナは慌てて追おうとするも、ジェイドに腕を引かれる。
「あの程度なら、あとでいくらでも撃退できます。先に貴女様の治療が先です」
しゃがんだジェイドは、自身の膝の上にセリナの足を乗せた。ブーツを脱がしてもらえば、タイツを履いたセリナの足には、薄っすらと血が滲んでいた。
「特に毒は仕込まれてなかったようですね。かすり傷みたいなものです。ブーツ越しに後ろ手で刺されただけなので、すぐに治癒出来るでしょう。今手配しますか?」
「そうね。明日に影響が出たら嫌だし、早めに……」
パチパチパチ。
その音のせいで、セリナは指示を最後まで出すことができなかった。
顔を向ければ――一番会いたくない男が、そこにいたからである。
「さすが華麗な俺の婚約者! やっぱりセリナの魔法は派手でいいよな。ロマンだねぇ」
「……そりゃどーも」
ロック=サンビタリア王子の賛辞に、セリナはジト目を返す。するとジェイドの深い溜息が聞こえた。
「ロック王子も、姫様を甘やかさないで下さいませ。どこが華麗なんですか。親の七光りを豪語するなんて、恥ずかしいやら、情けないやら……」
「なっ‼」
思わず赤面して言葉を失くすセリナをよそに、ロックは「確かに」と頷く。
「俺個人としては、やっぱり【ドラりん】の方が好きなんだけど……」
「【竜殺しの姫】――略して【ドラりん】。私もこちらを推したい……と申しますか、姫様の持つ異名は【ドラりん】しかありませんよね? 『勇者カルサスの娘』はただの生まれ持った事実なだけですし。誇るべきは生まれではなく【ドラりん】です。ドラゴンを倒した経歴を持つ姫だということを【ドラりん】の一言で示しているわけですから。【ドラりん】こそ、簡潔で素晴らしい異名です」
「そうだよなぁ。【ドラりん】の二つ名はセリナにピッタリだよなぁ。正直【ドラりん】の方が女の子らしくて可愛い――」
ドラゴンとは、人間とも魔族とも異なる種族である。魔族に匹敵する魔力を持つものの、基本的にはそれぞれに無干渉を貫く、この世界の第三勢力。そんな強大な存在に対抗した実績は当然凄いことではあるものの、そんな異名もついたらセリナにとって思い出したくない過去である。
「ドラりんドラりんドラりんドラりん、あんたたちは何回言ったら気が済むのよ⁉」
セリナの大きな非難の声に、ロックは笑い。ジェイドは嘆息し。
――ジェイドは今更だし!
セリナは憤りの相手を、まだ付き合いの少ない婚約者に定める。
「もう嫌い! あんたなんか嫌い! 大っ嫌い!」
スカートの裾から隠していたナイフを取り出し、一突き。流れるような動きに、ロックも一瞬目を見開いたものの、その切っ先は彼が取り出した刃物に防がれてしまった。それどころか、そのナイフ――というより、包丁のような曲線を描く短刀は、セリナのナイフを呆気なく斬り裂く。折られた刃先が、草むらの上にポスンと落ちた。
「はぁ?」
それでも、ロックはニマニマと嬉しそうに笑うのみ。
「そうかそうか。でも俺はおまえのこと大好きだから。ちゃんと溺愛するから安心してくれていいぜ」
「いやそんなことより、そのナイフ何なのよ? 切れ味良すぎでしょ⁉」
「あ、これは包丁だぞ」
――ただの包丁がこんなに斬れてたまるもんですか⁉
そう問い詰めようとも、笑顔を絶やさない男に求めるような答えが返ってくるとも思えない。
「もう本当、なんでこんな話通じないやつと婚約しなきゃならないのよ……」
セリナは嘆く。だけど、唯一救いの手を差し伸べてくれそうな執事は「まあ、婚約破棄が許されるお立場ではありませんし」と我関せず。
こうなればもう、不貞腐れるしかないではないか。
「もうやだ! 寝る!」
セリナは草むらの上に横になる。心地よい香りに、少しだけ気分がほぐれる。
青い空には、コッペパンのような白い雲がいくつも浮かんでいた。美味しそうだ。ご飯は食べたばかりだが、あんな雰囲気じゃ食べた気にならない。
――カルミアに帰りたい……。
祖国にいた頃は良かったのに。今より自由で。ジェイドは昔からこんな感じだけど。それでも訓練のあとは、お父様やお母様と一緒に庭に大きな敷布を広げてピクニックしたり。お母様特製のタレでベタベタのしょっぱいサンドイッチを、顔をグチャグチャにしながら頬張ったり。
――あーあ、全部夢だったらいいのに。
きっと次に目覚めた時には、違う空が見えているのだ。もっと空が高くて、もっと暑くて。そして寝ぼけている自分の顔を、お父様とお母様がニヤニヤと見下ろしていて。その向こうできっと、ジェイドは相変わらず涼しい顔をしているのだろうけど。彼はもうそれでいいのだ。今更愛想を浮かべられても気持ちが悪い。
そう現実逃避して、ふと思い立つ。
――そういえば、どうしてさっき向こうを見たんだろう。
正直、あの刺客は殺気すら抑えていた。撃退できたとはいえ、かなりの手練れに違いない。
――まるで、どこから来るかわかっていたような……。
その既視感は、どこからか香る花の匂いと共に溶かされる。適度な疲れとポカポカのお天道様。自然と瞼が閉じていく。
「寝るの早っ!」
「この方に姫という自覚はあるんですかね」
二人の男に見下ろされながら、セリナはあっという間に寝息を立てていた。




