3話「仲の悪い家族」
――同じ一日をやり直している?
そんなことを執事に言おうものなら、それこそ「あの日ですか?」と嘲笑されるに違いない。
だからきっと何かの間違いだろうと、セリナは気にしないことにした。
広間の時計は七時十五分を指していた。時計というものをセリナが知ったのは、サンビタリアに来てからのこと。祖国カルミアでは時間を鐘が告げていたから、いつでも時間を確認できることに最初は驚いた。一応このサンビタリアでも、大きな儀式がある時は礼拝堂近くにある時計塔で鐘が鳴るらしい。だが、セリナがそれを耳にしたことはない。明日の婚約式が始めてとなる。
さすが魔法道具文化が発展している大国。文明発達の差に始めは悔しく思ったことをよく覚えている。しかし一年もすればとうに時計も読めるようになり、その環境に慣れるもの。
そして、変わらぬ嫌味にも慣れるものである。
「あら、今日も随分とゆっくりなご起床ですのね」
それは日常茶飯事。だから記憶にあってもおかしくない。装飾過多とも思える朝食会場に入るセリナはそう自分に言い聞かせる。たとえそれが、記憶の中のものと一字一句同じであったとしても。
渋い顔をするセリナに、彼女は「おや」と口元を扇で隠す。
「どうしましたの? まだ寝たりないのかしら?」
「……いいえ」
王族ゆえ、みな忙しい。それでも家族団欒の時間を作ろうと、この家族は週に一度、朝食をみんなで摂る習慣がある。その習慣自体は素晴らしい。そして次男の婚約者であるセリナも、不本意ながらその場に呼ばれてしまうことは、一つ屋根の下で生活している以上、仕方あるまい。
だけど、約束の時間の十五分も前だというのに、悠々と席に座って待つ王妃――近い将来の姑に、セリナは歪な笑みを返した。
「申し訳ございません。まだわたくしも若いようでして、お義母様のように無駄に早朝目が覚めることがありませんの」
「あらあら。その物言いじゃ、まるでわたくしが年寄りのようでなくって?」
ちなみに王妃の隣には、丸っこい国王がずっとニコニコと座っていた。この王妃、空気の薄いもうじき生誕五十周年を迎える国王よりも年上らしい。朝からバッチリと粉を叩いた派手な顔に、サンビタリア王族らしい煌びやかで豪勢なドレスをビッチリ着込んだ王妃。
そんな年長者である王妃がわざわざこんな早くに会場入りしている理由――そんなの、可愛い嫁に小言が言いたいからに他ならない。
「違うんですか? てっきりわたしに構ってもらいたいからだと思っていたんですけど?」
「あなたが構ってもらいたいのではなくて?」
「いやいや、そんなお義母様になんて恐れ多い……」
うふふふふ。おほほほほ。
そんな不毛な笑みを浮かべながら、セリナも案内された席に着く。正直、どんな美味で絢爛な食事がもてなされようとも、こんなオバさんと一緒に食べるご飯が美味しいはずがない。
――普通に野草や野兎捌いてシチューでも作った方が百倍美味しいわね。
そんなことを思いつつも、実際には「ふふふ」と愛想笑いする以外にすることはない。ドレスに目を向けても、いつも赤い派手なドレスばかり。見覚えのある服だったが、どうせいつも赤なのだ。派手、ということ以外に記憶に残ることは少ない。
気まずい笑みの応酬をしていると、
「おはようございます! 父上、母上」
入り口から響く仰々しい声。これまた豪華絢爛な衣装に身を包んだセリナの将来の小舅もとい第一王子のイクス=サンビタリアは両親に挨拶した後、セリナを一瞥する。家族全員、銀髪に金の瞳。派手な衣装と相まって、まったく眩しくて仕方ない。
「ふんっ、今日もずいぶんと貧相な格好をしているのだな。そなたの見栄えで我がサンビタリアの名に傷が付くかもとは思わんのか?」
――いや、あんたのお父さんからしっかりと許可もらっているんですけど。
このやり取りは、この一年で数え切れないほどしている。そして、そのお父さんはこんな険悪な雰囲気にも関わらずニコニコしたまま。色んな意味で大物である。
そんな時だ。大きな欠伸がこの広い食堂まで響く。
「おはよーございます。みんな早いなあ」
嫌でも全員の視線が向く。寝巻きの緩い姿のまま、腹をボリボリと掻きながら入ってくるのは第二王子。寝癖のついた髪の手入れが行き届いてないのだろう。美男子も形なし。霞んだ灰色に見える始末。
毎週繰り返されるやり取り。当たり前のように、この順番で揃っていく顔ぶれ。
――そう……よね?
そんなロック王子は当然、セリナの隣の席に付く。セリナの頭にキスを落される――と予測していたセリナは、近寄る顔を振り払った。
「はは、照れ隠し? 俺のセリナは今日も可愛いな」
今日一番顔をしかめたセリナよりも早く声を荒げたのは、長男のイクス王子だ。
「なっ、そんな野蛮な女のどこが可愛いんだ⁉ 聞いたぞ、昨晩も屋根に上がっていたそうではないか。それに今日の服装だって女性らしさの欠片もない――」
「素敵なワンピースじゃないですか。彼女の健康的な身体のラインが薄っすらとわかって。それに動きやすそうですし」
「しかし、サンビタリアの女性はもっと華々しくあるものだろう⁉」
「それはただの文化の違いでしょう? カルミアでは、女性もよく動き、よく働くのが当然だとか。祖国の文化を重んじる彼女を、俺は尊敬してますよ」
「だが、貴様がそれでいいとしても周りの目が――」
「婚約者である俺がいいと言っているのに、どうして問題が?」
――そんなわたしなんかのために喧嘩しないでも……。
別に、セリナも『わたしのために争わないで!』と涙を零したいわけではない。本当に自分の服装なんかで時間を潰すのが不毛だと思うだけ。誰が褒めようが貶そうが、あんな重々しいドレスを愛用する気はないのだ。
だけど、場も注目を集めてくれるなら。
これ幸いにと、セリナはこっそりと隠し持っていたフォークを……と思って、もう一つ用意していたスプーンをロックの席に並べられている一本とすり替える。フォークだと使う前に床に落とされ、失敗するような気がしたからだ。双方に塗ってあったのは特殊な毒。ロックにバレた様子はない。
ちょうど一瞬の作業を終えた時。グーッと間抜けな腹の音が鳴り、口論も止まった。相変わらず目を細めたままの国王が自身のたゆんだ腹を撫でる。
「僕、お腹空いたなぁ」
ようやく、楽しい朝食の始まりだ。