25話「節穴」
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――あいつは何で優雅にお茶なんかしているんだ?
セリナが執事と訓練する時間帯は、なるべく城の中を移動するような仕事をしていた。具体的にいえば、夜のうちに纏めた書類を関係部署に届ける仕事。兄王子なんかは近侍に任せることが多いようだが、ロックは自分で行っていた。直接やり取りした方が早いこともあるし、重鎮たちと定期的に顔を合わせておくと何かと分かることもある。
「いつも野猿のような姫君が、今日は珍しいですなあ。黙って動かなければ、あんなにもお可愛らしいのに」
角の部屋を割り当てられて僻みの多い大臣が、世間話の一環で外を見ている。それにロックも話を合わせた。
少し離れた城の隅で、金髪の婚約者が執事にお茶をもらっている。光景だけでいえば、服装は簡素ながらも元の見目が華やかな姫は目立つ。ひとときの休憩を満喫する可憐な姿だ。
「午後からは予行で忙しいですし。今くらいのんびり……」
言い掛けた言葉が思わず止まる。なぜ、彼女が刺客思わしき者に襲われているのか。
「失礼しますっ!」
ロックは慌てて部屋の窓を開け、そこから飛び降りた。この部屋は二階。後ろから「お似合いのカップルですなあ」と嫌味が聞こえても構うものか。難なく着地し、ロックは駆けた。同時に杖を取り出し、詠唱をしておく。唱えるは無難な風の魔法。たとえ劣勢だったとしても、一時でも隙を作れれば、彼女はそれを覆すことが出来るはずだから。
だけど、それは杞憂で終わった。近付いた時には刺客は逃げ出し、彼女は執事と何やら話している。
――心配しすぎだったか。
ひとまず魔法を解き、安堵の息を吐いた。だけど彼女が今後も狙われるようなら、考えなければ。明日正式に婚約者となったあかつきには、ますます王家の転覆を狙う輩の標的になることだろう。護衛を付けるか。だが、またあの執事に「不要」と押し除けられてしまうか。
「そもそも、あの執事の越権が甚だしいんだが……」
自らの思考に思わず独りごちた時、セリナが走り出した。向かう先は、刺客が逃げた方。婚約式を行う聖殿の方か。
「おいおい、捕まえるつもり――」
その時、足元の土が盛り上がった。慌てて飛び退こうとするも、地面が爆砕する方が早く。とっさにロックは爆風に身を任せ、地面に落ちる直前転がることに専念する。
「なっ……!」
「その軽やかな身のこなしはぁ……やはりただの王子とは思えませんねぇ」
聞こえた女性の声に、ロックは慌てて身を起こす。そこにはメイドがいた。栗色の髪を二つに括った幼い印象の少女だ。年齢顔負けの気遣いや熱心な仕事ぶりに評価も高く、自身の婚約者付きにと打診を受けた際に了承に値すると判断したことはよく覚えている。その時は、こんな間延びした話し方をしていなかったと思うが。
――俺の目、節穴過ぎるだろ。
彼女の歪んだ笑みに、後悔するのはあとの祭り。長過ぎる舌が黒い唇を撫でている。縦に伸びた真っ赤な瞳孔。頬に添えられた手から生えた爪は異様に長い。どう見ても人間のものではない風貌に、ロックは嘆息した。
「はぐれ魔族……よりにもよって王城内にいたのかよ。ちなみに【隠せぬ薔薇】を盗んだのもおまえか?」
「そうですよぉ。でも先に言っておきますとぉ、私は一度も使っておりませぇん。可愛いペットにプレゼントさせていただきましたぁ」
「ペット?」
眉をしかめながら、ロックは視線だけ動かす。見やるは先程走っていった婚約者……ではなく、残った執事の方。だけど、すでに黒い燕尾服の姿はない。
――グルじゃないのか?
そして、メイド姿の魔族がクツクツと笑う。
「そうですよぉ。私の可愛い愚かな愛玩人間。不憫で、惨めで、可哀想な人間に、私から細やかなプレゼントを贈りましたぁ。彼女の葛藤は見ていてとても愉快でしたねぇ。追い詰められた時の人間の思考回路ほど、私たちに理解できないものはございませぇん。だからこそ、これ以上ない娯楽として私たちは人間を愛でるのですよぉ」
ロックとて、魔族と会ったことがないわけではない。勇者との盟約を破り、山脈から下りてきてしまうはぐれ魔族は、東方のみならずごく一定数いる。たとえ力が衰えてしまうとしてもわかっていたとしても。ロックも昔、見聞がてら郊外を旅していた時に出会ったことがある。包丁もその時に手に入れたものだ。
「ふーん……やっぱり魔族の思想はよくわからないな」
低い声で答えたロックは杖を片手に身構えた。魔族の歪んだ思想はわからない。だけどわかっていることもある。たとえ盟約を害した罰として力が半減していようとも、普通の人間が敵う相手ではない。
魔族は嗤う。
「それでいいのですよぉ。だからこそ、人間は我ら最大の娯楽なのですからぁ」
そして、魔族はその長い爪を振るった。慌てて飛び退くも、元いた地面は深く抉られる。
「それで? その娯楽のために俺を殺すと?」
「そうですよぉ。ペットとお話した結果ぁ、彼女の願いを叶えるためには、もう心中するしかないという結論に至りましたぁ。私はそのお手伝いとして、あなたの死体を彼女に提供してあげようかと思いましてぇ」
一歩。また一歩とゆっくり距離を詰めてくる魔族は「まぁ、私がそう誘導したんですけどねぇ」とニンマリ笑う。
――趣味が悪すぎるだろう。
胸中ごちても、状況はまるで変わらない。このままだと、自分は死ぬ。そしてその後は、城中の人々が血祭りに上がってしまうのだろうか。
まるでその思想を読むように、魔族は言う。
「ご安心くださいねぇ。別に国家転覆とか人間界を滅ぼすとか、そんなことは考えておりませんから。今のペットが願いを成就したら、また次のペットを探すだけでございますのでぇ。魔王様が結んだ盟約ですからねぇ。しっかり人間と共存しようじゃございませんかぁ」
その戯言を聞き流しつつ、ロックは一つの結論に至る。
――いっそ、ここで死んでおくか。
【永遠の孤独】は、いつも通り所持している。ならば今回はここで諦め、一日をやり直せば。
入り込んだ魔族の正体がわかっているのだ。あとは彼女と手引している『ペット』の存在を聞き出しさえすれば。この魔族が王家などに興味がない以上、その『ペット』さえ取り押さえればこの魔族も手を引く可能性が高い。
「あ、そうそう――」
その逡巡が、一瞬の隙を生んだ。再び振るわれた爪をロックは横飛びに躱したはずだったが、飛ぶのが遅れてしまい胸元を凪られてしまう。破けた服の隙間から弾かれるのは、薄水色の首飾り。鎖が切れ、地面に落ちたそれをすぐに拾ったのは魔族だった。
「こんなつまらない道具は没収しまぁす。人間が完璧なんて目指したらダメですよぉ。不出来で不完全だからこそ、人間は愉快な物語を紡いで――」
その言葉を、ロックは最後まで聞かなかった。
「セリナはおまえの標的に入っているのか?」
「姫様ですかぁ?」
その質問に、魔族の表情が始めて曇った。
「あれは……私が手を出せるものじゃあございませんのでぇ」
「なるほど」
それを聞いたロックは、即座に逃げ出した。魔族のこいつが手を出せない相手。その意図はわからないが、セリナに危険がないのなら一安心だ。
彼女が追って行った刺客が仮に『ペット』だとすれば、それは人間相手だということ。全く関係のない相手だったとしたら、それはそれ。それでも第二の魔族がいると考えるよりも、普通に彼女のことが気に食わない人間による者の可能性が高いだろう。魔族を相手するよりも危険は少ないはずだ。
――なら、俺が出来ることは……。
最善の手段は失われた。たとえ死にものぐるいで魔族を倒したとしても、一日がやり直されてしまう。それでは何の意味がない。むしろ自分からその記憶が失われ、相手だけに今日の記憶が残るのだから、こちらとしては損しかない。
――どうする⁉
ひとまず行うべきは、考える時間を稼ぐこと。今の狙いは自分。他に興味がないのなら、自分が逃げれば追ってくるだろう。誰にも危害は及ばない場所……ふと目に入ったのは、礼拝堂の後ろにそびえる時計塔だ。儀式の時以外に用済みの過去の遺産の点検は終わっている。明日は使われど、今日使う予定はない。
ロックは走る。汗を掻き、顔を歪め。やり直せない現実に、奥歯を噛み締め。
自分が死なないために。そして大好きな人たちを傷付けないために。
今まで絶対に死ななかった王子は、醜く足掻く。