27話「残酷なお姫様」
◆ ◆ ◆
一瞬、雷が落ちたのかと思った。
だけどセリナが見上げた空は青々と、まるで悩みなんか何もないような色をしていた。雷なんか落ちるはずがない。それでも天井のガラスを突き破り、偉そうに自分を見下ろしていた女神像を真っ二つに切り裂くさまは、清々しいまでに見事。セリナは思わず鼻で笑う。ざまあみろ、と。
女神像が倒れる衝撃に、シオンも咄嗟に手を止めて振り返っていた。
「どうして⁉」
――知るか。
天の慈悲か、はたまた気まぐれか。どちらにせよ、好機を見逃すセリナではない。
「【烈光の剣】ッ‼︎」
女神の加護は打ち砕かれた。セリナの手には煌々と光の剣が宿り、シオンの剣を根元から斬り落とした。落ちた剣先を彼方に蹴り飛ばし、驚きを隠せないシオンの喉元に魔法の剣を突き付ける。
「これで勝負はあったでしょ。大人しく諦めなさい!」
セリナの言葉に、シオンは小さく笑った。
「私を殺さないのですか?」
「どうしてそこまでする必要があるのよ?」
「ロック様を殺そうとするより、よほど論理的ではないですか?」
――あー知ってたのね。
気にしてなかったが当たり前である。あれだけ頻繁に暗殺を仕掛けておいて、当人が問題にしていなくとも、側近が知らないはずはない。
「まぁ、ずっとロック様に『恋人同士のじゃれ合いだから不問せよ』と命じられていたのですが……」
そう唇を尖らせた顔は、とても不満そうで。その拗ねた顔を見て、セリナは苦笑した。
「あんた、そんなにあの男が好きなの?」
「わ、な……なんで、そんな……‼」
急に狼狽えだしたシオン=ルイスの姿に、セリナは声を出して笑った。今度は急に耳まで真っ赤になった。そのコロコロした変化に可愛いとしか思えない。
「あはは、そっかぁ。そうなのかぁ」
――いいなぁ。
セリナは少しだけ思う。ドレスに興味がないわけではない。それと同時に、女の子らしい恋に憧れないわけでもない。ただ、自分とは無縁だっただけ。勇者の娘として恥ずかしくないよう幼い頃から訓練を重ね、国の危機に体を張った出来る限りのことをして。それが結局失敗に終わったとしても、そんな自分を恥じるつもりはない。
セリナは魔法を解き、参列者用の近くの長椅子に腰掛ける。そんなセリナに、シオンは目を細めた。
「さすがに隙がありすぎなのでは? 私がナイフの一本や二本、隠し持っていないはずがないでしょう」
「ご心配どーも。でもわたし、あんたを殺そうとか捕まえようとか思ってきたわけじゃないから」
「なら、どうして私のあとを追ってきたのですか?」
「そんなの、売られた喧嘩をとりあえず買っただけだけど」
当然とばかりに言いのけると、肩を落としたシオンが嘆息する。
「本当にろくでもない姫様ですね……こんな方がロック様の伴侶になるなんて本当に……」
最後まで言葉を紡がず、唇を噛みしめる男装騎士。
――悔しい、のよね?
彼女がいつから恋していたのか知らない。それでも近侍としてずっと好きな人のそばにいて。それなのに、この一年はずっと好きな人が他の女と戯れあっている姿を見て。その結果、こんな顔をするくらいなら。
あくまで、これは恋心を知らないセリナの推測。所詮は他人事。だからこそ簡単に言える。
「お察しの通り、私は色恋には疎いのだけど……」
「はい」
「そんなに好きなら、告白したら?」
「はい?」
シオンはキョトンと目を丸くした。
「いきなり……何を……?」
「いきなりじゃないわよ。ここに来る前から、そう言うつもりだったんだから」
セリナは半眼を向けつつ、首を傾げる。
「だって、好きなんでしょう? 国宝にまで手を出して婚約を邪魔したいくらいに……その根性があるなら、正々堂々想いを伝えてみればいいじゃない」
「で、ですがこの婚約はご承知の通り政治的側面が――」
「あいつがその気になれば、そんなものどうにかするでしょ。そういう男だと思うわよ。この一年間わたしが見てきた限りでは」
その言葉に、シオンは押し黙る。別に責めるつもりはないのだが、セリナは淡々と己の真実を述べるのみ。
「それに、たとえ臣下が個人的な想いを伝えてきたとしても、それを蔑ろにするような男でもないと思うな。ましてや、それを不敬と家督に関する大事になんて絶対にしないでしょう。性別を偽っていてもだんまりを決め込むようなやつがよ? そんなちょっと愛の告白をしたからって公私混同を問題視するとは到底――」
「わかってるじゃないですか」
「え?」
途中で返ってきた声音に、思わずセリナの口が止まる。どうしてか、すごく悲しげなものに聞こえたから。だけど改めて相手を見やれば、シオンは毅然と、どこか挑発するように腕を組んでいた。
「いいんですか? 私が告白することで、セリナ様は婚約破棄を言い渡されてしまうかもしれませんよ?」
「……別に。カルミアの国民や父様たちに迷惑が掛からないなら、どうでもいいわよ」
「本当ですか?」
再度問われたセリナは、すぐに言葉が出ない。
――むしろ望むところでしょ?
それなのに、喉の奥が詰まる。胸の奥が苦しくて、思わずシオンから視線を逸らす。
その気持ちの正体を、セリナはまだ知らないけれど。
「よーしわかった! それじゃあ全力で協力してあげようじゃないの!」
振り切るようにセリナは威勢よく立ち上がり、己の臣下を呼ぶ。
「ジェイド!」
「ここに控えております」
礼拝堂の入り口には、黒髪をキッチリ整え、シワ一つない燕尾服に身を包んだ長身の美丈夫。その手には純白のドレスを持っていた。それはセリナがこの場に来る前に用意するよう、彼に言い付けたもの。
「そのドレス、この人に着付けてやって。それが終わったらあいつを呼んでくるように」
「承知致しました」
一礼した後、ジェイドは近付いてくる。相変わらずの微笑。
「てっきりまた怪我をしているのかと」
「期待はずれで悪かったわね」
「苦戦するお姿をこの目におさめとうございました」
――こいつ、どこかで見てたの?
別れてから、さほど時間は経っていない。ドレスを取りに行ってから優雅に見物する時間など普通はないはずである。普通なら。
「まったく」
追求したいところだが、時間的猶予があまりあるわけではない。セリナは不毛なやり取りを忘れることにし、ジェイドとすれ違いに入り口の方へと移動する。そして振り向きざまに、呆然としているシオンに片目を閉じた。
「大丈夫。告白の時は、邪魔者が来ないように見張っててあげるからね」
セリナは口元に人差し指を立てる。そんな彼女に、シオンは小さく笑った。
「あなたは……なんて残酷なお姫様だ」